【2010年3月1日の朝礼でのスピーチより】

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気管支炎になってしまいました。この3週間、せきが止まらずおかしいと思っていたのですが、そのうち治るだろうと医者にも行かずに済ませていましたが、ど
うも様子がただの風邪ではなさそうでした。ちょうど二人の娘も風邪をひいたので一緒に診てもらおうと、1年ぶりにかかりつけの耳鼻科に行ったら、先生から
「娘さんよりお父さんのほうが深刻だよ」といわれ、注射を打たれた上、2日後にその後の様子を電話で伝えるよう言われました。そういえば妻の友人もつい最
近肺炎になり、1カ月ほど入院したということでしたが、風邪だと思って侮ってはいけないものだと思いました。

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私は花粉症以外にはこれといって医者の世話になることもなく、体は人より丈夫だと思っておりましたし、元来、病は気からというように、ちょっとした風邪く
らいで病院へ行くなどというのは恥だとすら思っていたので、大概は我慢してすごしてしまいます。しかし、今回の自分の症状は、亡くなる前の父のそれにそっ
くりだったので、ちょっと心配になり医者に行くことにしました。

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父が亡くなったのは丁度8年前で、時期も今頃でした。正月ころに風邪をひき始め、どうも長引くと思っていたらそのうちに肺炎となり、見る見るうちに衰えて
行きました。それまでは、体は頑丈で食欲もあり、快食快眠を絵にかいたような生活ぶりでした。亡くなる直前まで現役で働いていましたし、自分では100ま
では生きるだろうと言っていたのに、あっさりと逝ってしまいました。

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自分の体に自信がある人のほうが、かえって自分の体を痛めていることに気がつかず、気づいたら手遅れいということがよくあるようです。そういえば、父は樺太出身で予科練で鍛えられてきた大正生まれの男ですから、日ごろから心身のことで弱音など吐かないタイプでした。

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私にしても、そのような父に育てられ、挙句に比叡山で3年間小僧をさせられるという経験までしたので、それなりの艱難辛苦に耐えてきたという自負がありま
す。冬になり周りで人々が寒い寒いと言っていても「比叡山の冬は本当に寒かった、それに比べればこんなもの寒いうちにも入らん。」とバカにしていました。
比叡山では、霜焼けで手は倍に膨れ上がるし、真冬でも靴下も履かずに一日中暖をとることもせず作務に従事していたのですから。しかし、それに比べれば東京
の冬など屁でもないと、わざと薄着で過ごしたり、暖房も付けずにいたりと、今思えばやせ我慢をしていたのかもしれません。

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いくら昔そのような生活をしていたといっても、それは10代半ばのころのことです。今のように暖衣飽食の生活にどっぷりつかり、年齢も50に近くなってきているのにいつまでも気持ちだけ昔のようにあろうとしてやせ我慢していても、体のほうはついてこられません。

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人間にとっての心と体は、良い人生を生きるための道具ですから、その道具を粗末にしてはいけません。自分の心をいたわり、体をいたわるということは、自分
を甘やかすということではなく、自らを幸福にし、周りの人々をも幸福にしていくための重要なメンテナンスと思わなくてはならないでしょう。

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