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時代を切り抜く

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新聞で、木村伊兵衛という写真家の特集記事が載っているのを見た。彼の写真は「これのどこがいいのか」「何をいいたのか」と見る人に「?」と思わせる不思議な作品が多いらしい。いくつかのそうした写真を見ると、たしかに何のテーマもないように見える。「間違えてシャッターを押したのでは?」と思わせるような写真である。

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しかし、そこにはその時代特有の風景が映し出されている。富士山や日本三景の写真は、美しい自然を描写しているとしても時代を感じさせるものはそこにはない。江戸時代だろうと平安時代だろうと、おそらく富士は今我々が見ている富士とほとんど変わらないだろうから。

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彼の作品は、人間がその時代その時代に生活していた痕跡をさりげなく描写している。彼が1950年代に撮影した写真を当時の人が見たとしても、「こんなありふれたものをなぜわざわざ撮るのか?」と思ったであろう。しかし、後の時代になるとそれがもはや再現不能な貴重な記録として重要な意味を持つのである。

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東京オリンピックや万博、集団就職列車など、その時代を象徴するような大きなイベントなどは多くの記録が残されている。しかし、その時代の普通の生活を記録したものは少なく、それが地方に至っては極端に少ないであろうことは容易に想像できる。そうした意味で木村伊兵衛という写真家の残した作品は、貴重なものなのであろう。

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話はうんとさかのぼるが、平安末期に九条兼実という公家が残した日記がある。月輪殿とも呼ばれた彼の日記「玉葉」は、40年にわたる公私の記録で大変貴重な資料となっている。もちろん、「吾妻鏡」という公式記録(正史)もあるが、そうした記録には載らない日常の些細な出来事などを記録した「玉葉」は今となっては非常に貴重である。

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歴史に残るような事件、事故、天災、大寺院の建立時期がいつといったようなことは様々な文献からその概要は垣間見えるとして、当時のごく当たり前の生活、外食すると1食当たりいくらくらいだったのか、し尿処理はどうしていたのか、といったことは意外に記録が残っていないらしい。それは、当時の人々が、それらのことをごく当たり前に感じていたためにあえて記録として残す必要性を感じなかったからである。

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こうしたことから、木村伊兵衛の作品はスポットライトの当たらない人類の記憶の影の部分を記録として残してくれる一級資料となるのである。しかし、それも過去のこととなるのかもしれない。

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この数年、ブログが爆発的に拡大している。(もはやITの世界は爆発的に発達するのが当たり前で今更そうしたことはニュースにもならないが)
私を含め誰でもが気軽に身の回りに起こった出来事や感想を記録し、写真を添付した資料を世界に公開できる。

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月輪殿の日記はなぜ貴重か。それは、その時代において、相当の財力がなければ毎日日記を記すなどという時間をとることは経済的に不可能であり、貴族として育ったがゆえに身についたリテラシーがあればこそであろう。また、日記を書くための紙をはじめとする文房具だって当時は高価だったはず。さらにそうした史料が800年以上も保存されるということは奇跡に近いことかもしれない。

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しかし、現代のIT革命はそうしたことを異次元の領域にまで持ってきてしまった。考えてみてほしい。まだペンと紙でモノを書くという選択肢しかなかった時代。それはまだほんの2、30年前までのことである。私にとっては学生時代のころである。その当時、自分の書いた文章を活字にして写真を添付して読み物として製本するのにどれだけのコストがかかったであろうか。そして、それを全世界の人々に配布するなどということが果たして可能だっただろうか。

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それが今は、言わずもがなである。世界に氾濫しているブログをはじめとする情報は膨大な量ではあるが、保管しておくのにさして場所を取らないし、その気になればそれほどのコストも掛けずに永遠に残しておくことも可能である。そうした情報には夕べ何を食べたかとか、デートでどこへ出かけたとか、「ほら、虹がきれいだよ」とか、どうでもいい情報がその大多数を占めている。しかし、この「どうでもいい」という価値観は現代に生きている我々だからそう思うだけで、後の世の人々からすると、この「どうでもいい」情報がとても貴重なものとなるかもしれない。

