4月1日より新人2名が入社しました。本来であれば入社式、新人歓迎会を開催するところですが、今年度はそういったイベントは自粛して初日から研修がスタートしました。また、研修の方も4月8日からは先生も受講者もリモートで行うという、初めての試みを始めましたがこれまでのところ目立った問題は起きていません。

今回のコロナショックはまだ現在進行形であるという点で、地震災害やテロのようなものとは異なります。一般的に災害やテロの場合は一瞬その事象が発生して混乱しますが、その後からは復旧フェーズに入りますので先々の見通しもつきやすいものです。ただ東日本大震災の場合は原発がメルトダウンを起こしたので、放射能による被害が収束するのか拡大するのか見通しがつかなかった点で今回のコロナショックと似た側面がありました。

このコロナショックは1930年代に発生した「世界大恐慌」以来の災害になるのではないかと言われ始めています。もちろんこの大恐慌を経験した人は100歳以上の人となりますから私をはじめ世界中探してもほとんどいないということです。

しかし、子供のころ父親の書棚に「恐慌は来るか」というタイトルの本があって、”恐慌”という文字のニュアンスからなんだか空恐ろしいものと感じた記憶があります

まさか自分が生きている間にそのような歴史的な「大恐慌」が再来してくるとは思ってもいませんでした。

世の中は自粛ムード一辺倒です。昨日の日曜日(4月12日)に蒲田駅前周辺を歩いて見ましたがほとんどの飲食店が休業中でした。私がランチで行きつけのタイ料理店も「もう閉めようかと思っている」と店のママさんが嘆いていたので、何とか頑張ろうよと励ましてきました。そんな行きがかり上、この店のテイクアウト弁当の宣伝チラシを作ってあげることになりました。(店のママさんはタイ人なので日本語の宣伝チラシを作れないので) 他のなじみの店でもなるべく弁当を買ってあげたり食べに行ったりしています、困っている人には何とか力になってあげたいものです。

ただ、「ピンチの中にチャンスあり」という言葉通り、悪いことばかりではありません。今回の事象により、もしかすると日本の働き方が大きく変革するかもしれません。これまでさんざん「働き方改革」だとか「時差出勤」などと政府が笛を吹いてきましたが雀踊らずで日本はまったく変わることなく朝夕の通勤ラッシュは永遠に続くかと思われていました。しかし、今は通勤ラッシュはなくなり多くのデスクワーカーが在宅勤務をしています。(うちの会社でも8割がたテレワークに移行しています) 頑迷な日本社会のしきたりがコロナショックにより打ち砕かれたわけです。私は、この流れがコロナ終息後も続いてほしいと思っています。我々の業界としても、これまでのようにSES(客先常駐)ありきではなく、ITインフラを整え、きちんと成果を評価する仕組みが構築され、在宅や持ち帰り案件が当たり前という形態になって欲しいものです。

在宅勤務が普及すると、これまで育児により職場から離脱した人、障害により出勤できない人、他人と直接的なコミュニケーションが苦手な人、頭がクリアな高齢者、外国人、といった人々が労働力として日本経済を活性化することになり、少子高齢化で労働人口が減っている日本のこれまでの状況を一変させる可能性があります。

今回の出来事を悲観して為政者に対して不平不満ばかりを言うのは人間としてあまりに能がなさすぎると言えます。私の好きな言葉に、「身に病があろうとも心まで病ますまい、運命に非なるものがあろうとも心まで悩ますまい」というのがあります。体が健康でも、金や地位があろうとも、日常の些細な出来事に喜びや感謝を感じることができない人は幸福とは言えません。こうした未曽有の大災害の中でも、生きている喜びを感じながら過ごしていきたいものです。

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