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前回に引き続き、人に対して批判やアドバイスをする難しさに関連した話です。
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私が高校3年生の時、普段は比叡山麓の律院という寺で一人留守番を務めていました。そこでの日課の一つに「お札(おふだ)作り」がありました。2ヶ月ごとに二千枚ほどの大黒様(大黒天)のお札を作成し、信者の方に発送するというものです。
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木のスタンプと墨汁で紙に1枚1枚判押しし、陀羅尼(だらに)と呼ばれる薄いお守り(病気に効くとかでちぎって飲む人もいます)を入れて朱印を押し、袴(ハカマ)と呼ぶ紙で巻いてから金紙の帯で封をするというもので、結構手間がかかります。こうしたお札は各寺で作成していました。小僧が多い寺では手分けして作業できますが、私はもっぱら一人だったので、大体の作業を自分なりに工夫してこなしていました。
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そんなある時、我々一門の関連寺院、京都の赤山禅院に何かの手伝いで数日間駆り出されました。この寺には小僧が数人いるのですが、場所が修学院離宮の隣にあり観光客も多く、特に祭礼の日には結構な人出があるので、そういった時には我々が助っ人として駆り出されることになります。このときもそのようなことでお手伝いに行ったのです。
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そこでMさんという人に出会いました。彼は元政治家の秘書をしていたとかで年齢も30過ぎの立派なん成人男性でした。何か思うことがあるとかで、小僧見習いとして赤山禅院に修業に来たそうです。寺の小僧という世界では、年齢などは関係なく、1日でも早く山(比叡山)の飯を食った者が先輩となり、先輩には絶対服従という掟があります。よって、当時高校生の私でも彼に対しては先輩ということになります。
※平安の昔から、「山」と言えば比叡山のことを指すそうです。この場合の「山」は一般名詞ではなく、誰もが知っている「あの山」という意味です。英語で言うとa mountainではなくthe mountainという表現になるでしょう。敬称をつけて「お山」ともいいます。
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しかし、彼の場合は一時的な預かりということでもあり、年齢もかなりいっていたので特別扱いでした。あるときMさんに運転をさせてどこかへ出かけた時、私の先輩のUさんが道案内役として助手席に座っていましたが、曲がる場所を指示するタイミングが遅かったのか、Uさんに対して「U(呼び捨て)、車は言われてすぐに曲がれないんだから、もっと早め早めに言ってくれよな」と文句を言っていました。確かにそうかもしれませんが、Uさんは私などよりずっと長く寺にいるわけで、本来このような物言いは許されませんが、Mさんはいわゆるイラチ(いつもイライラしていてキレやすい性格)な人ということと、本当の小僧ではなくゲスト扱いということで皆黙って受け流しておりました。
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夜になって私が作業場所から戻ると、広間では小僧が集まってお札作りが始まっていました。作り方は普段私がいる寺と一緒ですから、私も仲間に入って手伝いを始めました。その中に、Mさんも混じっていました。しばらくして、私のお札の作り方を見ていたMさんが、紙の折り方について「こうした方がいいよ」と、私に対して上から目線で指図をしてきました。気まずい空気が流れました。私が既に2年以上もこの世界にいて、普段からお札も一人で作っているということはMさん以外皆知っていることでした。
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きっとMさんは親切心でアドバイスをくれたのでしょう。実社会でそれなりに活躍してきたMさんが、その寺に住み込んで数週間、ある程度寺の生活にも慣れたころに自分よりもうんと年下の見知らぬ少年が手伝いにやってきて、自分のやり方とは明らかに違う方法でお札を作っている。ここはひとつ忠告してやろうと思い、イラチな性格から思ったら口に出さずにはいられなかったのでしょう。
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私としても困りました。「誰に向かって言ってるんだ!」と怒ってもよい場面でしたが、そのような大人げないこともしたくないし、といって昨日今日入ってきた人間の指示に従って自分のやり方を変えることもできません。しばらくどうしようかと思いつつ黙って作業を続けました。周りの小僧連中もどうしたものかと黙りこくっていました。するとMさんは、私が無視していると感じたのでしょう。また、自分よりうんと年下の人間に無視されていてはメンツが立たないと思ったと見えて、「おれの言ったやり方が気に食わないなら別にそれでもいいけどな」と捨て台詞を言いました。ここでたまらず先輩のUさんが、「秀照(私のこと)は普段から自分の寺で作っているんだから(新参者のお前が余計な事を言わなくても)いいんですよ」とようやくフォローを入れてくれました。
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これは、Mさんの性格によるところも大きいでしょう。通常は余計な口出しをして嫌な雰囲気を作るよりも事なかれで口を閉ざしている人の方が多数派でしょう。しかし、Mさんは実にアグレッシブな人でした。また、ストレートに物をいうだけに裏表のない人でもあり、私とは数日過ごすうちに非常に気が合って、いろいろな話をし、互いに一目置くような関係となりました。そして私が自分の寺(律院)へ戻る際は、握手をしてお互い頑張ろうという感じで別れました。
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この一件は、どちらも悪意はないのに緊張したコンフリクト(衝突)を起こしたという事例です。片方がキレてしまったり、根に持ってしまったらその後の二人の親密な関係は生まれなかったでしょう。どちらもそれなりに大人だったので人間関係を崩さずに済みました。しかし、人に忠告をする、アドバイスをするというのは、自分の立場、相手の立場、周りの状況などをよく考慮しなければならないという教訓になる出来事でした。
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このケースで、Mさんの側に立って考えると次のようになります。
自分の立場:まだその世界に入って間もない新参者である。
相手の立場:どこのどいつかと思っていた小僧(私が)が、その世界では自分よりもずっと経験豊富な人間だった。
周りの状況:多くの第三者がその場におり、自分以外は皆その小僧(私)が何者であるかを知っていた。この状況で、その少年(私)を批判することは、私のメンツのみならず周りの仲間のメンツをもつぶすこととなる。
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いくら自分が正しいと思っていても、強引な指図は後々禍根を生む種となるのです。十字軍だって自分たちは正しいと思っていたでしょう。しかしその結果多くの人が苦しむこととなったのです。とはいっても、社内で先輩が後輩に指導をする場合は、多少事情は異なります。これは、あくまで見知らぬ人や、他のバックボーンを持った人に対するときに注意すべきことと考えてください。