私が比叡山の小僧になったとき、師匠である内海俊照師の元には私を含めて8名の小僧がおりました。その中に、Kという30過ぎの先輩がおりましたが、この人にはずいぶんと苦しめられました。

自分には能力がないのに、下にはやたらと威張り散らし、上にはひたすらおべっかを使う、学校でも、会社でもこういった人物はいると思いますが、Kはこの典型的な男でした。

寺には小さな畑があり、茄子、キュウリ、さやえんどう、大葉などを作っていました。私が小僧になって間もない夏の午前中のこと、Kが私に、畑に水をまくように命じました。もちろん、私は素直に水をやりましたが、そのことを後から師匠が知ってかんかんに怒りました。夏の暑い時期の午前中に植物に水をまくと、水が熱を持ってダメージを与えてしまうので水は夕方にまく、というのが、私が後で知ったこの世界での常識だったのです。

師匠は台所の土間に出てきて、Kと私を問い詰めました。

師匠:「何でこんな昼間っから水をやったんや、K、お前が指示したのかっ?」
K:「いいえ、私はそのようなことは申しておりません」

私は一瞬頭の中が真っ白になりました。これほどきっぱりと嘘をつく大人を見たことがありませんでしたから。そしてこう思いました。
「先輩で、30過ぎの大人で、寺で修行するという志を持った人間ならば、正直に私が指示しましたと言うべきだろっ。仮に私が独断でやったとしても、それをかばうのが当然じゃないのか?」

このときの師匠とKのやり取りには、私は口を挟めませんでした。何をどう弁明していいのか分かりませんでしたし、15歳の少年が大人同士の激しいやり取りにうまく割って入るコミュニケーションスキルなど持ち合わせているわけがありません。また、余計なことを言うと益々自分が悪者になるような気もして、ただ沈黙していました。

この後、やにわに師匠はKに対して、「メガネをはずせっ」と怒鳴ったかと思うと、Kの頬を「バチーン」とひっぱたきました。そして私を睨みつけて、「ええかっ、Kはお前の代わりにどつかれたんやぞっ」と言い捨ててその場を去りました。

私はやり場のない怒りを感じました。そして師匠に対しても自分勝手な思いを心の中でぶつけていました。

「仏門に仕えるものならば、Kが嘘をついているのか分からないのか?」
「ド新人の小僧が勝手も知らない畑で、命じられもしないのに自発的に水をまくはずがないではないか」
「どうしてKなんかの言うことが信用されて俺は誤解されるのか」
などなど

そんな調子でKにはその後もずっと苦しめられ、そしてある日、ついに私はキレましたが、その話はまた後にいたします。

この会社にはKのような人間はいませんが、世の中にはこのような人が確かにいます。また、会社という組織を人とみなすと、このように行儀の悪い振る舞いをする会社もたくさんあります。

サッカーのようなゲームの世界では、うまく審判の目を誤魔化して相手を転ばせたり、ユニフォームを引っ張ったり、蹴飛ばしたりすることは普通ですし、わざと転んでPKを奪うなどということは逆に技術として評価されたりします。

欧米、特にヨーロッパでは歴史的に泥棒が一つの技術としてもてはやされるといった風潮があります。話は逸れますが、私がスペインの地下鉄に乗ったとき、駅で降りようとすると一人の若者がドアをふさぐようにして向こう向きに立ちふさがり、ホームにいる女性と話を始めました。私はこの若者の後ろでもたついていると、グルになっているもう一人の仲間が私の尻ポケットから財布を抜き取ろうとしました。私の妻がそれに気付き、他の乗客も注意したので事無く済みました。ちなみに、若者が声をかけたホームの女性は、突然話しかけられて当惑していたので、恐らく赤の他人だと思われます。そのあともこの連中は私の後をくっついてきて、エスカレーターのところで再度私の財布を抜こうとしたところを妻に注意され、両手を上げておどけて見せたそうです。彼らにとっては、このような行為はちょっとしたゲームのつもりなのでしょう。

日本人は比較的道徳心が強いとは思っていますが、中にはどうしようもなく卑怯な人間もいます。何はともあれ、そういった人とは距離を置くように努めるのが賢明でしょう。でも、自分の上司がこのような人間だと困りものですね。次回はそんな状況にいた私がついにキレた話をします。

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