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飲食店の盛衰 2/3

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だいぶ前に「作務衣を着た主人の店にうまいものはない。」という本の広告を新聞か雑誌で見て、このタイトルにピンときた。まだこの本を読んではいないが、勘違いしたというか、ずれた感覚を持った主人のやっている店というのは結構見かける。料理人としてのプライドがあるのはわかるが、やはりお客が来てくれてなんぼである。こうした店はバブル期になると増えるのではないだろうか。

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昼食で近所の店に行くたびに色々考える。

・この値段で客が来ると思っているのかな。
・テーブルの側面にびっちりついたカビが気になる店。
・なぜ夜のメニューを置いておかないのだろう、昼の客は夜に来てもらうための絶好のリード(見込客)なのに、1杯無料ビール券でも配ればよいのに。
・定休日以外に不定期で休む店は客を逃すぞ。
・値段の割にたいして美味くもないのになぜか流行っている焼き肉屋。

マーケティングの観点から興味は尽きない。

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流行っている店はそれなりに理由があるようだ。周辺の店で気になる店を挙げてみる。(客が増えると困るので名前は伏せます)

・ネパール料理(カリー専門店)のS
値段がリーズナブルで、レディスランチを用意しているので女性客が多い。女性客は12時から1時までという時間に関係なく訪れることが多いので、効率がよい。ナンのお代わり自由、スタンプ10個でランチ1回無料など、ツボを押さえている。12時過ぎに行くとまず入れないので、早飯する時に利用している。ナンが美味しいのが魅力である。

・天ぷらのT
狭い店ではあるがこぎれいで、店主はまだ若いが職人ぽい感じで客に対する気配りもしっかりしているので好感が持てる。ネタもよいし使っている油もよいので、ランチの価格はかなりの値打ち。12時過ぎに行くと、まず並ばないと入れない。

・京都に本店を持つ寿司のG
ここは敷居が高そうに見えるので、若手サラリーマン客はまず来ない。しかし、ここの鳥南蛮定食は700円という価格に対して、とてもボリュームがあり京風の落ち着いた店づくりも考慮するととてもリーズナブルである。いつも待たずに入れるので、これからもあまり知られないでいてもらいたい。

・昭和の雰囲気たっぷりのすし屋D
ほぼ毎週行く店。表から見るとあまりの古さと小ささに一見の客は先ず来ない。しかし、850円のにぎり、ちらしはびっくりするほどネタがずっしりしていて食べ応えがある。この価格でこの内容であるということをうまく周知できれば行列ができる店になるだろう。ランチ1食ごとにチケットがもらえ、10枚で1食無料となる。

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最近は不況で閉めてしまう店もあるが、ここに挙げたような店はいつも賑わっているし、店の歴史も長い。先週で辞めてしまった中華屋もよい店だったが、それはランチに限っての話。おそらく夜はあまり集客できなかったのだろう。ポジション的に、気軽に立ち寄れるラーメン屋と、本格中華料理店の中間に位置するので、ターゲットとなる客層が少なかったのだろう。点心・飲茶を出す中華立ち飲みとかにすれば面白かっただろうと思う。蒲田は安い中華のメッカで、羽根つき餃子発祥の地、また、ラーメン店もたくさんあり激戦区なので、中途半端な中華屋は経営が難しい。

(以下続く)

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飲食店の盛衰 1/3

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ここのところの不況で、われらが蒲田西口の飲食店も経営が厳しいようで、馴染みの店も何軒かが閉店した。いつもランチをとる周辺のお店のことを、マーケティング的な視点で眺めてみる。

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会社の周辺、飲み屋は多いのだが、昼のランチをやっている店が相対的に少ないので、ランチローテーションに入っている店に辞められてしまうと困ってしまう。先週も毎週行く中華屋が閉店してしまった。

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我々の商売も受託開発部分については客待ち商売に近いものがあるので、飲食店と共通な問題がある。店が客を呼び込むために一番重要なのは立地である。たまに路地裏や住宅街にぽつんとあって、特に看板も出さず宣伝もしていないのに流行っている店があったりするが、そうした店は例外であろう。

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店の前を一時間当たり何人の人が通るか、つまりお客候補(見込み客:リード)の母集合がどれだけ大きいかが実際に入店するお客に比例するのが普通。しかし、立地の良い場所は賃料も高いのが当たり前で、そのあたりのバランスが難しい。また、いくら人通りが多くても、店自体のキャパシティが小さかったらそれらの客をさばききれないので、賃料に比べて機会損失が大きくなる。だから、店の規模に合ったベストな条件の立地に店を構えるのがポイントとなる。

