【2010年1月18日の朝礼でのスピーチより】
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私がいたお寺では1ヶ月か2ヶ月に1回、お堂で使用されている仏器(仏具)をきれいに磨きます。大黒様やお不動様といったお祭りの前日にはいつも行いまし
た。これを我々は「仏器磨き」と呼んでいました。磨かれる仏器の多くは真鍮製で、1ヶ月もすると連日の護摩供養により火と油でドロドロに汚れてしまってい
ます。仏器は数か所のお堂から下げてくるので、結構な数になります。餅箱に乗せられて運ばれてくる多量の汚れた仏器を見て、「ああまた仏器磨きか」とうん
ざりしたものです。
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仏器磨きはたいがい夕食後に小僧たちが総がかりで行います。汚れで赤茶けた仏器を金属用の洗剤(当時はピカールを使っていました)をつけた布で磨きます。
その後、小さく切った新聞紙で磨き上げると真鍮本来の白っぽい黄金色を取り戻し、驚くほどきれいになります。その代わりに自分たちの手は真っ黒に汚れま
す。2時間ほどで作業が終わり、ピカピカに磨かれた仏器が餅箱の上に並べられていくのを見ていると、最初は億劫だったはずなのに自然と気持ちもすっきり
し、仏器を磨いていたはずなのになんだか自分の気持ちがきれいに磨かれたような感じさえします。
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ただし、独鈷、三鈷杵、五鈷杵、金剛鈴(れい)といった密教特有の仏器は、特殊な修業(加行=けぎょう)をして認められた僧しか触れることができず、掃除
の際に磨くこともしません。当時、私はこれらの仏器を見て、なにやらその美しい造形美にとても魅かれたものでした。我々下っ端の小僧には触れることも許さ
れていないので、なおさら怪しい魅力を放って見えたものでした。
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寺の生活では掃除というものがとても多くの比重を占めています。お堂の掃除、庫裏の各部屋の掃除、便所の掃除、参道の掃除、春夏になると参道、庭の草ひき
(草むしり)、回峰行コースの枝払いや道直しなど、仕事の半分以上はこうした「掃除」にあてられます。しかし、私はこの掃除がとても嫌いでした。なぜな
ら、せっかく掃除しても次の日にはすぐに汚れてしまい、結局あくる日もまた同じように掃除しなければならないからです。なんだか、一度掘った穴を再度埋め
直してまた掘り返しているような虚しい感じです。
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寺での3年間の生活もそろそろ終わろうかというころ、小僧頭の哲叡さんにこう言われました。「お前もそろそろお暇する時が近い、これまでお世話になったお
返しとして、この寺を隅から隅まできれいに掃除して、親父(師匠のこと)をびっくりさせるくらいきれいにしてみたらどうだ?」
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当時、私は比叡山麓の律院という2,000坪ほどのお寺に留守番として常駐していました。特別なお祭りなどがある時を除いてあまり人は来ないので、普段は
栢木寛照師と私の二人しかおりませんでした。また、その栢木師は新しい組織(三宝莚)の立ち上げなどで忙しく留守がちだったので、その広い寺にただ一人で
いるということがしょっちゅうでした。そういえばメスのシェパードを飼っていたので、一人と一匹が普段の留守番役でした。
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先輩である小僧頭に言われたことは絶対の命令ですから、きっちりと掃除をしなければなりませんが、先に述べた如くどうも私は掃除というものに意義を感じま
せんでした。きれいに掃除したところでどうせ一週間もすれば元に戻ってしまうのに、それを世話になった礼として残す仕事としてはどうにも面白くない。そう
考えたのです。
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少し思案して、私なりの考えが浮かびました。それは、この寺の古びた台所を徹底的にリフォームしてやろうということだったのです。それまで、その台所は古
びていて私から見てあまり清潔とは感じられませんでした。それになにやら暗くてどうにも陰鬱な雰囲気の漂う空間だったのです。それを清潔で明るい台所にリ
フォームすれば、少なくとも半年、1年くらいは多くの人にきれいになったなと感じてもらえるだろうし、自分が去っていくに当たっての置き土産としてはそれ
に勝るものはないと思ったのです。
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そこで、早速自腹を切って様々な材料や道具を買い集めました。古臭くて暗い印象を醸し出す白熱電球を蛍光灯に変えました。木の棚を緑やブルーなど清潔感を
感じさせる色のペンキで塗りました。棚を外して表で塗装していると、栢木師が「なにしてるんや」といぶかしげに聞いてこられましたが、意に介せず作業を続
けました。本来なら、そうした改造をするのに師匠や栢木師に相談しなければならなかったはずですが、きれいにして驚かしてやろうという意図もあったので、
勝手に作業を始めてしまいました。
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鍋や釜を置いてある棚は土壁なのでボロボロと砂が落ちていつも汚れていました。そこで白いタイル調のブリキ板を買ってきてそこに張り付けました。調味料を
置いておく小さな収納棚を手の届く高さに作りました。リフォームにあたり、いやな掃除もやりました。これまで何年も人の手の入らなかったような調理台の裏
や、覗くのも恐ろしいような光の届かない物入れの中もきれいにしました。
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そうこうして、すっかり明るい雰囲気に生まれ変わった台所を見て、一人満足していたものです。しかし、この仕事をほめてくれる人はいませんでした。周りか
らは、素人が勝手に伝統ある寺の台所をいじくり、棚や壁を台無しにしたと思われたのかもしれません。考えてみると、勝手に寺の壁や棚にペンキを塗るという
のはまずかったのかもしれません。それでも、周りに人たちは、秀照がめずらしく一生懸命仕事しているのだからと、やめさせるわけにもいかずにハラハラしな
がら見ていたのかもしれません。
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ただ、それでも唯一いつも寺のお祭りのときに台所仕事を手伝ってくれる近所のご婦人連の一人が、「きれいにしてくれておおきにな、使いやすうなったで」と感謝の言葉をくれたのが救いです。