日露戦争の停戦を仲介したアメリカの大統領セオドア・ルーズベルトの言葉を紹介します。

「批評するだけの人間に価値はありません。真に称賛しなければならないのは、泥と汗と血で顔を汚し、実際に現場に立つものです。勇敢に努力する者であり、努力の結果としての過ちや、至らなさをも持ち合わせた者です。」

最近はネットで色々な情報が簡単に手に入るので、世間の出来事に何かと批評や批判を加える人たちがいます。しかしそうした人の中にどれほど真に世の中に役立つ活動をしている人がいるのでしょうか。ただただ批判を繰り返して自己を顧みない人が多くはありませんか。特に言論人や政治家といった立場の人たちの中にそうした傾向が見られます。

私が20代後半に勤めていた会社での話です。社員数十人だったその会社はより大きな会社に買収され、上場計画が進められることとなりました。そこで私より5歳くらい年長の社員が課長に抜擢され会社の組織改革に乗り出しました。同年代の社員は何人もいたのですが、この課長は学歴もあり口も達者だったので管理職に向いていると上層部が判断したのでしょう。

この課長、何かというと管理管理と言ってルールや手順について口やかましくなりました。ある時、自分より年上のパートナー社員を自分の机の前に呼び出して、横柄な態度で何かを詰問しているのを目撃しました。傍で見ていても「そんな言い方は無いだろう」と憤るとともに、ぐっと堪えて対応しているパートナー社員に同情しました。そして最後に「うん、わかっているならいい!」と話を締めくくってその社員を解放しました。これは多分、自分のポジションにふさわしい対応を取っているということをアピールするためか、あるいは本当に自分が偉くなったと勘違いしていたかのどちらかでしょう。

あるとき「阿部ちゃん、阿部ちゃん」と、この課長に呼ばれました。彼の机の前に立った私に自転車のカギを差し出して、「これをAさん(派遣会社の社員)に渡して分室にある書類を持ってこさせて」と指示してきました。しかし私は数か月前に転職してこの会社に入ったばかりでその分室がどこにあるのか、自転車がどこに置いてあるのかも知りません。しかも、そのAさんはこの課長の斜め前の席に座っています。そこで私が、「Aさんはそこにいるんだから直接指示すればいいのでは?」と尋ねたところ、「阿部ちゃん、組織上君が彼女の上司なんだから君が指示するんだよ」と言われました。その後も、組織としての指揮命令系統や管理上の役割分担などいろいろ言われた気がしますが、「まあ正論なんでしょうが、なんだかなあ・・」というスッキリしないわだかまりが残りました。

この会社ではこうした管理職が評価されるようになっていたので、周りからは優秀な課長として通っていたのでしょうが、それからしばらくして、この課長のエンジニアとしての実力不足が露呈することとなります。彼は私が受け持っていた案件のマネージャーとして参画してきたのです。しかし、実際に彼が業務を始めるとなるとこれがまた全然能力不足。まともにプロジェクトを終わらせることができないばかりではなく、あろうことか客である発注会社の担当者に責任転嫁する始末。そして私にこういいました「あの部署の仕事はもう切ろうと思うんだけどいいかな?」

私は元々自分で起業するつもりでしたが、もう少し準備期間が欲しいと思ってこの会社に入っただけだったので、この一連の出来事をきっかけにこの会社を辞めることとしました。

それから相当後になって元の同僚と会う機会があり、「そういえばあの課長、今はどうしている?」と尋ねました。すると、客先で不祥事を起こして降格になったとのことでした。なんでも、自分の部署の利益を出すために不正を働いたとか。自分が日頃口にする理論に対して自分の実力が伴っていなかったのではないかと思うと、この課長にも辛かったんだろうなと同情をいたします。

リスクを冒して何かを実行する人は、かならず失敗もします。言うだけの人たちはそれをあげつらって批判しますが、真に称賛されるべき人というのは、そうした批判を恐れずに実行し続ける人だと思います。特に優秀でなくとも、財産を持っていなくとも、自分の信念に基づいて実行する人です。最後にもう一度ルーズベルトの言葉です。

「批評するだけの人間に価値はありません。真に称賛しなければならないのは、泥と汗と血で顔を汚し、実際に現場に立つものです。勇敢に努力する者であり、努力の結果としての過ちや、至らなさをも持ち合わせた者です。」

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

上部へスクロール