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店を始めるまえにきちんとリサーチして出店し、予定どおりに採算に乗ったとしても、何かの要因、たとえば近くの大きな会社が移転したとか、大型店の出店やバイパス道ができて人や車の流れが大きく変わってしまうなどの影響で、人足がばったり減ってしまうこともあり、店の努力ではいかんともしがたい。特に今回の100年に一度の大不況というものは、関東大震災がいつ来るか予想できないのと一緒で、“死なばもろとも”というあきらめの心も必要かも知れない。

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見ていると新規出店した時点から何かずれているのではと思う店もある。例えば、店主が妙に気取った感じで、愛想も良くない、そんな店があった。店主が客の会話で、「うちの肉はこの値段で出せるような肉ではない」と自信たっぷりに言っていたが、たしかに良い素材を使っていた。料理は文句ないし値段も安いので昼時はいつも満杯で、肉と魚の二種類しかないメニューはすぐに売り切れる。だけどもなんか居心地の悪さを感じさせるのである。

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ちなみに、この店のカウンターは妙に高くて、店主から見下ろされているような感覚を覚える。カウンターの高さというのは心理的に大きな影響を及ぼすので、新規に店をオープンするにあたり、とても大切な要素である。お客に気楽にくつろいでほしければ低く、いつも客が並んでいるような繁盛ラーメン店なら少し高くして長居されないようにした方が良いかも。

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もう一軒、店主のこだわりを感じさせる丼ものメニューをそろえた店があった。“豚丼”という少し変わった商品で、手作りのチャーシューのようなものを乗せたどんぶりをメインとしていた。カウンターのみの小さな店だが、値段も安いし珍しいので時々食べに行ったが、ここも店主の態度が、のどに引っ掛かる魚の骨のように客の神経を刺激する店だった。40歳まで世界各国を放浪してました、みたいな感じの主人で、なんだか自信たっぷり。悪い人ではないのだが少々キレやすい。

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あるとき、その店には私しかいなかった。主人とは、ちらほらと会話するようになっていたので何事か会話していると、一人の客が入ってきた。少し酔っているようである。たぶんこの店は初めてなのだろう、しばらくメニューを見ていたその客は、こう聞いてきた。「豚丼が350円なのにどうして牛丼は500円なんですか?」その時の質問が実際に何の品目だったかは忘れたが、そんなような質問だった。

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主人はあからさまに不機嫌そうに答えた「こちらはそれだけの価値があるから500円なんですっ」。よせばいいのにこの客も酔っていたせいか、さらにしつこくいう。「でも300円と500円じゃずいぶん値段の差があるよね」。これで主人がキレた。「この店は私の店で、値段も自分が自信を持って決めているんです。もう来ていただかなくて結構ですからお帰りください!」。なおも客は「いやいや、別に文句つけてるんじゃなくて、ただどうしてかなと思ったから・・・」。店主は聞く耳持たず大げさに手を出口の方へ差し出し、「もう結構、どーぞ、お帰りくださいっ!」。客は苦笑い浮かべながら帰るしかなかった。まあ、客も大人しく引き揚げたのでよかったが、見ているこちらはハラハラした。

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これらの2軒の店はすでに閉店して久しい。

(以下続く)

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懐石料理

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会社で加入している健康保険組合の保養所をよく利用する。ここは会員にはとても安く利用できる。館山にもこうした施設があり私達一家のお気に入りである。先日、GWの初めにも1泊で出掛けてきた。以前は山道を走らなければならなかったが、今は館山道が整備されアクアラインと直結しているのですんなりと目的地まで行ける。山道を走るのが好きな私には少し物足りなくなってしまったが。

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そんな保養所での一つの楽しみは夕食である。季節の素材を使った懐石料理が供されるが、1泊食事つき5,000円という料金からは想像できない豪華さにいつも驚かされる。

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普段は懐石料理など食べる機会は殆どないが、このときとばかりに堪能する。そして毎回思うことがある。懐石料理については何の知識もないが、一品一品タイミングを見計らって出されるこの手法は世界でも誇れる日本の食文化で、そのスタイルは西欧料理にも影響を与えているらしい。たしかに、海の幸、山の幸を様々な料理法で客を飽きさせず、舌だけではなく目も楽しませてくれるとてもリッチな気分になれる料理である。しかし、そうした品々を口に運びつつ考えることがある。

