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F4ファントムに攻撃されるシステム

私が総合電機大手に出向していた20年ほど前の話です。当時あるハードウェアを使ったシステムを開発中でした。顧客は紡績会社で、新規開発のマイクロコンピュータを使ったハードウェアのデビューを飾るシステムでした。

マイクロウェア社のOS-9というOSを採用しており、マニュアルは3冊しかありませんでしたから、何をするにも試行錯誤でした。どこにも教科書はありませんし、今のようにネットを漁って、関連情報を見つけ出すなどということはまだまだ夢の時代でした。よって、マルチタスクでシリアル通信をしながらプロセス間通信も行うという複雑なシステムでは、なかなか安定した動作をしてくれませんでした。そのため、何日も徹夜をする羽目になりましたが、進捗は思うように進みませんし、出口のないトンネルに入ったような状態でした。

このシステムと向き合っていた私を見て、部長からは「遅々として進まないねえ」と嘆かれ、社長には「どうや?」と聞かれて、「結局は現地に行ってガリガリやる羽目になるでしょうね」と答えると、言葉もなくタメ息をつかれました。が、実際いつ果てるともない開発で一番苦しんでいたのは私でした。

このシステムを使って紡績工場で24時間稼動する監視システムを構築しようとしていたのですが、ソフトはもとよりハードウェアもまだまだ開発途上だったので、様々な問題が発生しました。

大方の問題はソフトウェアの工夫により回避できたのですが、どうしても解決できない問題がありました。ファイルを読み書きしているときになぜかシステムがリセットしてしまうのでした。特にどのような使い方をしたという決まったパターンはなく、まったく不定期に現象が発生しました。システムをやっている人にはわかると思いますが、この手の問題が一番厄介です。

このトラブルを解決するために、かなりの労力を払いました。たくさんのトレースを入れ、何度も何度も確認テストをしました。応援の要員も参加し、手分けしてあらゆる手段でテストをした結果、ある事実が判明しました。

それは、ファイルの中に16進で”F4”という数値が入っていたときに発生するということでした。実に不可解でしたが、事実は事実なのでハードウェアの担当部署に連絡したところ、時間をおかずに、「現象が発生するのはハードの問題です、解決までしばらく待ってください」という回答がありました。

それを聞いて我々は脱力感を覚えました。通常、ハードウェアの問題というものは熱によりシステムが止まるとか、回線がまったく通らないというようなものが普通で、このような微妙な、つまりイヤらしい障害というのはまったく想定外でしたから。
それをあっさり「ハードの問題です」と言われたので、「それならもっと早くクレームを出しておけば良かった」、「この何日間にも及ぶ苦労はなんだったのか」と憤りました。

もちろん、ハード部隊にも悪気はないはずですが、通常は何か不具合が発生すれば、ソフトウェアの問題だという観念があったので、ハードがおかしいなどとはツユほども考えず、それゆえに徹底的にソフトを疑ったのでした。

始末が悪いのは、この問題が解決する、つまり、バージョンアップされた基板が上がってくるまでにかなり時間がかかったことです。それまでは、我慢して使ってくださいということだったのですが、予期せぬタイミングで突然死するハードウェアで新規システムの開発を行うというのは、大変にストレスのたまるものでした。

結局私が社長に予言したとおり、現地調整になってからもしばらくこの問題は修復されず、システムがクラッシュすると、「またファントム(F4)にやられたか」というのが日常会話となっていたのです。

今ではあまり考えられませんが、ハードも同時開発の組込み系の仕事などでは、このような困った問題が起こることがしばしばあります。しかし、ソフトウェアに従事する人間は、問題が起きたら大概は自分自身を疑うという習慣がついているので、問題の原因がハードのバグでしたというのはかなり痛い話です。

この後、ハードの開発部署からは何か問題があれば遠慮なく報告してくれという通達があり、Printfで小数点を表示したときにおかしな誤差が出るという問題も発見して報告し、ハードの開発部署から感謝されましたが、このときは前の経験があるので、それほど突っ込んだ検証はせずに、ハードの方に報告を上げました。

ハードもソフトも、普段からのコミュニケーションが大切だと思い知らされる出来事でした。つまり、普段からの人間関係です。気軽に相談できる環境を作っておくことがとても大切です。特に、話の内容が相手を責める様な意味合いを持ってしまうようなことにならないよう、慎重の上にも慎重を期するようになりますが、そのために費やされる貴重な時間が、人間関係がツーカーになっていることにより大幅に節約できるのです。

