私は高校1年で延暦寺の寺に住み込むという形で仏門に入りました。この世界は完全に徒弟制度で、私の師匠は内海俊照師という当時千日回峰行を行っていた修行僧でした。

千日回峰行というのは、比叡山中の30キロから80キロという決められたコースを7年ほどかけてトータル千日間歩くもので、国内でも最も厳しい荒行といわれています。師匠は30キロコースの場合、毎日夜中の1時頃に出発し、朝がた6時頃に戻ってくるのですが、大概私たち小僧が日替わりでお供をします。このコースの中に200箇所以上の礼拝箇所があり、それらに祈祷をしながら、歩くというよりも小走りで山道あるいは、けもの道を駆け抜けていきます。

ちなみに、小泉首相が平成16年の初めに自分の在任日数が1000日に達した時に「千日回峰行というのがある。毎日きつい仕事だが、荒行のつもりで頑張らなければならない」と語ったことは良く知られています。

この行を行っている人を回峰行者と呼びますが、山を歩くときの装束は昔からの伝統で大変ユニークなものです。山道は狭いので、引っかからないように縦長い笠をかぶり、全身を白い装束で統一しています。 そして毎日この装束を用意するのは私たち小僧の役割でした。手甲、脚絆、浄衣、山袴、帯、提灯、草鞋などを用意するのですが、その中に「死出紐(しでひも)」というものがあります。1m余りの綿の紐を2本、中間で結び合わせたもので、これを帯の上に巻きます。これは何かというと、行を完遂できなくなるような事態が発生したときには、これで首を括って自決するという意味があります。

回峰行者の装束
俊照師と小僧一同(右側二人目の顔が半分隠れているのが私)

実際にこの紐で自決した回峰行者がいるかどうかは知りませんが、これはこの修行に臨む「覚悟」を象徴するものだと思います。武士が差していた短刀と同じような意味合いでしょうか。仮にあなたがこの行に望むとしたときに、「失敗したらこの紐で自決せよ」といわれたらどう思うでしょうか。恐ろしいと思うかもしれませんし、仮にこの行にトライする勇気があったとしても、7年の間にはどんな事故が起こるかもしれないし、不意の病気になるかもしれません。盲腸になるかもしれませんし、自分の責任に拠らない不可抗力により行を中断せざるを得ないかもしれません。しかし、ここで大切なのは失敗すする可能性をあれこれ考えるのではなく、決意を固め覚悟を決めるということです。つまり、心構えの問題であります。

これは、個人の生き方でも会社の経営でも同じことだと思います。会社が不祥事を起こしたら、会社の利益や存続を考える前に全力でその責任を取る。経営者ならば、いつでも責任を取って身を引くという覚悟が必要です。変にしがみつこうとするから、かえって傷口を広げるのです。個人であっても、自分の約束したことを守るためには身を賭してでも全うするという人は、皆から信頼されるはずです。

前に企業倫理の話題で触れましたが、「会社あるいは社員が約束したことは会社の不利益になるとしても必ず守る」という考え方を予め全社員が理解しておくというのも覚悟のひとつです。

要は、問題に対してどのような価値基準でどう対処するかということを前もって決めておくことが「覚悟」だと思います。この「覚悟」があれば、いざというときすばやく正確な判断を行うということができるでしょうし、みっともない姿をさらすことなく対処できると思います。ここでいいたいのは、決して失敗したら自殺しろとかいうことではなく、ことに当たっての「覚悟」を常に腹の中に持っているべきであるということです。

回峰行とは 天台宗HPより

相応和尚により開創された回峰行は、文字どおり、比叡山の峰々をぬうように巡って礼拝する修行です。
 この行は法華経中の常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の精神を具現化したものともいわれます。常不軽菩薩は、出会う人々すべての仏性を礼拝されました。回峰行はこの精神を受け継ぎ、山川草木ことごとくに仏性を見いだし、礼拝するものです。
 回峰行者は、頭には未開の蓮華をかたどった桧笠をいただき、生死を離れた白装束をまとい、八葉蓮華の草鞋をはき、腰には死出紐と降魔の剣をもつ姿をして います。生身の不動明王の表現とも、また、行が半ばで挫折するときは自ら生命を断つという厳しさを示す死装束ともいわれます。
 千日回峰行は7年間かけて行なわれます。1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行じます。定められた礼拝の場所は260箇所以 上もあります。4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。ここまでの700日を満じて、9日間の断食・断水・不眠・不臥の”堂入り”に入り、 不動真言を唱えつづけます。
 6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日。7年目は200日を巡ります。前半の100日間は”京都 大廻り”と呼ばれ、比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロ をめぐり満行となるものです。

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