私は高校の3年間、僧侶の修行をしましたが結局坊さんになりたいとは思いませんでした。周りからは、折角3年やったのにもったいない、延暦寺学院という大学へ進学して引き続き僧侶の道を続けてはどうかと勧めてくれる人もありました。

一番下っ端でこき使われるつらい3年間を全うしたのだから、後は楽じゃないかという人もいましたし、私も僧侶という仕事は立派な仕事だと思っていますので、実際はかなり悩みました。しかし、3年やってみた結果として好きになれなかったのです。

人は誰でも向き不向き、好き嫌いがありますので、いったん就いた仕事が合わなくてやめるということは何も恥ずかしいことではありません。それよりも、その仕事が嫌で嫌でしようがなく、先輩からは「あいつはいくら教えても一向に伸びない」などといわれながら何年も人生を無駄にするのはもったいないことです。

人はやはり、自分が輝ける場所を選ぶべきです。好きなことや興味のあることをしているときは脳からアルファー波が出て活性化しているということですが、そのような状況で学んだことは本当にその人の身に付くし、教えている側も教え甲斐があるというものです。そのような場所を見つけるのはそれほど難しいことではありません。最初は嫌だと思っても一生懸命やることです。特に最初のうちは人一倍の忍耐が必要なのです。そして結果的に別の道を歩むとしてもこの努力は無駄にはなりません。

子供の頃を思い出してください。親から勉強しろ勉強しろといわれていやいや勉強したことが身になっているでしょうか。中には優等生で勉強が楽しくて仕方が無かったという人がいるかもしれませんが、私は学校の勉強が大嫌いでした。小中学生の頃、私は電子回路やロケット、ジェットエンジンなどメカニカルなものが大好きで、いつも機械いじりばかりしていました。もちろん、プラモデルや自作の模型などにも熱中する性質でした。そのような私にとって、興味の無い算数や社会科の勉強をするのは本当に苦痛でしたし、何のためにこのような勉強が必要なのか、社会に出てから何の役に立つのかと両親に文句を言って困らせたものでした。そのような私でも、小学校のときは理科、図工、体育、中学校では科学や技術科などはいつもよい成績でした。科学の試験などは特に勉強しなくてもよい点数を取れました。歴史の年号や英単語はなかなか覚えられませんでしたが、科学の教科書に載っていることや機械の部品名などは一度見たり読んだりしただけで自分でも不思議なほどに記憶してしまいました。

これは一重に、「好きこそ物の上手なれ」ということだと思います。

私はもともと好きでソフト開発の仕事に就いたわけではなく、まったくの成り行き任せでありました。本当は電子部品を組み立てたり、基板を設計したりするハードウェアの仕事をしたかったのですが、学生時代に授業をサボりすぎて卒業見込みがもらえず、まともに就職活動が出来なかったので、知り合いのコネでソフト会社に入社させてもらいました。したがって、仕事に就いた当初はどうにも仕事がつまらなく、いつやめようかと思っていました。このとき、仕事がつまらなかったという原因には私の問題もあるのでしょうが、職場の環境なども大いに問題があったと思っています。

いずれにしろ、そのような中で半年ほど経った頃です。それまでさっぱり意味が分からなかったプログラミングのことが徐々に分かり始めるにつれて、なんとなく仕事が楽しくなってきたのです。その後、仕事や派遣先での人間関係にも恵まれて3年ほどでフリーになることが出来ました。

最初からその仕事が好きで入るということが理想かもしれませんが、私の場合はまったくの飛び込みで知らない職種に就いて、運よくその仕事を好きになることが出来ました。「石の上にも3年」とはよく言ったものです。

しかし、私の解釈では、「石の上にも3年」というのは、3年以降もずっと耐え続けろという意味ではないと思っています。嫌な仕事でも3年我慢して、好きになれば続ければよいし、それでも嫌で仕様がなければ、今度は逆に早いところ別の仕事を探すべきでしょう。私も坊さんの世界は3年であきらめました。

3年というのは一つの目安ですが、ある程度の期間を一生懸命やってみて、それでも仕事がつまらなければ遠慮せず別の道を選びましょう、自分の人生なのですから。

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