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上司の言いつけに従っただけなのに、なぜか自分が悪者になってしまう、今日はそんな話です。

この話は1976年か77年だったと思います。師匠の内海俊照阿闍梨(我々は“行者さん”と呼んでいました)が行っていた千日回峰行は12年かけて行う荒行で、その千日の間には色々なイベントがあり、先日話題にした9日間断食断水不眠不臥(だんじきだんすいふみんふが)で真言を唱え続ける「堂入り」はその中の一つです。その他にも「京都切り廻り」、「洛中洛外大廻り」、「十万枚護摩供」、「土足参内」、などがあります。今回は「京都切り廻り」の話し。これは、比叡山の山麓を100日単位で歩く普段の回峰行のコースから大きく外れて、1日だけ京都市内を歩くというものです。
この日は大勢の信者さん、講(こう)と呼ばれる支援者の人たちと一緒に、行者さんを中心に総勢数十名から時として100名近くの大集団で1日かけて京都の所定の場所で参拝を行います。

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京都の人たちは“行者さん”のことをよくご存じで、その姿を見つけると遠くからでも走り寄ってきて“お加持”を受けるために足もとにひざまずきます。すると、行者さんは手にした数珠を両肩と頭に順番に置き、お祈りをして差し上げるのです。これを“お加持”といいます。この「京都切り廻り」では、私たちも手甲脚絆という古のいでたちで装い、初めて見た人にはまるで平安時代からタイムスリップした一団に見えたことでしょう。

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普段の回峰行では、ほとんど師匠と二人きりで夜中の比叡山を歩くのでひっそりとした中で黙々と歩くだけで、時としてどうしようもなく眠くなり、布団で寝ている夢を見ながら歩いたりしたものですが、「京都切り廻り」は一種のお祭りのようで、準備は大変でしたが結構楽しみなイベントでした。我々が行く先々では市民の皆さんが “お加持”を受けようと寄ってきたり、いくつかある休憩所では “お供養”と呼ばれる接待があり我々もおこぼれに預かるので、ちょっとした有名人気分が味わえました。

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普段の回峰行は夜中の1時くらいに出発して明け方6時ころに戻るというものでしたが、切り廻りの場合は夜中に出発して1日中歩き回り、自分の寺に戻るのはとっぷり日が暮れてからだったと思います。その日はお祭り気分でお疲れさまという感じで、拠点の寺まで一緒に歩いてくれた信者さんたちも心地よい達成感とともにその寺で就寝しますが、翌日の回峰の出発までは数時間しかありません。われらが師匠である行者さんはちょっと仮眠しただけでまたいつもの行を続けなければなりませんし、我々小僧もそれをお手伝いする日常に戻ります。

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その時は、切り廻りの翌日の行に私が一人お供することになっておりました。皆1日歩きつづけているわけですからすっかり疲れ切っています。時刻はすでに夜の10時ころでしょうか、出発までは3、4時間しかありません。師匠は少しの時間でも体力を回復させるために仮眠を取ります。そのとき私に向かって「中途半端に寝ると起きられなくなるから、お前は出発まで寝るな、わしが起きてこなかったら起こしに来なあかんぞ」と言い置いて2階にある自室に入って行きました。それに続いて小僧頭のTさんが師匠の部屋に入って行って、しばらく話し声が聞こえていました。私は1階の台所で所在なく起きて待っておりましたが、2、30分したころにTさんが2階から降りてきて、「あとはわしが起きているから、おまえは少しの間でも寝ておけ」と言われました。私はありがたいと思って何の迷いもなく布団にもぐりこみました。

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すっかり疲れきった体はあっという間に心地よい睡眠へと吸い込まれましたが、ほんの一時、寝たか寝ないかという間に、「何しとるんや、早よ起きんかいっ」という師匠の声と、ほおをたたかれる衝撃で目を覚ましました。外は朝日が昇り始めており、通常の回峰行ではすでに戻ってきている時間でした。私はあわてて飛び起きましたが、しばらくは寝ぼけて何がどうなっているのかよくわかりませんでした。そして台所へ向かうとそこにはグースカと眠り込んでいるTさんがいました。

