先月は会社の企業理念について話をしました。
会社は、特に小さな会社は経営者の考えがそのまま経営に反映されます。この一連のスピーチの中では、私がどのような体験をし、それによりどのような考えを持つにいたり、それがどう会社としての価値観に反映されているかというようなことを出来る限りお伝えしていきたいと思っています。
そのためには、自分のバックボーンとなっている高校時代の生活について説明しておく必要があると思います。私が10代の頃、比叡山の山寺で生活していたことは知っている人もいるかと思いますが、あらためて説明したことはなかったと思います。
いささか古い資料となりますが、ここに1991年5月27日の「毎日中学生新聞」に掲載された記事があります。これは「わたしの十代」というシリーズのコラムで、私が29歳のときに知人の紹介で自分の高校生時代のことを簡単に書いたものです。これも読むとあらましどういう生活であったかが分かると思いますので紹介します。
文章中、一人称が「俺」だったり、話し言葉っぽくしてあるのは、当時読んでいたアントニオ猪木の自伝記事の影響です。読者が中学生なのでこのような語り口がよいかなと思ってのことです。
寺の小僧として住み込み生活 人間を高めるのは”やる気”
俺は父親の教育方針で、高校の三年間を寺の小僧として過ごした。頭をツルツルに剃って。それまでは東京で普通に暮らしていたのに、いきなり山の上の寺に放り込まれた。
寺では朝から晩までとにかく働かされた。掃除、食事のしたく、これはマキで飯を炊く。当然マキ割り、お客の接待、土木作業から肥えくみまで、学校へ行っている時以外は、ほとんど自分の時間を持つことは許されなかった。結局三年間一度も家へ帰してもらえず、休日も一年に一度あるかないかだった。
俺が預けられた寺は比叡山延暦寺の中にあり、毎日ケーブルカーで山を下って学校へ通った。延暦寺は伝教大師最澄を開祖とする天台宗の総本山である。寺には何人も小僧が住み込んでいて、オヤジ(師匠のこと)がやっていた「千日回峰行」という荒行の手伝いをする。オヤジは大変厳しく、小僧はよくなぐられた。俺もお客さんに出した灰皿が濡れていたというだけで、客の前でなぐられ、悔しくて涙が出だのを覚えているよ。
そんな生活からもう十年も過ぎたなんて、不思議な感じがする。最近思い出すのは、ある日オヤジが小僧一同に向かって、「一番大切だと思うことは何だ」といった意味の質問をしたことだ。小僧頭の平井という人は「それは″やる気″だと思います」と答えた。この時、俺は、「″やる気″なんてありきたりの言葉だし、そんなに重要なことかねぇ」としか思わなかった。
ところが、最近俺が常に意識しているのは正にこの″やる気″だ。″やる気″は人間を高い位置へ持ち上げる、最大の要素だと気づいてきたんだ。
このことを思い出すたびに、当時のイヤイヤ生活していた俺と、何でも積極的にやる小僧頭との違いがどこからきていたのかを思い知らされる。