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過去数千年の間、不可能と思われていたことが我々の生きている数十年の間に実現されてしまっている。その発展のスピードにはめまいを感じるほどであるが、人間の防衛本能としてすでにそれを感じることすらあきらめてしまっている。それまで徒歩で移動していた人類が、突然音速ジェット機で移動するようになってしまったかのような爆発的な変化の中で、それすらごく当たり前のこととして感じなくなっている。高圧線に止まっている鳥は、同じ電圧に帯電しているので感電しないのと同じである。

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しかし、後の世からみれば我々の体験している1日は過去の時代の何十年分にも匹敵する。そうした時代を振り返る時、これらの膨大な記録はとても貴重なものとなる。核爆発の過程を観察する際、その恐ろしく早い変化をとらえるにはナノ秒(十億分の1)、あるいはピコ秒(一兆分の1)単位でトレースしないと追いつかない。我々は今、そうした爆発的な発展スピードの中に身を置いているのである。

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あせらない

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先日、京都での三宝莚30周年記念パーティーへ出席した際、天台座主より表彰状をいただいた。長年、三宝莚のサイパン交流事業をお手伝いしたということでいただいたのだが、予想外のことで大変恐縮している。お寺の関係者でないとわからないかもしれないが、お座主さんといえば雲の上の人。その方から表彰状をいただくなど想像もしていなかった。

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現在のお座主さんは平成19年に上任された第256代半田孝淳大僧正。もちろん面識はないが、私が小僧をしていた昭和54年ごろ、当時の山田恵諦座主(第253代)には確か一度お目にかかっている。といっても、師匠からの使いでものを届けに行っただけのことであるが。

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古いことなのであまりよく記憶はしていないが、お座主さんのところへ使いに行くのに、一人の信者さんが是非お座主さんにお目にかかりたいと希望していたので、ちょうどよい機会だから一緒に行って来いということになった。確か滋賀院の入り口でこの信者さんと待ち合わせしていた。しかし指定された時間になってもその信者さんが現れない。やきもきしながら待っていたが、約束の時間を過ぎてしまうので仕方なく一人でお座主さんを訪ねた。

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私の所属している叡南一門は千日回峰行者を擁する系統であり、その生きるか死ぬかという荒行をこなすだけに、日ごろの小僧に対する指導もとても厳しいので有名であった。自分としてはそのような厳しい先輩たちが当たり前だと思っていたので、そのトップに君臨するお座主さんというのはどれだけ怖い人かと思って緊張していた。居間に通されて渡すべきものを渡して控えていたが、当時すでに80歳を超えていたであろうお座主さんは終始おだやかで特に何も変わったことは起こらなかった。

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しかし、戻ってきてから師匠に叱られた。待ち合わせしていた信者さんとどうして出会えなかったのか、なぜ相手が来ないと思ったら一か所で待つのではなくそれらしい場所を探さなかったのかと。この信者さんも自分が探さなかったのが悪いのだからとかばってくれたが、叱られるのは小僧の役割である。こうした使いが、一番面倒が起り易くて嫌だった。

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さて、かの山田座主は100歳まで存命で在位20年という長期にわたり座主を務められたので大勢の人々から親しまれ、さまざまなメディアでご本人のお言葉は残されている。そうした中、つい最近新聞である記事を見つけた。同門の瀬戸内寂聴さんが、山田座主との対談について思い出を語る記事だった。そこで紹介されているお座主さんの言葉が印象に残った。「あせらないことが大切である」と。

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あまりにもありきたりの言葉であるが、逆にだからこそその意味を深く考えさせられる。確かに100歳まで現役で活躍するということは、20歳で世に出たとしても80年にわたり社会活動を行うのであり、あせっていてはこれだけの長い時間を一線で活躍することはできないだろう。あせらず長い時間をかけてとてもたくさんのお仕事を成し遂げてこられたのだろう。

