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去る休日の昼、カミさんが出かけるということで私は子供と留守番することになりました。カミさんはカップにお湯を注ぐだけの麻婆春雨を置いておくので食べるようにと言い残して出かけました。

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さて、じゃあ早速それを食べてみようと思って台所のカウンターを見ると、銀色の小さな袋に入ったスープらしきものが置いてありました。印刷を見ると確かに坦々麺風の麻婆春雨と書いてあるので、これをマグカップに開けてお湯を注ぎました。辛そうな坦々麺のスープの香りが広がり、おいしそうではあるのですが肝心の春雨がそのなかにはありません。春雨は別売りかと思いました。

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最初はスープの袋に春雨が入っているのかと思いましたが、それらしきものは一切ありません。あきらめてスープとして飲もうかと思ったとき、もう一度台所のカウンターの上を見ると、ごちゃごちゃ取り散らかした小物に交じって透明の袋がありました。手に取るとまぎれもなく春雨でした。きっとカミさんが調理しやすいように袋から出しておいてくれたのでしょう。

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この商品を買ってきたカミさんは、それがどういう構成の商品かを知っています。つまり、春雨とスープの2つの袋で構成されているということを、です。だから、彼女はそれら2つの袋を取り出しておくことに何の問題も感じなかったでしょう。しかし、これを他者にそのまま引き継いでもなかなか理解はできません。他人はその商品を見たことがなく、元々どういうセットになっていたのか知らないのです。もしかすると辛味を倍増させるラー油の袋もあるかもしれませんが、私にはそういった情報がインプットされていません。

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こんなことを言うとカミさんから勝手なこと言わないでと怒られるかも知れませんが、このケースではその商品が入っていたパッケージをそのまま渡してくれた方が望ましいでしょう。そうすれば、何の小袋に何が入っており、どう調理するのかが私にもすぐにわかるはずです。

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私はよく得意先などから書類を受け取ります。その中には、経理に回すべき書類もあります。このようなとき、私は一度開けて取り出した内容物をまた封筒に戻して経理に回します。本当は中に入っている契約書の紙だけを回せばよいかもしれませんがあえて郵送されてきた状態のまま渡すようにしています。これは、付随する情報をなるべくスポイルせずに伝えるためです。

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こうすることによって、その書類がどのような意図をもって送られてきたのか、重要度はどの程度かを理解する助けになります。送り主が丁寧にそれを送ってくれたのか、横柄に送りつけてきたのか、何か気分を害しているのかというニュアンスまでも汲み取ることができるかもしれません。このような情報は口頭ではなかなか伝えにくいものです。

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たかがインスタント食品の話ではありますが、ものごとを他人に正しく伝えるのには、多少の配慮というものが必要です。自分が知っていることは他人も知っていると思いがちなのが人間ですが、大切なのは相手の立場になって考えるということです。また、言葉で伝えることには限界があります。いくら詳細に説明しても100%伝えることは不可能です。しかし、体験は言葉のそれを上回ります。

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かつてWindowsNTの開発リーダーだったデビッド カトラーは、「自分で作ったドッグフードを食え」という名セリフを残しています。これは、自分たちが開発中のOS(Windows NT)を使って、そのOSのビルドを行うということです。こうすれば、バグの報告レポートを詳細に書いて開発者に読ませるよりも、開発者本人がそのバグに苦しむことの方が格段に効果的だということです。

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後輩への教育の手段でも、あまり先輩があれこれ手をかけるよりも、あえて失敗させることが大きな学びのチャンスとなります。私が小学生のころ、図工の青木先生というひとがいました。ある日の木工の授業では、木の板から望みの形を切りだすために「糸のこミシン」という機械を使いました。ところが「糸のこ」の刃は非常に細いので気をつけないとすぐに折れてしまいます。刃を折らないための注意は事前に受けているのですが、それでも級友たちの中には刃を折ってしまうものがいます。そのとき、青木先生は「あれだけ注意したのに何故折るのだ」などと叱ることはしませんでした。それどころか、「刃を折ることも勉強だからいいんだよ」と言ってくださいました。

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それを聞いた私は「ああ、それなら刃を折った方が得だったな」と思う反面、少数の生徒しか刃を折るという経験をできないのであるから、クラスの残りの大多数の生徒から見たら不公平じゃないかと正直思っていました。しかし、未だにこのときの教えが私の心に残っているということは、刃を折ることのできなかった私にも、先生は素晴らしいお土産を残してくれたのだと今思い返して再認識しました。

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青木先生は外見がとてもいかつい感じで、当時人気のプロレスラーに似ていたことから「サンダー杉山」と呼ばれていました。悪いことをすると厳しく叱る先生でしたが、先の話のように優しい面もあり私も大好きな先生でした。

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では、経験できればそれですべて伝えられるかというと、これがまたそうはいきません。「群盲象をなでる」という故事があります。大昔、ある国の王様が盲人たちに象がどのようなものか教えてあげようとして、彼らにじかに象に触れさせました。初めて像を触った盲人たちは驚くとともに、一人は「まるで大木のようだった」といい、また別のものは「いやいや、壁のようだった」とか「そうじゃない、太い蛇のようだった」とそれぞれが全く違うイメージを述べたという話です。他人(ひと)にものを伝えることの難しさを物語る話です。

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