比叡山には昔から論湿寒貧(ろんしつかんぴん)と言う言葉があります。
(これはマージャンの役ではありません)

比叡山のことを私たちは単に山と言いますが、山での生活を言い表した言葉で、論は論ずる、つまり仏の教えを論じ、研究すること、湿は湿度で、山の中は鬱蒼とした杉に覆われ、琵琶湖が眼下に控えていることもあり大変に蒸す、寒は寒さ、貧は貧しさのことです。山で生活すると言うことは、湿気と寒さにさらされて、貧しい環境の中でひたすら研究を行うことだという意味です。

今は季節的にもちょうど真冬の時期なので、寒さをテーマにします。
私は比叡山で3年間を過ごしましたが、やはり「寒」には辛い思いをいたしました。まあ、山と言っても標高数千メートルの山とは違い、標高700メートルあまり、麓からケーブルカーを使って10分ほどの高さですから、マイナス何十度にもなるわけではありません。しかし、気温の低さよりも生活の内容にその厳しさがありました。

まず、就寝中以外は一日中暖を取ることが出来ません。朝夕は掃除、お勤め、食事の用意と片付け、昼は接客や土方仕事と、休む間がありません。冬場はこれに雪かきが加わります。

当時の小僧頭がストイックな方で、冬場は「お前ら、寒くても足袋なんかはいたらあかんぞ」というのが口癖でした。つまり、冬でも靴下を履くことすら許されませんでした。靴下が許されないのですから、洗い物でも湯を使うことなどもってのほか。天然の力でキンキンに冷やされて出てくる蛇口の水で洗い物をするのですから、冬場は私の手は霜焼けでグローブのように膨れ上がっていました。平日の昼間は麓の高校に通っていたので、その間だけは寒い思いをせずにすみましたが、私の手を見た同級生(もちろん、普通の家庭の子です)が、「おまえ、どんな生活してんねん」と驚いていました。

寒いと困ることは、朝の掃除で床を雑巾がけしても、拭くそばから床の表面が凍ってしまい、つるつると滑って掃除にならないことや、生け花などの水が凍ってしまうと花器が割れてしまうので、少量の日本酒(アルコール)を水に混ぜて氷点を下げてやらなければならないことなどがあります。
また、正月の準備で障子を張り替えようとしたときのことですが、他の事に色々と時間がかかって、張り替え作業を夜にやらざるを得なくなりました。普通は障子に水をかけてしばらくすると障子紙がふやけるので、簡単にはがすことが出来ますが、そのときは水をかけるとそのまま凍ってしまい、紙がはがせなくなってしまいました。仕方が無いので指の爪先でこすったのですが、冷たさと仕事のはかどらなさで情けなくなってしまいました。

屋内はと言うと、大昔の建築物ですから立て付けも悪く窓もサッシなどではありませんから隙間風が入り放題、コタツに入ってみかんを食べていた昔のことがやたらと懐かしくなったものでした。
このような生活でも不思議と風邪は引きませんでした。たまには風邪でも引いて寝込んでみたいとも思ったものですが、皮肉なことに霜焼けとあかぎれには悩まされましたが、それ以外は健康そのものでした。

そんな生活をしてきたものですから、娑婆に戻って東京で普通に生活している今は寒くて辛いと思うことなどありません。もちろん気温が低ければ「寒い」とは思いますが、それが「辛い」とは思わなくなりました。年間を通してほとんど風邪は引きませんし、まして仕事を休むほどのことはめったにありませんでした。妻は冬場になると「今日は寒いからマフラーをしろ」とか「中にセーターを着たほうがよい」とか言いますが、私には大げさにしか感じられないのです。しかし、そんな私でも最近は子供が風邪を引くとすぐにうつされるようになり、どうも比叡山での生活の神通力は消えつつあるのかなと感じています。(5年ほど前から花粉症にもなってしまいましたし)

まあ、私はそういった特殊な生活をしてきたので暑いの寒いのといちいち騒ぎませんが、他人に対しては寒さを我慢しろなどといったことはありません。自分だって好き好んでそのような生活をしたわけではないし、修行と言うのは他人に強要するものではありませんから。

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