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信長の時代のように人生を50年とすると15歳で元服して50歳までの35年しか世の中で活躍できないのである。現在はもっと平均寿命は延びているので、仮に70歳まで現役でいられるとしたら20歳から70歳までの50年くらいであるから、お座主さんの現役生活80年というのは人の倍近くの時間を持っていたことになる。

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時間を資産として考えると、長寿を保ち現役で仕事をするということはとても意義深いものである。20代ではまだまだ社会では相手にされないが、30歳、40歳と年を重ねるごとに社会からもそれなりに遇されるようになる。人生の面白みは年を取ってからと考えて、あせらずゆっくりというのも悪くないかもしれない。

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知り合いの経営者でも、若いうちからバリバリ働いて成功しながらも、がんであっけなく死んでしまった人がいる。本当はそれなりの治療を施せば生きられたかもしれないのに、生き急いでしまったという感じがする。私も健康に気をつけて、人生は長いというゆったりした気持ちでいられたらと思う。

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昔テレビで放映されていた「一休さん」の名台詞に「あわてないあわてない、一休み一休み」というのがある。どこか大人をおちょくったような台詞だが、緊急事態に直面したときに、まずは自分の心を平らにするということなのではなかろうか。「一休」という名には禅僧ならではの深い意味が込められていたのではと、これを書いていてはじめて気がついた。つまり、あせらないということは、「虚心平気」、「近視眼から巨視眼へ」、「忘己利他」という心構えにつながるのである。

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飲食店の盛衰 3/3のフォロー

先日の飲食店の盛衰 3/3で次のようなことを書いた。

> 混雑していて店に入れずに帰っていく客に対しては、何らかのフォローが必要。(次回500円引き券を配るとか)

先日まったくこの通りの体験をした。

6月12日の金曜日に蒲田で知り合いの社長と飲みに行った。金曜日とはいえ時間はまだ5時過ぎだから、どこでも入れるだろうと思って駅近くの「番屋」を覗いた。ここはかなり広い店なのだが、応対に出た店員は申し訳なさそうに「予約で一杯なんです」と詫びた。まあ、金曜日の居酒屋が予約で一杯なら景気も回復しつつあるのかなとプラスに考えて別の店へ行こうとしたら、店員がおもむろに「よろしかったら次回お使いください」と言って500円引きの券をこちらの人数分の3枚手渡してくれた。

「そうそう、これだよ」と私は思った。自分の考えている通りの応対をされたことに喜んだ。もちろん、500円券をもらったことがうれしいのではなく、そうしたマーケティング手法を実践し、その証明として店が繁盛していることが確認できたことがうれしかったのである。

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2009年6月21日 | コメント/トラックバック(0) |

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品質と評価 2/2

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20年近く前、ある電力会社の系統制御システムを開発した時の話。系統制御というのは発電機や遮断機(スイッチのこと、といっても、物置小屋ぐらいの大きさ)を制御する根幹を担うシステムである。開発には5、6社がかかわっていて私の立場は三次請けだった。よその会社は進捗がずるずる遅れたり、色々なトラブルを起こしたりしている中、私だけは何とか工程をキープしようと色々な努力をした。

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まだパソコンにUNIXが入るのが珍しかった頃にPC-UNIXを導入し、階層構造のシステム設計を施し、系統図のシンボルマークはCADシステムを使って自分でデザインした。そうしたことでわが社は、工程を守るだけではなく、元請け会社から依頼され自分たちの開発したソースコードを他社の手本として提示するまでになった。

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そうこうして1年がかりで開発は何とか無事完了した。関係者も“お疲れさんムード”で、近いうちに元請け会社が音頭を取って慰労会をやるらしいという話を聞いた。しかし、その日が近づいてきても一向にお声がかからない。「まあ、いいや」と思って放っておいたら、慰労会の開かれている時間に元請けの担当者から1本の電話がかかってきた。「今日お見えになると思っていたら欠席されていたので、せめて電話で一言お礼を」と大変丁寧なごあいさつをいただいた。私は心から感激した。

