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最初に入ったK社の社長が社内ミーティングか何かの席でちょっとした話をした。社長というものは折にふれ、仕事とは直接関係ないけれども教訓めかした話をするものである。私などはその最たるものですが。

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その時のテーマは「Be a Gentleman」(紳士たれ)というよく使われるものでした。話の内容はよく覚えていませんが、社会人たるものは紳士としての振る舞いをしなければならないというようなことだったと思います。

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しかし、当時20代そこそこの自分からしてみると、まだまだやりたいことがいっぱいあるどころか、何をしたいかすらよく分からないのに、いきなり「紳士たれ」と言われても全くピンときませんでした。私は「紳士」と言われても発想が貧困なので、きちんとしたテーブルマナー、レディファースト、シルクハットが似合うような、いわば執事カフェで働いているような男しかイメージできませんでした。いずれにしろ「紳士」というと何か人間的に丸くなったおとなしい男、いわば牙を抜かれたライオンのようなネガティブイメージが浮かんできたのです。

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若いうち、特に男性は、カッコいい男というと、どうしても見た目がカッコいいとかスポーツが得意とかいうような外見的なものを考えてしまいがちです。学校では、勉強ができるということよりもスケートボードがうまかったりファッションセンスが良かったり、ツッぱって先生に反抗したりする人の方が同級生からはかっこいいと思われるものです。

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私が子供のころ、「空手バカ一代」という漫画がはやり、「強い」ということがものすごくカッコいいと思ったものです。一見普通に見える人が簡単にやくざをやっつけたり、牛やクマと戦ってこれを倒したりするシーンを見て、純粋に自分もああなりたいと思ったものです。

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しかし、社会に出てみると、思い込みや腕力だけでは何もできないということを思い知らされます。目の前の些細なことすら自分の思いどおりにはならないことに、自分に対してイライラします。

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そういう中で、本当の格好よさとはそれまで自分が思い描いていたものではなかったことに気付いてきます。難しいと思われる仕事をこともなげにこなしてしまう先輩を見てかっこいい、クールだと思うことでしょう。さりげなく部下を思いやる上司を見て、自分もそうなりたいと考えることもあるでしょう。やはり人生の手本は身近な人にあり、その人の所作を見てそれをまねることにより少しずつ成長していくのです。

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Gentlemanというのは生まれながらにしてなるものでもないし、ある日突然そうなるものでもないでしょう。人生というコースを外れることなくあたらず障らず無難に過ごしてきた人がGentlemanではないのです。若い時には人間としての枠を思い切り使う、それがエンジンだとすると最大限まで回転数を上げ、時にはレッドゾーンを振り切るような体験をして初めて自分の能力やニュートラルの位置などが分かるようになるのです。

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自分が正しいという思い込みが、周りにとってただ迷惑なだけだったり、良かれと思ってしたことが人を傷つけたり、そういう体験をたくさん積み重ねて初めて人を思いやることのできる「紳士」になっていくのだと思います。

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だから、若い社員やこれから入社してくる学生さんに対して頭ごなしに「紳士たれ」などと言っても何の効果もありません。まさに蛙の面にしょんべん、馬の耳に念仏です。私は会社ではこういいます。「まずは好きなようにやりなさい、尻拭いは俺がするから。だけど、30くらいまでには大人になってくれよ」と。「紳士」がどうとかいうのはそれからだと思っています。

蛇足:
「尻拭いは俺がする」などとはいっても実際そう簡単なことではなく、自分も満身創痍になったりするので、決して言うほどカッコいいことではありません。

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