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新聞で、木村伊兵衛という写真家の特集記事が載っているのを見た。彼の写真は「これのどこがいいのか」「何をいいたのか」と見る人に「?」と思わせる不思議な作品が多いらしい。いくつかのそうした写真を見ると、たしかに何のテーマもないように見える。「間違えてシャッターを押したのでは?」と思わせるような写真である。

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しかし、そこにはその時代特有の風景が映し出されている。富士山や日本三景の写真は、美しい自然を描写しているとしても時代を感じさせるものはそこにはない。江戸時代だろうと平安時代だろうと、おそらく富士は今我々が見ている富士とほとんど変わらないだろうから。

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彼の作品は、人間がその時代その時代に生活していた痕跡をさりげなく描写している。彼が1950年代に撮影した写真を当時の人が見たとしても、「こんなありふれたものをなぜわざわざ撮るのか?」と思ったであろう。しかし、後の時代になるとそれがもはや再現不能な貴重な記録として重要な意味を持つのである。

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東京オリンピックや万博、集団就職列車など、その時代を象徴するような大きなイベントなどは多くの記録が残されている。しかし、その時代の普通の生活を記録したものは少なく、それが地方に至っては極端に少ないであろうことは容易に想像できる。そうした意味で木村伊兵衛という写真家の残した作品は、貴重なものなのであろう。

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話はうんとさかのぼるが、平安末期に九条兼実という公家が残した日記がある。月輪殿とも呼ばれた彼の日記「玉葉」は、40年にわたる公私の記録で大変貴重な資料となっている。もちろん、「吾妻鏡」という公式記録(正史)もあるが、そうした記録には載らない日常の些細な出来事などを記録した「玉葉」は今となっては非常に貴重である。

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歴史に残るような事件、事故、天災、大寺院の建立時期がいつといったようなことは様々な文献からその概要は垣間見えるとして、当時のごく当たり前の生活、外食すると1食当たりいくらくらいだったのか、し尿処理はどうしていたのか、といったことは意外に記録が残っていないらしい。それは、当時の人々が、それらのことをごく当たり前に感じていたためにあえて記録として残す必要性を感じなかったからである。

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こうしたことから、木村伊兵衛の作品はスポットライトの当たらない人類の記憶の影の部分を記録として残してくれる一級資料となるのである。しかし、それも過去のこととなるのかもしれない。

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この数年、ブログが爆発的に拡大している。(もはやITの世界は爆発的に発達するのが当たり前で今更そうしたことはニュースにもならないが)
私を含め誰でもが気軽に身の回りに起こった出来事や感想を記録し、写真を添付した資料を世界に公開できる。

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月輪殿の日記はなぜ貴重か。それは、その時代において、相当の財力がなければ毎日日記を記すなどという時間をとることは経済的に不可能であり、貴族として育ったがゆえに身についたリテラシーがあればこそであろう。また、日記を書くための紙をはじめとする文房具だって当時は高価だったはず。さらにそうした史料が800年以上も保存されるということは奇跡に近いことかもしれない。

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しかし、現代のIT革命はそうしたことを異次元の領域にまで持ってきてしまった。考えてみてほしい。まだペンと紙でモノを書くという選択肢しかなかった時代。それはまだほんの2、30年前までのことである。私にとっては学生時代のころである。その当時、自分の書いた文章を活字にして写真を添付して読み物として製本するのにどれだけのコストがかかったであろうか。そして、それを全世界の人々に配布するなどということが果たして可能だっただろうか。

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それが今は、言わずもがなである。世界に氾濫しているブログをはじめとする情報は膨大な量ではあるが、保管しておくのにさして場所を取らないし、その気になればそれほどのコストも掛けずに永遠に残しておくことも可能である。そうした情報には夕べ何を食べたかとか、デートでどこへ出かけたとか、「ほら、虹がきれいだよ」とか、どうでもいい情報がその大多数を占めている。しかし、この「どうでもいい」という価値観は現代に生きている我々だからそう思うだけで、後の世の人々からすると、この「どうでもいい」情報がとても貴重なものとなるかもしれない。

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過去数千年の間、不可能と思われていたことが我々の生きている数十年の間に実現されてしまっている。その発展のスピードにはめまいを感じるほどであるが、人間の防衛本能としてすでにそれを感じることすらあきらめてしまっている。それまで徒歩で移動していた人類が、突然音速ジェット機で移動するようになってしまったかのような爆発的な変化の中で、それすらごく当たり前のこととして感じなくなっている。高圧線に止まっている鳥は、同じ電圧に帯電しているので感電しないのと同じである。

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しかし、後の世からみれば我々の体験している1日は過去の時代の何十年分にも匹敵する。そうした時代を振り返る時、これらの膨大な記録はとても貴重なものとなる。核爆発の過程を観察する際、その恐ろしく早い変化をとらえるにはナノ秒(十億分の1)、あるいはピコ秒(一兆分の1)単位でトレースしないと追いつかない。我々は今、そうした爆発的な発展スピードの中に身を置いているのである。

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