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いささか古い話ですが、テキサスへ行った時の話です。
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当時のNASDA、宇宙開発事業団(現在はJAXA)に勤めていた知人N氏が、日本人最初のスペースシャトル乗員である、毛利宇宙飛行士のプロジェクトに携わっており、テキサス州ヒューストンにあるジョンソン宇宙センターへ長期出張となりました。
良い機会だから一度遊びにおいでと誘われて、彼の知人である私たち何名かでお邪魔しました。
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滞在先は彼のアパートで、ジョンソン宇宙センターからほど近い場所、N氏は独身だったので我々も遠慮なしです。私はそれまでにハワイへは行ったことがありましたが、アメリカ本土を訪れるのは初めてでした。5人ほどで彼のアパートに1週間ほど厄介になったと思います。独身男性は私ともう一人、あとは子連れの夫婦で、お子さんは幼稚園児の男の子でした。
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ジョンソン宇宙センターは、私にとってあこがれの場所でした。小学2年の時、夜中に眠い目をこすってテレビにかじりつき、アポロが月に到着した時の不鮮明でとぎれとぎれの白黒の中継を今でもしっかりと憶えています。その時に何度となくかわされた交信が、「こちらヒューストン・・・」というきまり文句。宇宙とかロケットというキーワードに強烈な誘惑を感じた少年時代に、いつかあの場所で本物のサターンロケットを見てみたいと強い願望を持っておりました。
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N氏に車で連れて行ってもらったジョンソン宇宙センターは、広大で緑豊かな敷地にあり、まるで大学のキャンパスのような印象を受けました。一般の人も気軽に遊びに来ており、セキュリティで守られた建物以外は思いのほか自由に出入りを許していました。食事をしたカフェテリアでは、ここに宇宙飛行士が食事をしに来ることもあると現地職員が教えてくれました。
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ミッション中だったので一般の人は立ち入り禁止となっていた管制室に入れてもらうと、そこではロシアのミールとシャトルが交信を試みているところでした。通信回線はアマチュア無線の帯域を使っているということで、NASAは何でもハイテクだと期待していた素人な私にはなんだか拍子抜けしました。
管制室の壁面に映し出されているシャトルとミールの軌道が近付くあたりで交信をしようとしている様子でしたが、双方が近付いても結局無線は届かず失敗に終わったようでした。そのとき、現地職員が「Nice try」と言っていたのが印象的でした。日本人なら「残念だったね」と言うところ、ポジティブなアメリカ人のこの表現は、悪くないなと思います。
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そして、ついにサターンロケットを目にしました。広大な敷地に横たえられたその姿を見て、なんだかただの土管が置いてあるようでさほどの感動はありませんでした。子供のころに夢に見て、プラモデルも作ったし小学館の学習雑誌の付録のペーパーモデルでも慣れ親しんだサターン5型は、使い終わった産業廃棄物としての姿をさらしているだけでした。やはり、燃料を満載して発射台で屹立していてこそ、そのオーラを最大限に発信するのでしょう。
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センター内にあるお土産物屋でアイスクリームをフリーズドライにした「宇宙食」とロケットや船外活動の様子を撮影した写真のブロマイドを買いましたが、大人になってしまった自分には俗物的に感じられて残念でした。これを子供の頃の自分にプレゼントしたらどんなにか喜んだろうに、と思いました。
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週末でN氏が休日となるときに、N氏とその同僚の車2台に分乗してヒューストンから西へ200マイルほど走ってサンアントニオへ行きました。そこにはアメリカ人にとって重要な史跡である「アラモの砦」があり、西部劇好きな私にとってもまた行くことを大いに楽しみにしていた場所でした。
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高速道路をひたすら一直線に走り、改めてアメリカの高速はタダなんだなと感動しました。好きに入って好きに出て、お金は1円も取られない、今は日本でも無料化実験が行われてなじみ深くなりましたが、当時の日本人の感覚からは驚きでした。ただ、その分、道は日本の高速道路と違ってあまり整備されていないようでした。
車は左ハンドルだったので、普段日本で左ハンドルのMG-Bを乗っている私がドライバーを務めました。日本と違ってあまりにまっすぐで空いていた高速はとても快適で、ついついスピードが上がり過ぎてN氏に何度かたしなめられたほどでした。
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アラモは教会の跡地であるという話は聞いていましたが、行ってみるととても厳粛な雰囲気で、年配の米国人男性が、帽子をかぶったまま入ろうとした若いアメリカ人に脱帽するよう注意する光景を目にしました。アメリカという国の成り立ちにおいて、ここは彼らにとってそれだけ重要な心のよりどころとなっているのがわかります。
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サンアントニオ市街で、わざとなまりのきつい英語を話すガイドが船頭役を務める遊覧船に乗ったあと、午後はFiesta Texasという遊園地へ行きました。ここで気づいたのですが、遊園地で遊ぶ客の中にほとんど黒人がいませんでした。ここはアメリカ南部で、多くの黒人が住んでいますが、こうした場所には彼らは来ないのでしょうか。人種差別というよりは、白人、黒人相互にTPOですみ分けているような気がしました。遊園地を出て帰途につくころにはすでにとっぷりと日が暮れていました。

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