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その担当者に、「色々苦労して引っ張ってくれた阿部さんに本当は一番この場にいてもらわなければならないのに、何かの手違いで連絡がいかずに申し訳ありませんでした」と詫びられた。何のことはない、本当なら私に声をかけるべき二次請けの会社(商流でうちの一個上)が、困っていた時は何かと頼ってきたのに“のど元過ぎれば”で私のことは無視して自分たちだけ慰労会に出席していたのだ。下請けなどこんなもんだという悲哀と、元請けさんの担当者のように、ちゃんと評価して感謝してくれているという、その2つのコントラストがはっきりと出た例である。

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一概には言えないが、自分の経験から、元請けはきちんとしているのに、その下に入っている二次請け会社のモラルや技術力が低くて苦労する、煮え湯を飲まされる、ということはよくある。建設業界などでも似ているのではないだろうか。

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また別の事例。ある大規模な開発案件で、複数の下請け会社が集められた。その中に、どうにもさえない会社があった。進捗は最初っから遅れているし、その会社のエンジニアはどうにも怪しい人ばかりだった。だから元請けさんにも目をつけられ、会議のたびにきつく尻を叩かれていた。

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そのような状態で開発が進み、なんとかシステムテストに入ったが、その会社の担当分の工程はべた遅れ。どうするのかと思っていたら、それまで見たこともない人がその会社の助っ人として現れた。いわゆる火消しである。システムテストの間中、その会社の人たちは毎日徹夜のような状態が続いた。しかし我々は工程通り進めていたので深夜まで付き合う必要はなかった。可哀そうなのは元請け会社、下請けに勝手に徹夜作業させるわけにはいかないので、付き合わなければならないのだ。

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ある日の朝、いつものように現場に着くと、その助っ人が首からストップウォッチを下げて生き生きと動きまわっていた。おそらく徹夜明けなのだろうが、特有のハイ状態を保っている。ストップウォッチは、性能検査のために必要なので首から下げているのだろうが、どうにもわざとらしく感じてしまった。しかし、毎日徹夜で付き合わされた元請けさんとはなんだか妙な連帯感が生まれているようである。どちらかと言えば、徹夜せずに帰ってしまっている我々の方が、分が悪いような雰囲気さえする。

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徹夜で工程をリカバリしなければならなくなった原因は自分たちであるにもかかわらず、修羅場で頑張っている姿を見せつけたことにより、元請けさんの憶えがめでたくなってしまったのだ。こうした例はよくある。前もってきちんとスケジュール管理してリスクを洗い出し事前に問題を解決し、気の利いた提案やツールを創り出して効率よく仕事をこなし工程通りに仕事を進めるという理想のやり方をしている会社よりも、先の例のような体育会系のノリで一緒に汗をかくことで何とか勘弁してもらう会社の方が評価を得てしまうとしたら、これはどう考えてもおかしい。おかしいけれども人間の情の問題で、自分が苦労している時に傍らにいてくれると、それがいくら能力の低い者でもありがたいと感じてしまうのである。

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会社の経営でも同様。普段は何もせず、たまに何かやるとミスばかりで皆の足を引っ張る常務が、なんだか社長の憶えだけはめでたくて、いざ飲み会になると本領発揮したりする。そんな構図である。皆がきちんと定時で帰れるように仕事を差配している課長に対して、「あいつは毎日さっさと帰ってけしからん、愛社精神が足りない」などと社長に告げ口する。社長がそんな口車に乗ってしまうようなら、その会社は優秀な人から辞めてしまうだろう。

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京都へ日帰り

6月7日の日曜日、日帰りで京都へ行ってきました。
祇園で開催される「祇園放生会(ぎおんほうじょうえ)」と私が長年お手伝いさせていただいているサイパンとの交流事業「三宝莚」の30周年記念パーティーに出席するためです。

放生会をやるから11時に来るようにと言われていたのですが、そもそも「放生会」が何であるか全く知りませんでした。私は延暦寺に3年住み込んでいて、京都のお寺にもいましたが、寺にこもりきりだったので京都のことはろくに知りません。祇園がどこかすら知りませんでしたので、GPSナビを頼って目的地を目指すと、ある一角に人が大勢いたのですぐにわかりました。