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吾唯足るを知る

前々回に「大に分かてば多く和す」という言葉を紹介しました。これは私が住んでいた寺の床の間に飾られていた言葉ですが、同じくその寺の庭にも、なるほどと思う言葉を彫った石が置かれていました。

吾唯足るを知る (われただたるをしる)

あれが欲しいこれが欲しいとないものねだりをするのではなく、自分に与えられているものに感謝して、その与えられたものを十分に生かしきるということだと思います。

人には欲望というものがあります。欲望というと悪いことのように聞こえるかもしれませんが、これがなければ人類の発展も生活の向上もありえません。欲望にもベクトルがあると思います。欲望は正しい方向へ向けてやれば、人が人として生まれたその責を果たすという大切な行動に結びつきますが、ひとたび誤ると多くの人々を苦しめることにもなるのです。

欲望のベクトルとは、それが自分自身の私利私欲なのか、それとも他者に対する愛情なのかということではないかと思います。おいしいものが食べたい、旅行に行きたいというのは自分の欲求です。これらも適度に満たしていくことは豊かな人生を送るには重要なことでしょうが、もっと大局的に見て、家族を幸せにしたいとか世の中に貢献したいという目標を心の中に持つべきだと思います。

また、この言葉の意味は決して「現状に甘んじて妥協せよ」という意味ではないと思います。それどころか、自分の能力を最大限に発揮するために、あくなき努力を続けること、つまり自分の欲望(この場合よい意味での)を満たすために一所懸命に生きることを肯定していると思います。

自分に与えられているものとは何でしょうか。身体、頭脳、親や兄弟などの血縁関係、友人などでしょうか。自分にものを考える頭があるのならば、自由に動かせる身体があるのならば、それで十分だということです。いや十分どころか大変に恵まれていることだと思わなければならないでしょう。これらはいわば資産です。その与えられた資産を生かして、能力を身につけ、人間関係を築き、子供や後輩を育てていくという事業には終わりはありません。

この言葉が戒めているのは、もともと与えられている自分の能力に対して、これを磨く努力もせずに、「日本人に生まれて損をした」とか、「もっと容姿に恵まれていればよかった」とか、「親の遺産が少ない」とか「私は運が悪い」だの不平不満を言い、あれが欲しいこれが欲しいと他人の持っているものをやたらと欲しがることだと思います。

私が高校生のころ栢木師が言っていた言葉でよく覚えているのは、「会社に対する不平不満が多い者に限って仕事ができない」というものでした。当時私は高校生でしたから会社とはどういうものか知りませんでしたが、社会人になり、経営者となってみてそれがよく分かります。外に対して不平不満を言う人は、外に対してあれが欲しいこれが欲しいと際限のない欲望を満たそうとします。「満たそうとする」というと、何か積極的な行動を起こすように聞こえるかもしれませんが、「だれか何かくれないかなー」程度の他力本願な勝手なお願いといったほうがよいかもしれません。せいぜいパチンコ屋にいって大当たりを期待するくらいのものでしょう。これは欲望のベクトルが間違っています。

これに対して、問題を問題として感じ、それを改善するために行動するというのは、誰でもその能力を持っているはずですが、実行する人は限られてきます。会社に対して不満を感じる、ここまでは同じでも、その後、それは何が問題なのかをよく考えて、改善するために行動を起こすことができる人は、正しい欲望のベクトルを持った人だといえます。

私の解釈する「吾唯足るを知る」は、あれが足りないこれが足りないといった不平不満を外に向けるなということです。最初から人間一人ひとりに与えられている資産は、それを正しく使うことによって無限の可能性を生み出すのであり、自分の欲しいもの、欲しい状態は他者にたまたま与えられるものではなく、自らの努力により獲得されるものだということです。

駅前ではパチンコ屋で開店前から並んでいる若者を多く見かけますが、かれらは特定の利益収奪システムに踊らされて、貴重な時間と金を失っているのです。一人ひとりに与えられた時間という資産を、ちょっとした幸運が得られるかもしれないという射幸心のために浪費するのです。「吾唯足るを知る」的に言えば、欲望のベクトルを変え、自分の長期的な目標を定めて、その実現のために自分の時間と頭脳を使うべきだということになります。

P.S.
先日、小林克也のベストヒットUSAを見ていたらHoobastankというグループの”If I were You”という曲が紹介されていました。この曲の歌詞がとても今回のテーマに合致していました。

