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去る10月21日、比叡山で星野圓道師という32歳の若い修行僧が「堂入り」という行を満行したというニュースが新聞やテレビで報道されました。星野師と面識はありませんが、その名前からすると私の小僧時代の先輩だった光永覚道師のお弟子さんだろうと思います。

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「堂入り」とは12年がかりで行う千日回峰行の中に組み込まれているイベント(わかりやすいようにあえてこう表現します)の一つで、9日間の間お堂にこもり、飲食および睡眠を一切とらず、ひたすら不動真言(ナウマクサマンダバサラナンセンダンマカロシャナソワタヤウンタラタカンマン)を唱える(その回数は十万回)というものです。普通の人間がいきなりこんなことをしたらおそらく命を落とすでしょうが、千日かけて行うこの荒行ではそれを実行できるようになってしまうのだから、人間の能力のすごさとしか言いようがありません。

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千日回峰行は私の師匠の内海俊照師が戦後8人目(その師匠の叡南覚照師は3人目)、その後に酒井氏、光永覚道師、私が小僧時代一緒に過ごした先輩の上原行照師が11人目、一人置いて今回の星野氏ということになり、60年間でわずか13人しかこの行を修めた人はいないのです。

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もう30年ほども前となりますが、私の師匠の内海俊照師が「堂入り」をされた時のことを思い出しました。もしかすると命を落とすかもしれないという危機感とピリピリした緊張感が寺全体に漲っていました。「堂入り」前には大勢の僧侶が集まり、それまで見たことのないような御馳走をふるまわれます。おそらくこれが生き葬式といわれる別れの儀式だと思います。生還できるかどうかわからないので「堂入り」前に生きたまま葬儀を行うというものです。

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当時学校に通っていた小僧は、学校へ出かける前、および戻ったとき師匠に挨拶するのが日課でした。師匠がいる居間の襖の前で正座して「失礼いたします」と声をかけ、返事があってから襖をあける。そして朝は「学校へ行かせていただきます」、戻ったら「ただいま帰りました」とご挨拶する。もちろん、食事の前には皆でそろって「お食事頂戴いたします」風呂に入るときは「お風呂頂戴いたします」と、何事につけて報告をすることを義務付けられていました。

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この習慣は、師匠が堂入り中も行われました。といっても私の覚えている限り登校前の挨拶だけだったと思いますが。いつもの居間ではなく、師匠がこもっているお堂の一室でご挨拶をします。すると、日々弱っていく師匠の様子を否応なく目にすることになります。後半はほとんど声が聞き取れず、そばに付いていた小僧頭が伝言のように師匠の言葉を私たちに伝えました。その様子を見ているうちに、もしかしたら本当に命を落としてしまうのではないかとみなが感じていたと思います。登校の挨拶の時に師匠が私たちに何を言ったかは覚えていませんが、しっかり勉強してこいといったようなことを言われていたような気がします。本当なら師匠に対して「頑張ってください」などと励ましの言葉をかけるのが普通かもしれませんが、比叡山での師匠と弟子の関係では、そのようなことを言えば「生意気なことを言うな」と一喝されるに決まっているので、我々はただ頭を垂れるのみでした。

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堂入りが最終日を迎え、「出堂」というお堂を出る儀式が完了したときは、その様子を見守りにきた大勢の信者さんたちと一緒にその無事を喜んだものでした。行き合う信者さんに心から「ありがとうございました」と挨拶したことを覚えています。

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