私が、寺の小僧になって間もない頃の話です。
その日は夕食の食器の洗い番でした。小僧だけで8人、そのほかに師匠や信者さんの分もあるので食器は結構な量になります。流し場には山の湧き水を使っていて、蛇口から小さな蟹が出てくるなんて言うこともありました。また、ガス湯沸かし器などは付いていないので、冬場はとても冷たくて、手は霜焼けで倍ほどに膨れ上がってしまいました。
さて、私が洗い場で食器を洗っていると、別の小僧が下げてきた食器をどんどんと運んできます。私の傍らにはそれらの食器が積み上げられていきます。そのうち師匠の食器が運ばれてきましたが、5cmほどの四角い漬物皿には桜漬けが一つまみ残されていました。もちろん、ほかの食器と一緒くたになって積み上げられているので、何の躊躇も無くその残った漬物を捨てて皿を洗いました。
それからしばらくしてまだ洗い物と格闘している私に先輩からなにやらただならぬ口調でお呼びがかかりました。何かと思うと、先ほどの師匠の残した漬物をどうしたかということを問いただされ、正直に捨てましたと答えると、その先輩は何度か2階の師匠の部屋と私のところを往復したあと、「行者さんがお呼びだ」といって2階の師匠の部屋に行くように言われました。当時2階の師匠の部屋へは我々下っ端は行くことを許されておらず、階段を上ることすら禁止されていました。ですから、恐る恐る階段を上って師匠の部屋の扉の前に進み出ました。
そこでは不機嫌な顔をした師匠が私をにらみつけて、「残しておいた漬物を捨てたのはお前かっ」と誰何されました。そう聞かれると、まったくそのとおりですし、師匠に対してあれこれ物を言えるほど饒舌でもないし、先輩からは常々、上の人から物を言われたら「ハイ」以外の返事はするなといわれていましたので、仕方なく「はい」と答えると、「そういうもったいないことをするのがお前の趣味かっ」とまたえらい剣幕で怒られました。洗剤だらけになって洗い物をしているところに、ほかの食器と一緒にごちゃごちゃになって下げられてきたのですから、その残った漬物を取っておくなんて考えられないことです。ほかの汁が混じっているかもしれませんし、洗剤がかかっているかもしれません、そのような漬物を師匠に食べさせることのほうが失礼です。また、私は洗い物係りなので、運ばれた食器をひたすら洗うだけでした。もしも残り物を取っておくならば、食器を取り下げてきた人間が洗い場へ運ぶ前にすべきです。しかし、とっさに師匠からこのような剣幕でまくし立てられては私は何も弁解できませんでした。しばらく沈黙していると「もういいっ、下がれ、このたわけっ」といわれてすごすご戻りました。このころはまだ新米だったので殴られこそしませんでしたが、それにしても私にはショックでした。
このときの釈然としない気持ちは今でも忘れずにいます。私が今の会社で気をつけようと思っていることに互いのコミュニケーションというものがあります。新人社員と社長との間には、私が思う以上にギャップがあるはずです。また、自分が若いときのことを思い出しても、自分より10才以上年上の人はとてつもなく上の人というイメージがありました。このようなギャップがあると、下の人は思ったように物が言えないものです。社員が私に何か言ってきたとき、よく聞き取れなかったから「何?」と聞き返しただけで、何か怒られたと思うのかその社員が変に萎縮してしまうケースがあります。
この会社では、最大限にこのようなミスコミュニケーションをなくしたいと思います。会社は同じ目的を持った複数の人間がチームで行動するものです。これは団体で行うスポーツと同じで、お互いのコミュニケーションが取れていないと、チームは敗北します。相手が社長であれ歳の離れた先輩であれ、自分の状況や何をするつもりなのか、報告なのか質問なのかをしっかりと伝えないと、自分も社長も、ほかの仲間もみんなを失敗に巻き込むことになるのです。ですから私も出来る限り平易な態度で話を聞くようにしているつもりですが、どうも努力が足りず十分ではないようです。
先輩となる社員へのお願いですが、後輩からは自分が一段高いところにいるように見えているということを意識して、物を言ってきている後輩に対して頭ごなしに叱りつけるような態度は取らないようにしてください。また、恫喝するような口調も慎まなければならないでしょう。
若い人に言いたいのは、別に正しい答えを要領よく話す必要は無いので、緊張せずに自分がどう思っているのか、行動の動機になったのは何なのか、間違っていたと気づいたならばそうだということを、知らなかったことを教えてもらったのならば、知った喜びなり驚きなりを表現してもらいたいと思います。そうして、相互のコミュニケーションがお互いにとって最良の結果を生むのです。