□□□□
「テキサスの思い出」のつづきです
□□□■
平日は、N氏も仕事があるので彼の邪魔にならないよう1泊ホテルを取ってニューオリンズに足をのばすことにしました。今度はサンアントニオとま逆の東側に向かって500Kmほどの距離があるので飛行機で移動しました。サウスウェストという国内線で、機体は日本人の感性からすると受け入れにくい、まっ茶色で塗られており、乗員も半分ほどが男性(若い兄ちゃん)で、男女とも同じポロシャツがユニフォームという何とも田舎くさい感じの飛行機会社でしたが、その分価格も安いのでした。
□□■□
滞在先はメリディアンホテル(現在はマリオット)、フレンチクォーターという中心地までほど近い場所にあり、徒歩で観光ができました。沼地の川をボートで回るBayouツアーではワニが見られて、一緒に行った男の子は大喜びでした。昼は水族館を見てFelixレストランでザリガニ料理を食べ、ミシシッピ川のボードウォークを散歩。夜は女性とそのお子さんをホテルに残し、男だけでバーボンストリートを徘徊。ここはストリップが観光スポットとして有名で、小泉八雲の生まれた家もこの通り沿いにあるのですが、ストリップ屋になってしまっていました。ストリップといっても観光客の白人老夫婦が平気で来ているくらいソフトなもので、ちょっとしたダンスパフォーマンスという感じ。
□□■■
私たちが入った店も観光客だらけでしたが、当時は日本もバブルで元気だったので、我々を日本人とみると踊り子の女性が寄ってきて「テーブルダンス」はいかが?と誘ってきます。自分の座っているテーブルの上で踊ってくれるらしく、これをやってもらうとチップをはずまなければなりません。そのようなものを頼むと、店中の注目を浴び、「あの日本人スケベね」とか、「やっぱり日本人は金持っとるのう」などと思われたくなかったのでやんわり断りました。
□■□□
この店でちょっと気づいたことがありました。テーブルに着くと女性がオーダーを取りに来てビールなど運んでくれるのですが、料金はその場で支払います。最初はビールを持ってきてくれるとそのまま黙って飲んでおりましたが、ふと隣の白人観光客を見るとちょっと興味深い所作をします。相手がビールを運んできたときにチップを渡すのですが、それが何とも自然でかっこいい。たとえばバドワイザーが$2だとしたとき、相手はお盆からビールをテーブルの上に置きます。すると男性はそのお盆に$5札を載せます。相手は$3をそのお盆に載せてお釣りで返してきます。それを一旦受け取って、3枚のドル紙幣を数えながら、そのうち1枚を盆の上に返すのです。つまりそれがチップの支払い方でした。
□■□■
それを見て、チップを渡し忘れていたことに気づき、次からは私も同じことをまねしてやってみました。相手は小さくサンキューといって会釈しましたが、そういえばさっきまでは何となく不貞腐れたような妙な顔つきをして去っていったのは、チップを渡さなかったからかと合点がいきました。こういうちょっとした所作を憶えるとこういう遊びも楽しくなります。同行の仲間が私の動作を見て感心しながら「なんでそんな払い方を知っているの?」と聞くから、今そこで見たのを真似しただけです。と答えました。普段の生活の中に学びのチャンスがありますね。
□■■□
そのあと、ライブ演奏をやっているパブで一杯やり、さらにプリザベーションホールという有名なジャズライブのお店に行き生演奏を楽しみました。最初に店は大きなホールでしたが、プリザベーションホールはごく小さい店で入れるかどうか心配でしたが、このような有名な店でもほとんどの人は外でただ聞きしていて、お金を払って入店する人は少ないらしく、さほど待たずに入れました。なぜか日本人らしき東洋人女性が受付をやっていたのが不思議でした。
□■■■
翌日は、町を一人で歩きたかったので私は単独行動。少々危険とは言われていたけれど、一人でルイ・アームストロング公園へ行ってみました。なんてことはない公園でしたが、妙に人気がなくてちょっと不気味でした。
■□□□
まあアメリカへ行って驚いたのは、スーパーへ行ったときに何でもでかいということです。牛乳でも肉でもサイズが日本の2,3倍はありながら値段は日本より安いので、大食いの私はとてもうらやましかった。ヒューストンのスーパーではオマールエビのでかいのを2匹買ってきてN氏のアパートで茹でました。イセエビのような味覚を期待したのですが、食べてみると大味でがっかり。でかい図体でガソリンばかり食って馬力のない当時のアメ車のようなものでした。
■□□■
夕食が後わり後片付けもひと段落したのに、大半を食べ残され、「このままでは死んでも死にきれません」とテーブルの上で恨めしそうにしているエビを見ていて哀れになり、何とか成仏させてやろうとその身をむしってほぐし、酢としょうゆで味付けをしてみたらこれが大当たり、最高の酒のつまみになりました。要は調理法が悪かったのですね。
■□■□
N氏のアパートにはいかにもアメリカらしく共同のスパがあったので、夜中に皆で入りに行きました。先客が一人いましたが、我々が行くと「湯加減はいいよ」などと一言発して帰って行きました。見知らぬ東洋人が集団でやってくると、やはり不気味なのでしょう。「ハーイ、君たちはどこから来たんだい?」みたいなフランクさはありませんでした。Fiesta Texasのウォーターライドに乗る時も、私たちの他にももう2名くらい乗れたので、後続のカップルに従業員が同乗を促すと、彼らは顔をこわばらせて拒否しました。何となく人種差別される側の気持ちがわかるとともに、いろいろな人種の人がたくましく生きている国だなと思いました。
■□■■
帰国の際、AAの国際線で幼稚園児の男の子がニューオリンズで買ったワニの水鉄砲を係員に没収されました。銃の形状をしているので持ち込みはならんということですが、見ると笑っちゃうようなワニの水鉄砲を本気で武器と思う人がいるのかどうか、9.11のテロのずっと以前でしたが、飛行機のセキュリティは昔からうるさかったですね。
【おまけ】
昼に立ち寄ったバーボンストリートのパブで、カウンターに行きビールを注文した。カウンターの中には太った黒人のオバちゃんがいて、「ビア・プリーズ」は簡単に通じたが、「ジョッキの生」をどういうのか分からず往生した。「ジョッキ、ジョッキー」と行ってもオバちゃんは怪訝な顔で睨んでいるだけ。しょうがないので、隣の席で飲んでいる客のジョッキを指差して「This one!」でようやく通じた。
しかし、テキサスは外国人観光客やヒスパニック、東洋人、黒人などの非WASPが多く集まっているので、英語が通じなくてもそれほどおかしなことではないし、相手も辛抱強く聞いてくれる。日本人だと英語で話しかけられたら逃げだす人が多いだろうが、言語に寛容性の高いのが多国籍の国のよい面である。