今週から、今年入社した新人向けに会社の経営理念についてお話します。内容は2005年10月1日に話したものと同じです。

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さらにもう一つ別のテーマ、最近は地域間格差を感じることが多いのでそのテーマでお話しします。

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1. 能登・加賀への旅行

先週は社員旅行で金沢に行きました。私にとっては初めての石川県入りでした。2泊3日のスケジュールで初日は福井まで足を延ばして東尋坊、山中温泉、2日目は能登半島を一周し、輪島の朝市、七尾の温泉を巡りました。これらの観光地を回って感じたことは、その閑散とした有様でした。

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小松のそばにある九谷陶芸村の九谷焼資料館では客は一人もおらず、館員らしき人が出入りの業者のような人に、「私もここにきて20年になるけれどもここのところ本当にきついんです」などとぼやいていました。
資料館の向かい側には10軒ほどの窯元が軒を連ねたきれいで立派なモールがありました。しかしそこはまさに人っ子ひとりいない状態で、店の中へ入ると入口のチャイムが鳴り、それを聞いて店員が奥からあらわれスポット照明をつけてくれる。並んでいる陶器はとても美しく、大幅に値引きされているものがたくさんあり、焼き物が好きな人にはとても魅力的な場所だと思います。しかし、肝心の観光客があまりにも少ない。

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東尋坊ではちょうど日没のタイミングで、真ん丸な夕日が日本海に沈んでいく様子を見ることができましたが出会った観光客はほんの20人ほどでした。観光客相手の土産物屋が軒を連ねる中を歩いて断崖の場所まで行くのですが、時間が遅いのでどの店も店じまいの準備をしていました。有名な東尋坊を初めてみるので楽しみにしていたのですが、その第一印象は正直いって期待したものではありませんでした。

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確かに見晴しはよくて特異な岩の形状なども興味深いものではありますが、私には遠路はるばる見に来るほどのものとは思えなかったのです。こういうと嫌味に聞こえるかもしれませんが、毎年ボランティアで訪れるサイパン島のバンザイクリフ、スゥーイサイド(自殺)クリフを見慣れている私には、とても物足りなく映ったのです。

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このとき感じました。簡単に海外へ出かけることができ、テレビやネットで世界の様々な観光資源を目にすることができる現代人にとって、かつての日本の観光地・景勝地はそれら世界レベルと比較すると、その多くはあまりにも色あせて見えるのではないかと。そして、一部、京都のような世界レベルの観光地などを除いてはもうそこに足を向ける人はいなくなっているのではないかと。歴史ある日本の景勝地である東尋坊を世界レベルと比較するのはかわいそうではありますが、これが現実でしょう。

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これに対して、翌日訪れた兼六園は土砂降りの雨にもかかわらず多くの観光客であふれていました。その中でも外国人観光客の姿が目立ちました。兼六園は金沢駅からも至近であり、隣に金沢城、周辺にも小京都といえる古くて立派な街並みが控えており、観光地として必要な要件を満たしているのでしょう。

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東尋坊=唐人望
タクシー運転手が教えてくれましたが、「東尋坊」の本当の意味は「唐人望」だそうです。その昔、大陸から渡来した人たちの玄関口がこのあたりで、その渡来人たちが自分たちの国や新たにやってくる仲間たちをこの場所から望み見たというのでこのように呼ばれ、のちに当て字が使われてこの名前となったそうです。