放流される魚

内輪でやる法要かと思っていたら、意外にも多くのお客さんがいたので驚きました。サイパンのTudela市長がすでに主賓席にいたので、通訳代わりにそばに付き添いました。

音楽の演奏や舞いなどの披露の後、お勤めが始まります。なぜか舞妓さんが二人つき従っております。4月においでいただいた栢木寛照師が講話をしている最中も、たくさんの観光客が背を向けて1か所に固まっていると思ったら、この舞妓さんを見ていたのです。

舞妓さん

小僧時代の先輩である上原行照大阿闍梨がお勤めを開始。昨年12月に会って以来。
あまりに人が多くて、「やあ、久し振り」と声をかけるいとまもありません。

大阿闍梨

お勤めの後、水槽に泳いでいたたくさんの魚を少しずつお客さんにお分けして、巽橋の上から放流してもらう。なるほど、そのために大勢集まっていたのかと合点がいきました。

夕方は三宝莚の30周年パーティー。1,500人以上が集まる大盛会となりました。
久しぶりに師匠の叡南俊照師にお会いしました。昼間、放生会でお勤めをしていた行照さんともこのときご挨拶ができました。

私はサイパン市長の挨拶を通訳させていただいたり、お座主さん(天台座主)から表彰状をもらったり、大勢の懐かしい方々とお会いしたりで、とても有意義に過ごさせてもらいました。

パーティーが終るとほぼ9時、結局最終の新幹線で帰ってきました。それにしても、京都~品川間はほぼ2時間なので、品川駅やのぞみがなかったころに比べてずいぶん楽になりました。

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2009年6月12日 | コメント/トラックバック(0) |

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品質と評価1/2

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30年以上前の話であるが、実家のある大田区池上に名歯科医がいた。この先生、斎藤先生といい、今は故人となってしまったが当時中学生だった私はこの先生に随分とお世話になった。

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仕事が非常に丁寧で確実、おかげでその当時治療した奥歯のブリッジは30年以上たった今でもびくともしない。よく銀をかぶせると数年後に隣の歯が虫食ってしまうということがあるが、そのようなことは全くない。保険治療にもかかわらずこのような頑丈なブリッジを残してくれたことに感謝している。私の母もこの先生にお世話になり、やはり30年たってもその歯は今でもなんともないそうである。この先生の腕前は人間国宝級と言ってよいのではなかろうか。

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しかし、なぜかこの先生、近所ではあまりよく言わない人もいる。実は結構怖い先生なのである。私も中学生の頃、歯にかぶせモノをする予定の日をすっぽかして数日後に診療に訪れたら、こっぴどく叱られた。先生曰く「一日でも遅れると歯の状態が変わっちゃうんだよ!」。職人なのである。両親と学校の先生以外の大人でこれほど真剣に怒られるのはこの先生くらいだ。子供が騒いでも本気で怒るし、治療にはかなりの日数をかけるので患者にも忍耐が必要となる。

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そうしたわけで、人によってはこの先生を敬遠するが、保険治療で30年以上も持たせてくれるということを考えると、とても貴重な歯医者さんであった。

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この先生のように、良い仕事をしても30年たってから評価されるというのは少しさびしい気がする。もちろん、当時から腕は良いと評判だったが、必ずしもその腕前に見合うだけの人気があったかは疑問である。職人気質のあまり少し偏屈だったり、怖かったりすると、患者からは少しマイナス評価となってしまう。その仕事の素晴らしさが本当に評価される30年後には本人はすでに亡くなってしまっているのである。

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話を自分たちの仕事に置き換えてみる。

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たとえば、1999年にうちで開発して業界2位のコンビニ会社に収めたシステム。1万件におよぶ店舗の契約書を電子化してWebで管理するものだった。これは色々な要求があり、それまでに似たような前例のないシステムだったので設計段階から苦労した。しかし、99年に運用を開始してからは一度もシステムトラブルを起こすことなく稼働し続けた。2年ほど前にリプレースするまでのおよそ8年間、その間には次々と新しい店舗の情報も追加されたが、私が将来の増加分も見積もって設計したデータベースは、その後なんのメンテナンスも必要なかった。

