人生成り行き
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自分の夢を実現するとか、なりたい自分になるためにはそれ相応の努力が必要である。しかし、人は努力すれば何でもできるかというと必ずしもそうではない。思わぬ第三者の横やりで失敗したり、どうしようもない周りの影響(世界同時不況など)で計画がとん挫することもある。もちろん、1回や2回失敗しても成功するまで努力を続けることにより最終的に成功に至るということが何よりも重要ではあるが、ここではそういった長期的な話ではなく短期的な成功失敗についての話し。
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例えば受験に合格するか不合格となるかは、本人の学力に依存するところが大きいが、その日の出題内容、席の配置、体のコンディションなど、本人の意思の及ばないところで結果を左右する要素が少なからずあったりする。そこで、物事の成否を分ける要素を、自己努力、他人任せ、運といった非常に大雑把な3つに分けると、次のようになる。
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これは、それぞれが等分の比率となっているが各人の取り組んでいるテーマにより比率はさまざまに変化するだろう。例えば宝くじを買うという場合は、本人としてはくじをどこで何枚買うかという判断しか下せないので、運の占める割合が限りなく大きくなる。ただ、くじを買うという努力をしなければ可能性は0となる。
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反対に自分でビジネスをやろうという人は、かなりの部分が自分の裁量に依存するので成否の半分以上は自分の努力に負うところとなろう。しかし、それでも運に左右される部分は少なからずあると思う。
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ビジネスを成功させるために昼も夜もなく働き、人に頼らず自分で何でもやったとしてもそれほど大きな差異はないかもしれない。まあ、グラフで表すと次のようになる程度のものだろう。
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一生懸命に自分の目標に向かって努力することはとても大切だが、心のどこかに「運に左右される部分はいかんともしがたい」という諦めというか、達観が必要だと思う。それが人の心に余裕を持たせることにつながる。
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「いくら努力しても人生は運命によって決まっているのだ」などというようなことをいうつもりは全くないが、近くばかりを見ている人に対して、たまには遠くを見てみろよというような感じのことを言いたいだけだ。
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よく中小企業経営者が経営に行き詰って自殺するなどという話を聞くが、人よりも努力して苦労しているにもかかわらず、その責任感の強さから自分をそこまで追い込んでしまうのであれば、まことに悔むべき話である。そのような人材の損失というのは計り知れない。そこまで思いつめる前に、もう少し「あとは野となれ山となれ」という開き直りがあってもよかったのではと思う。幸いなことに自分はそのような境遇に直面したことがないので偉そうにいえるのかもしれないが、同じ中小企業経営者としては自戒の念を込めてそう思うのである。
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会社経営者に限らず、一家の大黒柱の旦那が失業などを苦に自殺するというケースも少なくないであろう。自分の養っている家族や親、世間のことなどを考えると思いつめてしまうのは仕方ないが、100%が自分の責任だなどと考えないようがよい。
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最近売れた、ホームレスになった体験を描いた芸人の本がある。読んではいないが何かの書評で読んだ話が面白かった。自宅を差し押さえられ、これ以上家族としてやっていけないと判断した父親が「解散!」といって家族がバラバラになるという話である。これは笑いごとではないかもしれないが、思い悩んで自殺する父親に比べればとてもユーモラスで救われる感じがする。家族は家族で何とか生き延び、結果としてこのようなベストセラーが生まれたりするのである。
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最近は落語ブームで、私もこれまでは全く興味がなかった世界だった落語のことを少し勉強している。落語の中では次郎長や三国志のような英雄物語ではなく、わかっていても酒や女や博打に走る駄目な人や、貧乏のどん底にいるけれども楽しく生きている人々を温かくユーモラスに描いている。
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その落語界の重鎮、立川談志家元の言葉で「人生成り行き」というのがある。天才と呼ばれる家元からこの言葉を聞くとどこかほっとする。ここまで話をすすめたので私の意図することが、「どうせ努力しても無駄」などというつもりでないことはお分かりと思う。努力、精進は大切だが、心のどこかにこうした余裕を持つことが大切と私はこの言葉をそう解釈している。カッコよく言えば「人知を尽くして天命を待つ」ということだが、そうした格言的ないいかたよりも、家元の「人生成り行き」の方が粋で優しく感じるのである。