日没の東尋坊 2007/10/18
<日没の東尋坊>

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2. 大津
今月(10月)の初旬に知人の結婚式に呼ばれて滋賀県の大津に行ってきました。ここは私が高校時代に過ごした場所で、まともに訪れるのは20年ぶりでした。大津は県庁所在地であり、JRの大津駅と京阪電鉄の浜大津駅とは徒歩で15分程度の距離です。アーケードのついた立派な商店街もありましたので、私が高校生の頃、つまり30年前はたいへんにぎやかな街という印象がありました。しかし、今回行ってみて驚いたのはその人気(ひとけ)のなさでした。大津駅に着いたのが夜7時ころなので昼とは違うとはいえ、まず空いている店がないのです。私を乗せたタクシーの運転手は、「今日は大津のお祭りですわ」というので、さぞかし人が出ているのかと思いきや、浜大津駅周辺はほとんど人がいません。地元の店で魚料理でもと思って出かけてみたら、駅前にチェーンの居酒屋が1、2軒、ラーメン屋が2軒くらいのもので、周りを1時間くらい歩きまわって探しましたがとても寿司屋のようなものは見当たりません。あきらめて駅前に戻り、うどん屋でようやく夕食にありつけました。

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私が高校2年の時、盲腸で大津駅のそばの日赤病院に入院しました。手術後2日目の夜には病室を抜け出してラーメンと餃子を食べに行き、商店街を歩いていると看護婦さんに見つけられて睨まれたものでした。そのころは、夜とはいえずいぶん人が出ていたように記憶していますが、今回は全く人がいませんでした。
翌日、結婚式の席で地元の知人に話を聞くと、皆ライフスタイルが変わってしまったようで、車で大きな商業施設のある瀬田や膳所といったところへ出かけて行ってしまうそうです。彼も「仕事柄いろいろな場所へ出かけていくけども、県庁所在地でこれほどさびれた場所はないなあ」と言っていました。

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以下、観光地に関する私の考察です。

にぎわう観光地としての要件

歴史的背景:
日本の魅力のひとつとしてその歴史がある。1000年を超えて単一民族が築いてきた文化というものは、そこに生まれ育った日本人には気づかないかもしれないが、世界的に見て稀有の文化である。しかし、歴史だけではどうにもならない、1,200年の歴史を誇るという粟津温泉にも行ったが、ひどくさびれていた。

利便性:
勝手に次のような式を考えてみた。
集客力=その観光地の魅力 – 体感距離の2乗
唯一の交通機関が1時間に1本のバスというのでは、だれも見向きもしない。

インフラ:
鉄道、バス、タクシーなどの整備、外国人に対するガイド。宿泊施設の充実。

話題性
誰も知らないところに行っても話題にはならない。誰もが知っていて興味を持つような場所でこそ、行く価値が生まれる。

飲食:
ご当地ならではの料理が堪能できること。寿司、鍋、地鶏、地ビール、ラーメン、ナイトスポットなどバリエーションが豊富であること。

周辺環境:
ある観光スポットへ、ただ行って帰ってくるだけでは魅力が足りない。ついでに回れる観光資源が周辺にあることにより相乗効果が生まれる。日本に古くからある七福神巡りが良い例である。

補足:
ただメジャーであればいい、人が集まればいいということは言いません。人の知らない隠れた名所を訪ねるのも旅の魅力でしょうし、何が魅力的な観光地かは、その人の価値観によって変わってくるでしょう。私も「つげ義春」の温泉紀行を見て、そこに飛び込んで行きたくなるほどの衝動に駆られることがあります。彼が描くのは決してメジャーな温泉地ではなく、老夫婦が二人で夏の間だけ開く小さな山小屋と、そのそばにある露天風呂(といっても冬の間に土砂に埋まっているのを掘り起こすような代物)などで、ガイドブックには載らないような場所ばかりです。それでも、そういった場所にこそ行きたいと思う人もいるわけです。
ただ旅館を作って温泉と刺身を出しているだけでは熱海のようになってしまうでしょう。そう考えると、白川郷で合掌造りの民家に泊まるとか、モンゴルへ行ってゲルに泊まるというような地元の人にとっては当たり前でも、よその人からすると特別な”体験”ができるというアイディアはよいアプローチだと思います。東京でも狭い木賃宿やカプセルホテルに、珍しいと喜んで泊まる外国人観光客がいるのです。

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