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2006年に納品した高速道路ポータルサイトも、設計からカットオーバーまで半年足らずで開発したにもかかわらず、初期不良もなくその後は安定して稼働し今では月間一億PVを超えるまでになった。この業界の人間ならば「へーそれはすごいですね」と評価してくれるが、一般の人は動いて当たり前と思っているだろう。

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こうした堅牢なシステムは現場の人からは感謝されるが、儲けにはつながらない。システムによっては2、3年で陳腐化してリプレースになる方がベンダーにとってはありがたいという面があるのも事実である。ある電機メーカーが昔、洗濯機を丈夫に作りすぎたがために買い替え需要が進まず、経営上の問題となった。そこで洗濯槽をこれまでよりも若干薄めに設計したところ、うまい具合に壊れるようになり経営が持ち直したという話がある。

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この「うまい具合に壊れる」という加減が微妙である。買ってから1年以内に壊れると、元々の品質に問題があるということになるし、保証期間を過ぎた1年半くらいに壊れると、わざと保証期間が過ぎた頃に壊れるように作っているのではと疑われる。テレビや白物家電であれば、まあ5年から10年くらいで壊れると消費者は納得するようである。5年も使ったのだからそろそろ新しいのに買い替えようという心理になる。(実際には5年は少し短いかも、7年くらいなら納得かな?)

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長く使用に耐える良いモノを作って、それが正当に評価される。というのは意外に難しい。静かにしていると誰からも顧みられず、年中うるさく騒いでいると構ってくれる。それが実際の世の中である。日本という国と、金さん一家が取り仕切っている独裁国家を比較しても同じである。

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サイレントマジョリティとノイジーマイノリティと言われるように、真面目に黙って納税する多くのサラリーマンと、こっちに助成金を出せとかあっちに特例を設けろとかいって騒ぐ少数の人間が集まった圧力団体。政治家はどちらの言うことを聞くかというと、うるさく騒ぐ方にどうしても対応せざるを得ない。

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飲食店の盛衰 3/3

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個人経営の居酒屋でランチをやっている店でこんなことがある。つけ添えに昨夜のお通しの残りをそのまま出しているのである。色が悪くなって一部硬くなったような切干大根など出されたら、もう二度と行かなくなってしまう。こんなものなら出さない方がましである。

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大井町の駅から外れた場所にあるショットバーに一人でふらりと行ったことがあるが、ここは二度と行きたくない店だ。店には常連の親玉のような老人がいて店全体を仕切っている感じで、店員も一見の私にはほとんど相手してくれない。話しかけても一問一答という感じで会話に発展しない。そのうちに、仕切り屋の老人が「ピザ屋からピザを取ってみんなで食おうぜ」などと店員やなじみ客に言い出したので、さっさと店を後にした。こういう店は「一見さんお断り」とかにしておいて貰った方がありがたい。

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それに対して、そのすぐそばにある音楽バーは地下にありちょっと怪しげだがとても感じのよい店だ。ここも最初一人で出かけた。店員は若いが礼儀正しく、気を使ってよく話しかけてくれる。私に小さい子供がいると話したら、子供でも食べられる人気のカレーがあるので今度はお子さんも連れてきてくださいと言ってくれたので、その後は家族で行くようになった。子供はここのダーツがお気に入りで、まともに矢を投げられないのにしきりとゲームをしたがる。偉そうにカウンターに座った5歳の子供に対して、店員もきちんと相手をしてくれてとても好感が持てる。ただ、他のお客の迷惑になるので、休みの日の早い時間に行くようにはしている。