(こんな歌詞です)
世の中は希望に満ち溢れているのに、君はあえて暗い部分だけを見ている
もしも僕が君ならば、与えられている全てのものに感謝する

洋の東西を問わずこのように考える人がいるというのは、うれしいことだと思いました。

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情報共有の力 2/2

退屈な表のチェック

その会社(私が2度目に勤めた上場準備期の会社)では、毎月の給与清算の締め日になると、主任の私たちはとても忙しくなります。5人から10人程度の部下が持ってきた勤務表をチェックし、出勤、退出、残業時間に間違いがないかを確認しなければならないからです。また、どのような仕事を何時間やったかを工数管理表という用紙に記録するように義務付けられていましたが、これもいちいちチェックして間違いがあれば本人に訂正させます。
このような作業に時間を取られ、大体一日が消費されてしまいます。月20日働くとすると、5%がこのような作業に消えるのです。一般の社員にしても、今日はどの仕事を何時間やった、会議は何時間だったということを記録するのはとても手間のかかることでしたし、少しでも計算が合わないとうるさく指摘されました。当時はExcelもありませんでしたから全て手計算です。生来単純作業が大嫌いな私でしたし、このようなものはどうでもよいと思っていましたので、どうしても気が乗らず嫌々やるものですから勢い間違いも多くなります。私にとってこの作業は大変ストレスを感じるものでした。

定例会議

また、我々主任には毎週1回主任会議というものがあり、月曜日の午前中はこれだけで消費されます。しかし、内容はもっぱら進捗の確認で、遅れているプロジェクトの担当者には、その原因と対応策を問いただされます。その結果、工程表を書き直させたりするのですが、そうなると全て手書きの時代でしたから1日仕事となります。掲示板やブログに逐次、経過や状況を書いておけば、こんな会議自体必要なくなるはずです。

この会社では、前述のように本来一番クリエイティブな仕事をしなければならない中堅クラスの技術者に、非生産的な作業をさせて企業としてのパワーをスポイルしていたのです。私は、プログラミングや設計が好きでしたが、このような意義を感じられない事務仕事が増えるにつれ転職を考えるようになりましたから、いかに社員のモティベーションを低下させているかがわかると思います。

まあ、こういった体験から私は事務仕事をあまり重視していません。はっきり言って勤務表もあまりきちんとチェックしませんし、有給の申請などもほとんどスルーしています。しかし、モラルのある組織であれば残業時間をごまかすだとか、遅刻を申告せずにしらばっくれるといったようなことは起こりません。百歩譲ってこのような行為が行われたとしても、本人が得をするのはほんの一時で、いい加減な人間はすぐに馬脚が現れるので、社内での評価が下げられてしまい、地位も報酬も減じられることでしょう。

公平じゃないこともある

悪意はないとしても、うっかり残業計算を間違えて多く申請してしまい、それがそのまま通ってしまうこともあるかもしれません。確かに不公平とはなりますが、次のようなこともあります。たまたま夜残って仕事していたら、先輩から食事に誘われて一杯ご馳走になったとします。そのとき居合わせなかった社員から、これは不公平だと文句が出ることはないと思います。世の中はもう少しアバウトに考えても差し支えないと思っています。会社で多額のコストを費やして、このような間違いや不正を起こさせなかったとしても、支払ったコストに対して抑止できた効果はたいしたものではないはずです。それよりも、優先度が高くてクリエイティブな作業、その人でしかできない専門性の高い仕事に没頭させるべきでしょう。

グーグルの場合

グーグルの仕事の仕方、組織のマネジメントは、管理しないことなのかもしれません。日本人は管理という言葉が好きですが、グーグルのマネジメントは、いかに社員のモティベーションをキープして、不要なことは極力切り捨て、優先度の高い仕事を効率的にこなす環境を作るか、ということではないでしょうか。そしてこれは、わが社においても全く同様です。

経営とは捨てること

先週大学院の教授が言っていた「経営とは捨てること」という言葉が思い出されます。日本の経営者は、あれもしたいこれもしたいと利益を生む可能性のあるものには何でも手を出したがる傾向があるそうです。しかし、それらの中から実現が難しいもの、自社の価値観に合わないもの、タイミングを逸しているものなどはバッサバッサと切り捨てる、そういった捨てる勇気が必要だということです。運用ルールや枠組みといったものは、目標を達成するために取り決められるものですが、いつの間にか本来の目標を見失ってこれらのルールに忠実に従うことが目的と化してしまうことがままあるようです。中小企業の場合はルールを決めてから実行に移すよりも、「走りながら考える」くらいが良いのではないでしょうか。

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大に分てば多く和す

(本当は前回の続きのはずでしたが、すっかり忘れて別の話をしてしまいました、「情報共有の力」の後半は来週にします)