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多彩で新鮮な食材が様々な工夫を凝らした調理法で出されるのを見て食すると、そこに自然の豊かさを感じずにはいられない。そして、そうした豊かな食材、文化、人の思いというものに感謝したい気持ちになってくる。このあたりはフランス・イタリア・中華料理には存在しない概念ではなかろうか。あちらは、これでもかというように人間が知能を傾けて征服した結果としての料理。しかし、日本の料理は自然のすばらしさ、偉大さを教えてくれて、食事しながら事物に感謝してしまうという何とも哲学的なものとなっているのでは無かろうか。

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食事をする楽しみは、五感を刺激する。味はもちろん、香り、色、手触り舌触りといった触覚、ときとしてはBGMや生演奏などで聴覚も含まれる。つまり人間の感覚を総動員して楽しむのであるが、日本の場合はそこに心の充足という要素が加わる。単に食事をした満足感ということではなく、普段は気づかない自然の豊かさを感じて、それに感謝するという気持ち、「世界はなんと豊かなのだろう、そしてそこに自分はいるのだという感謝の気持ちを持たせてくれて、ああよかったな」という充足感なのである。

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昭和の思い出4 – ゴイシ君

朝礼でのスピーチではありませんが、番外編として掲載します。

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家から少し離れたところにゴイシ君という同じ年の友達がいた。彼は一風変わった子供で、いつも大人をどこか小ばかにしていた。3月生まれの幼い私には、彼の態度はずいぶん大人びて見えたものである。

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確か小学校入学前の頃、ゴイシ君と私たち数人は近所の自動車修理工場の駐車場で遊んでいた。そのうちゴイシ君が車の上に登り始めた。そして「上がってこいよ」と誘われた。子どもながらに、自動車の上に乗って遊んでよいとは思っていないから、「そんなことしちゃいけないよ」と注意したが、彼曰く「こんなのどうせポンコツだからいいんだよ」。なーんだそうなのか、そういえば修理工場にあるくらいだからどうせ壊れているんだなどと妙に納得して一緒に車の屋根に上った。

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この当時、「ポンコツ」という言葉を初めて聞き、それを普通に口にする彼をすごく大人っぽいと感じた。そのうち興が乗ってくると皆で車の上で飛び跳ねたり、屋根からボンネットの上に飛び降りたりした。車にはシートがかけられてあったので滑ることもなかった。

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そうしてしばらく遊んでいると、向い側の工場のほうから誰か大人が「こらーっ」と叫んで走ってくる。「逃げろっ」とゴイシ君。「え?ポンコツだからいいんじゃなかったの?」と思いながらも、足の速かった私はゴイシ君と一緒に逃げおおせたが、逃げ遅れた仲間が捕まってしまっていた。もっともこの修理工場は私の家の2、3軒隣で、私などはそこの修理工のお兄さんとよく話をしたりしてすっかり顔は知られていたのである。

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家に帰ると、修理工場の人が来ていて親と何か話していた。まずいなと思ったが、私を見た親は、外で遊んでいるようにといい、しばらくして客が帰ってから家に入った。相当叱られるだろうと思っていた私だが、意外に親は叱ることもせず、ただ、なぜそんな事をしたのかと尋ねた。私は素直に、「友達のゴイシ君がポンコツだからいいんだ」と言ったからと話した。そのあとどうしたのかはよく分からないが、なにがしかの弁償はしたのだろう。すっかり件の悪友に乗せられたのであった。

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そのゴイシ君、小学校では同級生になった。1年1学期の国語の授業中の出来事を今でもよく覚えている。授業中にもかかわらず、彼は教科書を弄んで授業など聞いていない。そのうち教科書のページを一枚ずつ曲げて綴じ代のほうに差し込んでいった。それを繰り返すうち、教科書はアコーディオンのような形になっていった。それに気付いた先生に前に引っ張り出されて「なぜそんなことをしているのですか?」と咎められ、ゴイシ君の名言が飛び出した。

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「だって、くだらないんだもん」。

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先生もあきれて、それならアコーディオンを弾きなさいと命じ、ゴイシ君は皆の前で教科書のアコーディオンを弾く真似をさせられた。小学校1年にしてこの態度、生まれついてのパンクスである。いまどうしているのか気になるが、ただの大人になっているのだったら残念であるが。

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2009年5月5日 | コメント/トラックバック(0) |

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