退屈な表のチェック
その会社(私が2度目に勤めた上場準備期の会社)では、毎月の給与清算の締め日になると、主任の私たちはとても忙しくなります。5人から10人程度の部下が持ってきた勤務表をチェックし、出勤、退出、残業時間に間違いがないかを確認しなければならないからです。また、どのような仕事を何時間やったかを工数管理表という用紙に記録するように義務付けられていましたが、これもいちいちチェックして間違いがあれば本人に訂正させます。
このような作業に時間を取られ、大体一日が消費されてしまいます。月20日働くとすると、5%がこのような作業に消えるのです。一般の社員にしても、今日はどの仕事を何時間やった、会議は何時間だったということを記録するのはとても手間のかかることでしたし、少しでも計算が合わないとうるさく指摘されました。当時はExcelもありませんでしたから全て手計算です。生来単純作業が大嫌いな私でしたし、このようなものはどうでもよいと思っていましたので、どうしても気が乗らず嫌々やるものですから勢い間違いも多くなります。私にとってこの作業は大変ストレスを感じるものでした。
定例会議
また、我々主任には毎週1回主任会議というものがあり、月曜日の午前中はこれだけで消費されます。しかし、内容はもっぱら進捗の確認で、遅れているプロジェクトの担当者には、その原因と対応策を問いただされます。その結果、工程表を書き直させたりするのですが、そうなると全て手書きの時代でしたから1日仕事となります。掲示板やブログに逐次、経過や状況を書いておけば、こんな会議自体必要なくなるはずです。
この会社では、前述のように本来一番クリエイティブな仕事をしなければならない中堅クラスの技術者に、非生産的な作業をさせて企業としてのパワーをスポイルしていたのです。私は、プログラミングや設計が好きでしたが、このような意義を感じられない事務仕事が増えるにつれ転職を考えるようになりましたから、いかに社員のモティベーションを低下させているかがわかると思います。
まあ、こういった体験から私は事務仕事をあまり重視していません。はっきり言って勤務表もあまりきちんとチェックしませんし、有給の申請などもほとんどスルーしています。しかし、モラルのある組織であれば残業時間をごまかすだとか、遅刻を申告せずにしらばっくれるといったようなことは起こりません。百歩譲ってこのような行為が行われたとしても、本人が得をするのはほんの一時で、いい加減な人間はすぐに馬脚が現れるので、社内での評価が下げられてしまい、地位も報酬も減じられることでしょう。
公平じゃないこともある
悪意はないとしても、うっかり残業計算を間違えて多く申請してしまい、それがそのまま通ってしまうこともあるかもしれません。確かに不公平とはなりますが、次のようなこともあります。たまたま夜残って仕事していたら、先輩から食事に誘われて一杯ご馳走になったとします。そのとき居合わせなかった社員から、これは不公平だと文句が出ることはないと思います。世の中はもう少しアバウトに考えても差し支えないと思っています。会社で多額のコストを費やして、このような間違いや不正を起こさせなかったとしても、支払ったコストに対して抑止できた効果はたいしたものではないはずです。それよりも、優先度が高くてクリエイティブな作業、その人でしかできない専門性の高い仕事に没頭させるべきでしょう。
グーグルの場合
グーグルの仕事の仕方、組織のマネジメントは、管理しないことなのかもしれません。日本人は管理という言葉が好きですが、グーグルのマネジメントは、いかに社員のモティベーションをキープして、不要なことは極力切り捨て、優先度の高い仕事を効率的にこなす環境を作るか、ということではないでしょうか。そしてこれは、わが社においても全く同様です。
経営とは捨てること
先週大学院の教授が言っていた「経営とは捨てること」という言葉が思い出されます。日本の経営者は、あれもしたいこれもしたいと利益を生む可能性のあるものには何でも手を出したがる傾向があるそうです。しかし、それらの中から実現が難しいもの、自社の価値観に合わないもの、タイミングを逸しているものなどはバッサバッサと切り捨てる、そういった捨てる勇気が必要だということです。運用ルールや枠組みといったものは、目標を達成するために取り決められるものですが、いつの間にか本来の目標を見失ってこれらのルールに忠実に従うことが目的と化してしまうことがままあるようです。中小企業の場合はルールを決めてから実行に移すよりも、「走りながら考える」くらいが良いのではないでしょうか。