私が高校3年生のときは、比叡山のふもとのお寺に留守居役として住み込んでおりましたが、ここの風呂がなかなか沸かない。風呂がまは無く、火を焚いて直接風呂の底を暖めるタイプのものでした。薪は近所の製材所から仕入れた木っ端を仕入れておりました。
いつも沸くまでに4時間以上、寒い時期など下手をすると6時間近くかかったと思います。そこの寺は私の師匠の師匠が住んでおり、その方を皆は御前様と呼んでおりました。
その御前様が風呂に入るのに間に合わせるために、昼過ぎ頃から風呂を沸かし始めます。一回分の風呂を沸かすためにずいぶんと大量の薪を消費しました。今考えるともったいない話です。
この厄介な風呂ですが、ある日なぜこんなに時間がかかるのかが判明しました。何気なく風呂の焚口から風呂桶の底を見てみると、わずか亀裂が入っているらしく水が漏れていたのです。これでは時間がかかるはずです。風呂を沸かすのに費やした多くの薪は、この漏れ出した水を蒸発させるために消費されていたのです。
それで、原因が分かって何をしたかというと、別に何もしませんでした。ただ、自分がその寺に赴任している間にその風呂がまったく使い物にならないほどに壊れないことを願うばかりでした。
なぜここでこの問題を解決しようとしなかったのか今では詳細は覚えていませんが、恐らくこういった問題を相談するルートも習慣も無かったからだと思います。まず、誰に相談すべきか、師匠にしても御前様にしても、こちらから話しかけるなどと言うことは許されないと言う雰囲気がありました。
当時の寺の掟は絶対服従、一日でも山(比叡山のこと)の飯を早く食った者が先輩で、その先輩がカラスは白いと言えば「はい」と言わなければなりませんでした。
こんなことがありました。小僧が何かのミスをして、師匠が我々に激しく叱りつけていたときに、一人の小僧に「おまえはわしがこうせいと言ったことは何でも従えるか?」と聞きました。もちろん彼は「ハイ」と答えましたが、さらに「それでは肥え桶に手を突っ込めと言ったら出来るか?」と聞かれて「ハー、それは......」と答えに躊躇すると、「ばかもん、わしの言うたことができんとはどういうことやっ」と一喝され、鉄拳が彼の頭に振り下ろされました。
このような価値観の組織の中で私の思考パターンは、何かを解決するために行動するよりは、何かを常に恐れ、事無く日々をすごすということに終始していたように思います。もちろんこれは新米であるゆえのことで、先輩たちの中にはきちんとモティベーションを保っていた人もいましたので、あくまで私自身のことであります。
しかし、上下関係の厳しい軍隊などでも同様なのではないかと思います。命令系統はすべてトップダウンで、下はなぜそのような命令が下されたのかその理由を聞くことすらできません。こういった組織では現場(つまり一兵卒)からクリエイティブな意見があがってくると言うことはないでしょう。
別に軍隊型組織を否定しているわけではありません。逆に、人生のある時期をそのような組織で過ごすことが出来て今の自分にとってはプラスになっているとも思っています。このときの体験が、今の会社組織をどういう形に持っていくべきかと言うことを考えるベースになっているのですから。
私が最初に勤めた会社も同じようなものでした。社長は何かと言うと「これは業務命令です」と言うのが口癖で、それを聞くたびにコノヤローと思っていました。
とにかく、当時の私は、原因を知りながらも何の対策も採らず、シューシューと水が蒸発する音を聞きながらひたすら風呂を焚き続けていたのでした。