私がはじめて入ったK社の話。
この会社は京都に本社があり、社長も京都の人で当時40代半ばくらいだったでしょうか。
このK社長にはずいぶんと嫌な思いをさせられました。こちらも社会経験が無い生意気なだけのガキでしたから、嫌な思いをした原因の何割かはこちらにあるのかもしれませんが、K社長は私にとっての反面教師となっています。
彼はいろいろとユニークな面(もちろん皮肉をこめて)を持っていましたが、その中でもケチというのは度が過ぎているように思いました。

ストックフォーム再生
当時のプリンター(ラインプリンター)ではストックフォームといって、幅15インチでページの切れ目にミシン目の入った用紙に印刷するのが普通でした。K社では金曜日の定時になると全員が仕事をストップしてこのストックフォームの再生作業を行うのが慣わしで、私が配属された東京支社でも同じでした。一度印刷した用紙は捨てずに再生用の箱に入れることになっておりました。印刷した用紙の裏面はまだきれいなので、これを再利用するのです。当然ミシン目で切ってしまっているので、何箇所かをセロテープでとめて一つながりのストックフォームに蘇らせるのです。ですから、新品の用紙に印刷した場合は極力ミシン目で切り離すことはせずに、つながったままでソースリストなどを見る習慣がありました。

しかし、折角このような作業をしても、セロテープで貼っただけの再生用紙ではしょっちゅうプリンタがジャムって、作業効率が悪くて仕方がありませんでした。私は最初このような習慣を知らず、「なんでこんな用紙を使っているんですか」と聞きましたが、「それは社長命令だから...」というのが答えでした。
これを書いていて思い出しましたが、このストックフォームをミシン目で切り離す作業の速度についてK社長と口論になり、二人でページ切り離し競争をしたことがあります。その話はまた後日。

この会社ではまた、蛍光灯はところどころ間引いて電気代を節約しておりましたし、京都本社の社長から東京支社への業務の指示は、電話だと長距離通話となり高いので、もっぱらFAXで業務指示のメモが送られてきました。大切な資源を有効利用するのは立派なことかもしれませんが、どうもその動機が単なるケチくさい了見から出ているようでイヤでした。

飲み会
K社長が東京に来ていたあるとき、4、5人の社員が残業を終えて帰ろうとすると珍しくK社長が我々を呑みに誘いました。女子社員に対しては、休みの日に呼び出して飲食につき合わせるということはありましたが、男ばかりのときに誘うというのはこのときが最初で最後でした。会社から程近い居酒屋で飲み始めたのですが、のっけから貧乏くさいのですこの社長は。最初にビールを頼んだときに言うセリフがこうです。「ビールは高いから最初の一杯だけにせなあかんよ、どうせうまいと感じるのは最初だけなんやから。二杯目からはサワーやっ」 これには白けてしまい、呑むのが大好きな私もさっさと帰りたい気分になりました。

そしてせいぜい三杯くらい飲んでお開きとなりましたが、私を驚かせたのは勘定のときの社長の対応です。先輩が「社長、勘定どないしましょ?」と聞くと、社長は計算書を見てササっと割り勘の計算を始めたのです。「一人千円ちょっとのはずなのに、自分から誘っておいて割り勘かよっ、この社長は」と私はあきれましたが、社長は計算が済むと5秒くらいウーンと考え込んだ後、「まっ、今回はおごりや」と申されました。なんだかとっても世知辛い気分になりましたね、このときは。

K社長は外へ呑みに誘うことはまれでしたが、元来呑むことは好きだったので、酒とつまみを買い込んで会社のそばにある社員のアパートで集まるということがよくありました。私も誘われたことが一度あり、行ってみると近所の西友で買ってきた惣菜が並んでいました。そこで社長曰く、「こういうものは夕方6時過ぎに買いに行かなあかんで、値段が下がったところを見計らって買ってくるんやっ」 私はまたかと思いましたね。確かにそりゃそうだろうけれど、社長の発言としてあまりにもみみっちい。この社長を見ていると、自分の今の姿とか、将来とかがものすごく惨めに感じられて夢も希望もない寂寥感に襲われたものです。

本社出張
本社が京都にあったので、たまに東京の社員も本社に出張がありました。このときは必ず社長のクラウン(ディーゼル)に社員が同乗して電車代を浮かします。私も一度だけ仲間と京都出張に行きましたが、車を運転していた社員が高速道路で居眠りをしていて生きた心地がしませんでした。事故があったらどうするつもりなのでしょうか。リスク回避よりもコストを優先する典型例ですね。そして、京都に着くと宿泊させられるのは社長の家の敷地にある、社長一家が経営するアパートの空き部屋です。夕食は近所にある「餃子の王将」でご馳走になりましたが、風呂には入れてもらえませんでした。

そのとき思いました、「自分が社長の立場だったら、こういうときは社員には普段食べられないようなものをご馳走するとかして、ねぎらうはずだがなあ」と。私の父は、社員は数人とはいえ会社を経営していましたが、金は無くともこういうことには太っ腹な男でしたから、私にも自然と経営者とはそういうものだという考えが身に付いていました。ですからこの社長のケチさには本当に驚きました。
もちろん、この京都出張には日当も宿泊費も出ません。まるでタコ部屋に入ってしまったような気がしたものです。今考えると労働基準法に触れるかも?

私もケチ?
このようなことがあり、今の私は出来るだけ父のように人には厚く遇したいと思っています。ベンチャーキャピタリストから見た、伸びる会社、だめな会社を解説した「スリッパの法則」を先日読みましたが、この中で社長はケチな方がよいというくだりがありました。たしかに会社経営にはケチに徹してコストを削減するという姿勢も大切だと思いますが、一番の経営資源である“人”がやる気を失うようなケチはよろしくないと思います。しかし、かくいう私もある意味ケチでは筋金入りかもしれません。何を買うにも少しでも安くと思い、カカク.comは欠かさずチェックしますし、いつも削れる経費は何かを気にかけています。これは自分が優秀な経営者であるとかいうことではなく、本当に貧乏を経験すると誰でもそうなると思います。ただ、ケチな人間として見られることは本望ではありませんので、そのような気配を感じたら遠慮なく忠告して下さい。

蛇足1
私がK社長と喧嘩して会社を辞めて、フリーになったときに手にした月の報酬額は100万円を超えていました。そのとき私は小さな夢を実現しました。それは、かつての同僚たちを誘って、すし屋で思い切りご馳走するということでした。まあ、私の思いつく贅沢というのは、すし屋でたっぷりと刺身を注文してから寿司を食うという程度のことですが、皆喜んでくれたので、2回ほど開催しました。これはK社長に対して、俺ならこうするぞという仕返しのようなものかもしれません。

蛇足2
K社長は、女子社員を呑みに誘うことがよくあるようだといいましたが、あるとき後輩のY嬢がほほを膨らませてぷんぷん怒りながら私に訴えました。
休みにK社長からアパートに電話がかかってきて、「これから食事にいかへんか」と誘われVOLKSへ行ったそうです。彼女曰く「自分だけワインを2杯も飲んでおいて、割り勘やったんやでー、こっちは折角の休みに付き合わされた上にお金まで払わされるなんて、どう思う?」 さもありなんという感じでした。

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