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つい先日もこんなことがあった。カミさんと荏原中延商店街を歩いていると、おいしそうな漬物を売っている店があった。1つ100円の品を2つ買おうとした時に、店員が「レジ袋必要ですか?それなら202円です」といったようだが、カミさんはよく聞いていなくて、単にレジ袋がいるかどうか聞かれたと思ったらしい。支払の時、レジ袋代2円かかると聞いて、私なら「ああ、そう」と流すところ、さすがにカミさん、「なら袋はいらないわ」といった。すると店員が、「それはずるいよ、もう使っちゃったから戻せません」と言った。

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よく聞いていなかったカミさんも悪いのだが、「ずるいよ」というのは客に言うセリフではない。確かに店員がそう言いたくなるのはわかるが、よく考えるべき。店員は一日中その商売をしているのだから、レジ袋が有料ということは当たり前と思っているかもしれないが、たまたま立ち寄った客からすれば、一般の小売店でそんなことを聞かれるとは思っていないのである。

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客にわかるようにゆっくりきちんと説明すべきは店員の役目であろう。毎日買いに来る常連客ならいざ知らず、相手は初めての客である。また、そうした行き違いがあったときに自分を反省せずに客に「ずるい」というのは子供じみている。たかが2円の袋で、客に不快な思いをさせたこの店は2円以上の損をした。できれば、「言葉足らずですみません、その袋はもう他に使えないのでどうぞお持ちください、200円で結構です」くらいのことを言えば客も恐縮し、また今度買ってやろうとなるのである。

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飲食店を経営するのは大変だ。店の前を歩く人の流れは自分の努力ではどうにもならないし、昼飯時に賑わったと思ってもそれは一回転で終わり、1時近くになると客は一人もいなくなる。客は安くておいしくて当たり前と思っていて、褒めてはくれないのに悪い点だけを指摘される、それも客のわがままだったりほとんど言いがかりのようなものだったり。

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客が来なきゃ来ないで困るし、客が増えてもピークとそうでない時の落差が激しいと、せっかくバイトを入れても遊んでいる時間が多いだろう。これは工場の設備をいかに100%に近い稼働率で安定させるかが経営上のセオリーであることと同じ。

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こうして考えてみると、そうか、自分たちの仕事(ソフトウェア開発)とずいぶん共通点があるなと気づく。以下、要素別に整理する。

・立地
事務所の立地も重要だが、SEO対策をしっかりとやって検索サイトで上位に来ることも大切。

・メニュー(品揃え)
和洋中、なんでも楽しめますというような店よりも、ある分野に特化して、それだけはよそにはないと思われるような商品を持っていること。特に規模の小さい店があれもこれもやろうとすると、力が分散する。まさに選択と集中が大切で、目標とする売り上げ規模を明確にすることで、無駄な経営資源を使わないようにすること。

・接客
いくら腕自慢でも、客を見下すような店に将来はない。客にこびへつらう必要はないが、気持ちよく対応すること。
リピート客や、口コミ客はとても重要である。混雑していて店に入れずに帰っていく客に対しては、何らかのフォローが必要。(次回500円引き券を配るとか)

・寛容度
子連れの客であろうと、大切にする店は繁盛する。ソフト開発でも、ITリテラシーのないお客にも気持ちよく対応すべきだろう。

・技術
職人としてはこれを一番アピールしたいところだが、客にとってはあまり重要ではない。そこの店の店主が吉兆で何年修業したとか、フランスの三ツ星レストランで料理長をしていたなどというのは、カジュアルな毎日行く店には必要ない。あまり技術を謳い過ぎると客からは鼻につくように感じられてしまう。さりげないけれど腕が良いという程度がちょうどよい。

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とにかく、お客の財布からお金を出してもらうというのは大変なことである。目先の損得だけを考えていてはすぐに行き詰まるだろう。商売の基本であるが、相手は人間なので、最初は損をしてでも相手のために尽くしてあげるという態度を見せることが大切である。そうすれば、今度はまたあそこを使ってやろうという気になってもらえるし、あそこはサービスがいいぜ、と他の客にも口コミで紹介してもらえるだろう。

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松下幸之助っぽい話になるが、謙虚になり、客の喜ぶ顔が見たいと心から思うことである。

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