今年入社した新人向けに会社の経営理念(その3-企業風土)についてお話します。内容は2005年10月27日に話したものと同じです。

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これだけではブログとしてつまらないので、話題として寺での食事について述べます。

企業風土の中で述べているように、何といっても三度三度食事ができることはこの上なく幸せで感謝すべきことであります。比叡山では毎回食事の前に「食前観(しょくぜんかん)」、食事の後に「食前観(しょくごかん)」という言葉を皆で暗誦します。

―食前観―
我、今幸いにして仏祖の加護と衆生の恩恵によりてこの清き食を受く
謹みて食の来意を尋ねて味の濃淡を問わず
謹みてその功徳を念じて品の多少を選らばじ

―食後観―
我、今この清き食を終りて心豊かに力身に満つ
願わくばこの心身を捧げて己が業にいそしみ
誓って四恩に報い奉らん

平易な言葉なので、お経と違って内容はわかりわすいと思います、まさに「食」というもののありがたさを表しています。「食」を得られたことの喜びと感謝と、それに報いるための決意を述べているわけです。この「食」を「職」に置き換えると私たちの会社の企業理念と一致します。

しかし私も生身の人間ですから、実際に寺で生活しているとそうとも言えないこともあります。普段のおかずは、たいがいヒジキや切干大根、おからなどが中心です。おからは1日経つとかなり腐臭がして、食べるのがつらかったですね。だから、申し訳ないけれど今では好んでヒジキ、切干大根、おからなどは食べたいと思いません。

学校へ持っていく弁当は自分たちで作りますが、いわゆるドカベンにご飯をみっちりつめて、おかず箱の中にはこれまたヒジキがみっちり詰まっているといった具合です。ヒジキも人参、油揚げ、豆などが入っていればまだしも、一面真っ黒にヒジキだけがおかず箱に敷き詰められているので、それを覗き見た同級生にひどく気の毒がられておかずをわけてくれたりしました。

台所の土間には大きなかまどがあり、窯に入れた白米をこのかまどを使ってマキで炊きます。ちなみにかまどのことは普段はオクドサンと親しみを込めて呼ばれ、なぜかオクドサンの上に包丁などの刃物を置くことはタブーでした。
マキで炊いたご飯ということでお客からは喜ばれますが、我々が口にするのは前日の残りだったりすることもままあり、夏場などはすぐに悪くなり、においが発生します。しかし、先輩がたからは「コメは腐ってもあたらへん」といわれ、みそ汁などをかけて腐臭が気にならないようにして食したものです。

さすがにこれはきついと思ったのはお堂からの「お下がり」です。お堂には食事をお供えしますが、毎日護摩をたくのでお香や護摩木の燃えた煙などが充満し、それらのにおいがお供えにしみ込みます。お堂から下げられたお供え、つまり「お下がり」は捨てることなく我々が食すのですが、お香の香りがしみ込んだ食事はとても強烈な味わいで、一気に食欲が失せるとともにこみあげてくるものがありました。特に、高野豆腐は性質上香りを存分に吸収するので、この世のものとは思えないその味を、一生忘れることはないでしょう。

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