私ごとですが、一昨年から大学院のビジネススクールへ通っておりまして、今年の1月から修士論文の執筆で忙しく、マンデースピーチもお休みをいただいておりました。おかげさまで去る3月23日に無事卒業することができました。ご報告まで。
■■
最近たまたまWebで荻生徂徠の「徂徠訓」というものを見つけました。荻生徂徠は江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者です。
この「徂徠訓」は八カ条からなり、管理者の心得を説いています。「管理者の心得」というと堅苦しく感じますが、言葉巧みに人を都合よく動かすというような薄っぺらなものではありません。これまで曲がりなりにも人を雇用する立場で20年近くやってきた私から見て、実に意味深いものを感じます。
今日は年度の初めにあたり、当社も含めて世間一般の会社では大勢の新社会人がデビューしています。それと同時に、先輩社員たちは新しい後輩を受け入れるということでもあります。そのような日にあたり、この「徂徠訓」は丁度良いテーマだと思い、取り上げました。
■■
===== 徂徠訓 =====
一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて初めて長所のあらわるるものなり。
二、人はその長所のみ取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
三、己が好みに合う者のみを用いる勿れ。
四、小過を咎むる必要なし。ただ事を大切になさば可なり。
五、用うる上は、その事を十分に委ぬべし。
六、上にある者、下の者と才知を争うべからず。
七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
八、かくして、よく用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。
これらの言葉はそのままでも十分理解できると思いますが、わたくしなりに感じることを述べていきます。
■■
一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて初めて長所のあらわるるものなり。
優れた人材(我々の仕事では技術者)を簡単に採用できれば何の苦労もありません。しかし、人材というのはジグソーパズルのピースのようなもので、どこかからヒョイと連れてきてぴったりと望み通りの仕事をしてくれるなどということはまずありません。
自分の稼業の視点から申しまと、最初から即戦力となるような技術者を安易に求めるべきではないということです。まだ何も知らない未経験者をこそ雇用し育てていくべきであります。
新卒者の場合、その人の能力も将来性も未知数ですが、育てていくことによりその人その人の長所が見えてくるものです。またその長所は赤の他人ではなく、育ててきた先輩・上長だからこそ見えてくるものでもありますし、当然ながら短所も見えてくるわけです。
■■
二、人はその長所のみ取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
その人の短所をあげつらうよりも、長所を見てあげることが大切です。
しかし、そうは言いながらも重大な短所は根気よく注意深く是正する努力をすべきでしょう。
このあたりは武士道の精神を説いたことで有名な「葉隠」にも記述があり、三島由紀夫の「葉隠入門」では“批判の仕方”という項目で述べられています。意見をして人の欠点を直すことの大切さと難しさ、往々にして恥をかかせるだけの悪口となってしまいがちであるという、実に的を得た文章がありますので、また別の機会に紹介します。
自分から見てちょっと気に食わないな程度のことであれば、片目をつむって様子を見ることも大切です。我々のような中小零細企業では、社長をはじめとしてそんなに傑出した人材はなかなかおりません。大企業のように金にあかしてヘッドハンティングなどもできません。
中国の古典「水滸伝」では一癖も二癖もある悪党が108人集まり、それぞれの特徴を生かして自分たちの生きざまを世に知らしめて行くという物語がありますが、うちの会社もそういうような「梁山泊」であればよいと思っています。
■■
三、己が好みに合う者のみを用いる勿れ。
自分にとって使いやすい人ばかりを重用するなということです。人は誰でも間違いを犯しますが、周りにそれを指摘してくれる人がいないと大失敗をします。
耳の痛いことをあえて言ってくれるような部下はとても大切です。また、それを聞き入れる度量がなければそのような部下は離れていきます。
■■
四、小過を咎むる必要なし。ただ事を大切になさば可なり。
過ちは誰にでもありますし、組織の責任者、経営者も例外ではありません。細かいミスは見て見ぬふりをするくらいで丁度よい、また、それが何かをなそうとしてチャレンジした結果の失敗であればなおさらです。
頭ごなしに叱ってはチャレンジ精神の芽も摘み取ってしまうでしょう。上に立つ者は、小さな疵にはこだわらずに大筋で成功すれば良しとする感覚が必要です。
■■
五、用うる上は、その事を十分に委ぬべし。
以前に「任せるということ」で話しましたが、上は部下を信用して任せ、任せたからにはあれこれ口を挟まない。そして、失敗したら自分も一緒に泥をかぶる覚悟を持てば、部下もきっとそれに答えてくれる。ということです。
■■
六、上にある者、下の者と才知を争うべからず。
上に立つ以上、知識や経験は下の者以上にあるはずですし、まして経営者となるとより優れているはず、と言いたいところですが、その是非はここでは問いません。
それよりも、なまじ自分が優秀だと思っている人はとかく張り合いたがります。それがたとえ部下であっても容赦しない人がいます。こういった人には優れた部下がついてきません。
相撲の世界では、先輩よりも番付が上になることを「恩返し」といいます。たとえば、子供が親である自分よりも出世して医者になったり大学教授になったりしたら、親はそれを自慢することはあっても嫉妬を感じる親はまずいないでしょう。(親子で同じ仕事をしている場合は別ですが)
上に立つ者として、常に自分が一番であるよりも、自分よりも優秀な部下を何人育てたかということに喜びを感じるようでなければなりません。子供がはじめて絵を描いた時に、その絵を下手だと言って貶す親がいるでしょうか。
私が最初に勤めた会社の社長も自信満々の技術者で、社員とくだらないことでも張り合う人でした。私はこの社長とストックフォーム(当時良く使われていたコンピュータ用の連続用紙)の切り方で口論となり競争をさせられたことがありました。そして、社長は自分のほうの旗色が悪くなると、ごちゃごちゃと理由をつけて勝負を途中で放棄したのですが、私の心に残ったのは、「こんなちっぽけな奴に俺の人生を左右されてたまるか」という反発心だけでした。
上に立つ人は、当然指導もしなければならないので難しいかもしれませんが、多少頼りなく見えるくらいでもいいのかもしれません。うちの場合は本当に社長が無能なので、見かねて皆が助けてくれているのが実情ですね。
■■
七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
品行方正でどんな仕事もこなすという、ワイルドカード的な人物はまずいません。一つ飛びぬけた才能があると、その反面大きな瑕もあったりするものです。
会社というのは限られた経営資源(人・モノ・金)で組織を構築していくもので、理想はこうあるべきという“べき論”をいくら言っても始まりません。今いる人材をいかに活用して最大限の成果を達成するかが、その人たち自身のリターンにもなるわけです。
批判ばかりしていては何も得られません。ひとり一人異なった癖をもっているのが人間ですから、それを受け入れて生かしていくことが実務上大切です。
■■
八、かくして、よく用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。
ここはわが身も省みずに偉そうに言います。
人材がいないと言って嘆く経営者は多いと思いますが、そういう経営者に限ってこれらのことをまるで実践できていないのではないでしょうか。部下を力で抑えつけようとしたり、自分を批判することを許さなかったり、自分が一番でないと気が済まなかったり、等など。
■■
人に使われるのも大変ですが、人を使うのもこれまた大変です。今回の話でお互いの立場を少しでも理解して、今後の役に立ててもらえれば幸いです。