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「ありゃりゃ、この人寝ちまったんだ」とようやく事情が呑み込めましたが、責任は重大です。回峰行というのはどんな事情があっても1日たりとも休むことは許されません。失敗したら腰に巻いている死出紐で首を括らなければなりません。師匠が命懸けで行っている行なのに、弟子の不注意でそれを途絶えさせるようなことがあっては、自分も腹を切らなければならないほどの一大事です。私もパニック状態の中で責任回避したい心理が働き、これはどう考えてもTさんの失態だし、そのことを師匠もわかってくれているだろうと思っていたら、「わしが寝たらあかんと言っておいたのに何しとるんや」と師匠の剣幕。その声でTさんも目を覚ましましたが、信じられないことにTさんはそのままそそくさと自分の部屋へ隠れてしまったのです。

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私としては、確かに寝るなと言いつけられていましたが、そのあとに師匠となにやら相談していたTさんから「おれが代わりに起きているからお前は寝ろ」といわれたのですっかり師匠との相談のうえでの決定かと思いこんでいたのでした。それなのに師匠からは「なぜわしの言いつけを守れんのか」と叱られ、「え?これって俺が悪いの?」とあっけにとられてしまいました。

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Tさんの名誉のために付け加えると、彼は責任感の強い小僧頭で師匠を始め仲間や信者からも絶対の信頼を得ている人でした。あるとき、何かの不手際があって「これはだれがやったんや」と師匠が私たち小僧一同に向かって問いただした時、すぐに「私です」と名乗り出たのはTさんでした。私は、「Tさんともあろうものがこんなドジを踏むなんてどうしたんだろう」と思っていたら、すかさず「頭を出せっ」という師匠の声、そしてガツンとこぶしで頭を殴る鈍い音が聞こえました。そしておもむろに師匠が言うには、「これはTがやったんやないということはわしにはわかっている、Tはお前たちの代わりにどつかれたんやっ。お前たち、反省せいっ」と私たちを一喝されました。そのときに、ああ、Tさんは言い訳などせずに自分が身代りになってくれたのかとその潔さに感動したものでした。そんなTさんですから、そのときはすっかり寝ぼけていたのかもしれません。

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あわてて身支度したのですがそれでもすっかり遅い出発となり、師匠と二人きりで歩くのは何とも気まずい気持ちで一杯でした。しばらくすると、案の定、師匠からは、「なぜわしが寝るなと言ったのに寝てしもうたんや」とまた問いただされました。ここは何も隠すこともないので、「Tさんから寝ろと言われたものですから」と答えました。すると、「Tが何を言うたってわしがあかんいうたやろ、おまえはどっちの言うことを聞くんや」と返されます。私も半ば開き直って、「しばらく行者さん(師匠のこと)と話をされた後に寝ろと言われたものですから、すっかり行者さんの指示かと思いこんでしまいました」と、この世界ではタブーの言い訳じみたことを言ってしまいました。しかし、その師匠自身も信頼を置くTさんがそういったのですから、それ以上はさすがに何も言われませんでした。ただ、しばらく「あかんなあ、あかんなあ」と独り言を繰り返しておられました。

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結局ずいぶん遅くなりましたが無事に通常の回峰行も済ませて戻り、とくにそれ以後何も問題にはならなかったと思います。ただ、周りの仲間が時々思い出しては「こいつは切り廻りの後に寝込んで遅刻しおったんや」とからかわれたように記憶しています。

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社会人になると、このような体験をした人は多いのではないでしょうか。自分はしかるべき人の指示に従って行動したのに、なぜか自分が過失を問われてしまうことが。こういった思い込みを利用した犯罪もあります。お祝儀泥棒や香典泥棒という詐欺の手口では、あたかも関係者のような振りをして受付に現れ、そこで番をしている人たちを信用させ、「ここは私が番をしているから君たちは焼香してきなさい」などと言って皆を遠ざけてから、集まった金を持ってドロンしてしまいます。このとき、いくらその人が関係者らしく見えたとしても、それを信用した人たちの過失を問われることは間違いありません。

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香典泥棒のケースのように、「これは自分がやばい立場に立たされるかもしれないな」とリスクを感じたら(リスクとして感じ取る感性がまずは大切ですが)、注意深く行動することが必要でしょう。最悪でもきちんとエビデンスを取っておくことが大切です。物事を口約束だけで済ませてしまうことは大変危険です。その場合でもすぐにメールで口約束の内容を文書化して相手に通知するということも処世術のひとつです。

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