比叡山の麓に里坊(さとぼう)と呼ばれる寺院群があります。この中の律院という2,000坪ほどの寺に、一年と少々住み込んでおりました。この寺は大変立派な庭園を持っており、日本百庭園のひとつにも数えられたこともあったそうで、誰かがこの庭をカモメが遊びに来るようであると称えた「遊鴎観」という額が鴨居に飾られていました。(この原稿を書くにあたってちょっと調べたところ、国指定「名勝」庭園の62番目に数えられているようです) 今思い出すと、この寺では私一人で留守番をしていたことが多かったように思います。2,000坪の土地に高校生が一人で住むということは、今にして思うととても贅沢な体験だったと思います。

この寺の中にはいろいろな書や掛け軸などが飾られておりましたが、その中で2つばかり今でもよく覚えている言葉がありまして、今日はその中のひとつについてお話しします。

それは、床の間に置かれていた円形の石板で、掃除のたびに座りの悪いこの石板に気を使っていましたが、そこには次のように書かれていました。

大に分てば多く和す

この意味は別に誰にも説明を受けた記憶はありませんが、読んで字のごとくなので特に深い意味はないと思います。持っているものを広くあまねく多くに分け与えれば、多くの人が喜ぶ(和す)ということで間違いはないと思います。

たとえば宝くじで10万円が当たったとき、これを自分とその奥方とで5万円ずつ分けるよりも、千円ずつでも100人に分け与えたほうが多くの人が喜ぶという意味でしょうね。
さらにたとえれば、仕事でトラブルが発生し、大勢で遅くまで残業しているときに、皆にハンバーガー一個ずつでもいいから差し入れをすれば、全体として気持ちが和らぐというような感覚でしょう。

師匠の所には毎日大勢の信者様がいらっしゃって、お供え(つまり現金)や花、供物などを寄せていただきましたが、たとえば花などをもらっても、既に花瓶や水盤には十分な花が活けてあり、新たに活ける場所がありませんでした。また、お菓子などをいただいても、賞味期限内にそれらを私たちだけでいただくのはとうてい無理でした。したがって、師匠はこれらの供物を参拝にいらっしゃった他の信者様にこまめにお配りになりました。私も師匠の元を去ってから何年もして、たまにご挨拶に伺うと、帰り際に「せっかく来たんやから、これ持って行けや」といって、よそからいただいた商品券などを下さることがあります。師匠の所には様々な人から色々なものが寄せられますが、それらをいったんは受け取りながら、いろいろな人たちに再分配しているのでした。

私は師匠のこのような姿を日ごろから目にしていましたので、なんとなくではありますが、人からもらったものであっても、自分一人のものとして独占するのではなく、より多くの人が喜ぶように再分配するものだという教えをいただいていたように思います。だから、「大に分てば多く和す」という言葉も自然に理解することができたのです。

蛇足

話は飛びますが、私は二十代から三十代にかけてロックバンドでヴォーカルを担当し、最盛期は毎月1回のペースで吉祥寺BePoint、横浜7th アヴェニュー、原宿クロコダイルといったライブハウスに出演しておりました。すると、演奏は下手でもそれなりに数少ないファンが付いてくれたりしたものでした。あるとき女性ファンが私に花束をくれたのですが、うれしい反面、正直扱いに困りもしました。男の一人暮らしのアパートに気の利いた花瓶などもないし、生来のものぐさなのですぐに枯らしてしまうことは明らかでした。ですから、ライブの後の居酒屋での二次会で、このもらったばかりの花を、ライブに来てくれた他の女性客達に少しずつバラして分けてあげました。もちろん、男に花をあげても喜ぶはずがありませんし、喜ばれたらそれはそれで困りますので、女性限定で配りました。

私としては昔、比叡山の師匠がしていたように、広くあまねく皆に喜んでもらおうと思ってした行為でした。私としては何の下心もありませんし、後ろめたさもないので、花をくれた当人の目の前で分け与えたのです。てっきり花をくれた本人もそれを見て喜んでくれるだろうとさえ思っていたのでしたが、それを見ていた女友達から後になって電話がかかってきて、「あれはひどい」と小言をもらいました。彼女曰く、「折角あなたに花を持ってきたのに、持ち帰らずにその場で他の人にあげてしまうなんて、あなたどういう神経をしているの?」というお叱りでした。

私としては、良かれと思ってしたことでしたが、言われてみれば「そりゃそうかな?」と反省もしました。その反面、持ち帰ってもすぐに枯らしてしまうのであれば、せめて多くの人に持ち帰ってもらったほうが価値のある使い方だったとも思います。まあ、何をするにも、TPOや人の気持ちというものもよく考えなければいけないのでしょうね。

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(休み)

ゴールデンウィークによりお休みです

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