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今日からまた、毎年夏恒例のサイパン島慰霊法要へ行ってきます。
この慰霊法要は、天台宗の栢木寛照師が主宰する三宝莚によって毎年実施されており、今年は第31回目となります。私自身はこの慰霊法要には第7回から参加しているのでもうすでに20年以上になります。

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さてこの慰霊法要では、第2次大戦で戦死した多くの軍人、民間人を慰霊するために激戦や玉砕のあった場所において法要を行います。また、先の大戦で多くの尊い命が失われたということ、そうした犠牲の上に現代の我々の平和な社会が成り立っているという事実を若い世代に知らしめようと、新聞で公募した中高生40名ほどを同行します。こうした費用はすべて三宝莚が負担しています。

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サイパンはグアムやロタなどを含むマリアナ諸島の一部で、元々チャモロ人の住む島であったが16世紀にスペインの統治下におかれました。その後、アメリカとスペインの戦争(米西戦争)によりスペインが敗れると、島はドイツに売却されましたが、第一次大戦でドイツが負けたことにより戦勝国である日本の委任統治領となりました。戦前はサトウキビ栽培などの製糖産業が発展し多くの日本人が移り住み、ガラパンには日本人街も出現し、戦時中は現地人4千人に対して日本人および日本の植民地の台湾人、朝鮮人を含めた人口は3万人だったということです。

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しかし、日本軍司令部の置かれていたサイパンは、終戦の前年1944年6月に上陸したアメリカ軍の激しい攻撃を受け日本軍は7月7日に全滅し、多くの日本人が集団自決や崖から投身自殺を図り、民間人も含めて日本人約5万5000人が亡くなりました。(毎日新聞より)
このとき玉砕のために多くの民間人が海へ飛び降りた崖をバンザイクリフ(天皇陛下万歳と叫んで飛び降りたので)、同様に高い山の絶壁からも多くの人が身を投げた崖がスーイサイドクリフ(自殺の崖)と呼ばれています。毎年この2か所と、アメリカ軍の艦砲射撃により穴だらけになっている日本軍の司令部跡で慰霊法要を執り行います。

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悲惨な戦争から65年が過ぎましたが、サイパンに行くと今でも打ち捨てられた戦車や高射砲を見ることができますし、浅い海の底には日本の戦闘機が沈んでいるのを見ることもできます。また、山肌にはまだ多くの艦砲射撃の跡が残されており、まだまだ戦争の傷跡が生々しく残っているのであります。

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そうした場所を青少年とともに毎年訪れるのが、サイパン島慰霊法要です。私は事前準備があるので本隊よりも1日早く今夜出発して、1週間滞在してきます。

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