まだK社にいたころ、今から20年前くらいの話。
空港で飛行機に対するサービスを行うA社へ納めるシステムをK社が請け負っていた。この仕事はF社が元請であるから、私がいたK社は2次請けということになる。K社長と私で基本設計をし、その後の工程を京都の本社にバトンタッチするというものであったが、この仕事の途中で私はK社を辞めたので、この仕事と、並行して行っていたT紡績への仕事がK社での私の最後の仕事ということになる。
A社のシステムで基本設計書を私が書き、それを社長がチェックして元請のF社に提示するという流れであった。当時はワープロもなかった時代なのですべて手書きでドキュメントを作成した。文章主体の設計書のほかにも必ず最初に出てくるのが画面仕様書とファイルレイアウトなどで、何度も書き直すので非常に骨が折れた。私などは設計そのものの作業は好きだったが、ペンでものを書いては修正するという作業が非常に苦痛で、そのためにSEという仕事をやめたいと考えていたほどである。当時は私のみならず、同業の人たちの指には立派なペンだこができているのが普通だった。
私はA社向けの仕事のほかにもT紡績向けのシステムや、社内の別案件の管理などもやっていたのでいつも時間が足りなかった。そこで、後輩の女子社員のMさんが字を書くことを得意としていたので、彼女にワープロ係をお願いしていた。私がプリント用紙の裏に殴り書きした文章を彼女が清書してくれるのである。最後のころは自分でも読めないような字を彼女がきちんと読み取ってくれるようになった。
さて、元請のF社では担当のT課長とその下のKさんがこの仕事の担当であった。Kさんは私とあまり年も違わず、物腰の柔らかい感じの人だったのでやり易かったが、その上司のT課長というのはあまり能力のない割には面子だけにはこだわる感じで、私に対しては横柄な態度をとるしとてもやりにくかった。
あるとき、T課長から打ち合わせをやるので仕様書を持参の上F社まで来いという連絡が入った。社長は普段は京都の本社で不在なので私が対応する。Mさんに清書してもらって仕様書を更新し、打ち合わせに備えた。
私の会社があったのは八王子に近い豊田という駅で、F社のオフィスは虎ノ門にあった。打ち合わせの当日、F社に着いてみるとT課長はいたが部下のKさんの姿がない。彼も私と同様別の仕事を掛け持ちしていたので、その日も不在のようだった。しかし、実際の業務内容を把握しているのはKさんなので、彼がいないと打ち合わせの意味がない。
T課長は私の顔を見るなりしまったという顔をした。打ち合わせのことをすっかり忘れていたらしい。T課長は「せっかく来てもらったけれどK君がいないんだよなあ...」しばらくもごもご何かしゃべっていたが、打ち合わせを別の日に延期して私には帰ってほしい様子だった。このころの私は社長とも折り合いが悪く(最初から悪かったが)、この仕事も自分だけこき使われて、元請のT課長やうちのK社長が客先で偉そうにものを言うのを見て嫌になっていた。
こんなこともあった。夜遅く私がA社に提示する画面仕様書を書いていると、K社長がそれを見て怒り出した。それは、私が1枚の画面仕様書に4つのパターンの画面レイアウトを書いていたからである。私としては、どういったデータが画面上に必要か、エンドユーザに決めてもらう参考として親切心で4つのパターンを書いたのであるが、社長の意見は違った。そんな流暢なことをやっていたら時間がかかってしようがない。時間がかかるということは利益が少なくなるということだ、だから客の意見など聞かずにこれという1パターンに限定しろというのである。私には、どれがどの程度重要なデータかわからないので、決めろといわれても決めようがないのだが。こんな調子だったのでこの社長と仕事をしていてもちっとも面白くなかった。
そのようなこともあり、すでに会社も辞める意思がかなり強くなっていて、どうでもよくなっていたところだった。そこで私はT課長に対して「こちらは豊田から2時間もかけて来ているんですよ、資料だって今日のために何日もかけて準備してきたんです」とかなりキレ気味に迫ったところ、T課長は見るからにうろたえ、ひるんでいた。“この若いの、怒ると何するかわからん”とでも思われたのだろうか。
「じゃあ、私が内容をチェックしよう」とT課長も折れて、レビューが始まった。しかしレビューの内容は仕様とはまったく関係のない、句読点の打ち方やら字の大きさや図の配置など、どうでもよいようなことばかりに留まった。挙句の果てに、私がMさんに清書してもらった文章が、ところどころ1行おきだったり行間を空けていなかったりしたので、それを1行おきに統一しろなどということを言い出した。なんとも言えない虚無感を抱きながら私は黙って聞いて、この日のレビューは終了した。
このようにどうでもよい作業が未来のあるエンジニアを潰していくような事例は過去からたくさんあったのではないかと推測する。人間の創造力を延ばすには、いかにその障害となる関係のない雑用から開放してあげるか、だと私は思っている。
後日、私は指摘された箇所を直してT課長に仕様書を突き出した。それを見てT課長はあんぐりと口をあけた。なぜなら、行間を空けろと指定された部分は書き直したのではなく、紙を1行ずつ切り離して行間を空けた上で、テープで止めておいたからである。もちろん、私が清書係のMさんに、こんなくだらない理由で字を書きなおす必要はないから、カッターで切り貼りしてくれと頼んでやってもらったのだ。T課長はあきれた様子だったが、それ以上何も言わなかった。
つい先週、その当時の私をよく知る一回り年上の知り合いと飲みにいった。そこで彼は、「阿部君は若いときから反骨精神があったよなあー」といってくれたが、人からそのように言われると妙にくすぐったい。実際はこんな仕事には未練はないからいつでも辞めてやるという、開き直りというほうが近かったのではないだろうか。