【11月9日の朝礼でのスピーチより】
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日本がまだ元気だった80年代、今では懐かしく思い出されます。
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私が社会人になった頃、時は1980年初頭。そのころの若者の話題といえば、ブームになりつつあったDCファッション(デザイナーズ・キャラクターズファッション)や、排ガス規制の制約からようやく抜け出して元気を盛り返してきた国産車、音楽では70年代、80年代洋楽黄金時代に並んでYMOのようなテクノサウンドがありました。
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そのころ、社会人になり給料をもらうようになると、まずは自分の部屋を借りて独立する。そして余裕があれば車を手に入れるというのが一般的でした。当時私の給料は額面13万程度、手取りは10万円。これで1K(6畳と4.5畳の台所と風呂)のアパートの家賃が35,000円でしたから、残業で稼がないと生活できない状況でした。それにもかかわらず中古とはいえ車を買ったので、月極駐車場代の5,000円を支払うのがとても大変だったことを覚えています。
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そのころは高性能なツインカムエンジンやターボを搭載したスポーツカーが登場したころですが、私はとてもそのような新車は買えないので、友人から10万円でコロナを譲ってもらい、2年くらい乗ってからようやくスポーツカーと呼べるセリカLB2000を(もちろん中古)30万円で購入しました。
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当時ガソリンの価格が150円以上しましたので、今よりよっぽど高額でした。今でも当時の記録(車計簿)を持っておりますが、燃費の悪さに笑ってしまいます。それを見ると、1984年の2月5日の燃費が5.9Km/l、2月20日が4.8Km/l、2月26日がなんと3.79Km/lでした。寒い冬は思い切りチョークを効かせるので、暖気運転だけでガソリンを1リットルくらい使ったのではないでしょうか。薄給の身にはこたえる価格です。
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ですから、ガソリンスタンドに行っても10リッターだけ売ってもらうということもありましたし、Emptyぎりぎりまで給油しないので何度もガス欠になってしまいました。だから、私の車にはポリタンクが積んであり、いざという時は最寄りのスタンドまで走っていって、ガソリンをポリタンクに入れてもらうのでした。ガソリンが赤い色をしているのを知っているのは俺たちくらいかなと友人と笑いあっておりました。
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勤めていた会社には、車よりもファッションというタイプの同僚もいました。彼の部屋でマージャンをしている時に、ふと壁にかかっているおしゃれなジャケットが気になったのでどこのブランドか聞いてみると、J.Pressというブランドだそうです。そして値段を聞いてたまげました。10万円もしたそうです。「10万円もするの?、札束を張り付けて作ってあるようなもんじゃないか」と言ったのを覚えています。
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しかし、我が身を振り返れば燃費の悪い中古車でガソリンばらまいて走っているわけですから、他人のことはとやかく言えません。何に金をかけるかというのはその人の価値観の問題ですが、いずれにしろ、このころはバブル前の消費志向が高まっていた時期で、皆、分不相応な買い物をしていたものでした。
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それから25年が経過し、ガソリンは100円前後、食費もさほど値上がりしていないと思います。吉野家の牛丼並盛は1980年ごろ350円だったと思いますが、今でも380円です。デパートではスーツが1万円程度で買えますし、居酒屋もクーポンなどを使えば一人2千円くらいで飲み食いできてしまいます。25年前、ビデオデッキを20万円くらいで買った記憶があります。今、家電品は驚くほど高性能で低価格になっております。生活必需品は、ものによっては25年前と同じかそれより安いというものがたくさんあります。
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順当に値上がりしているのは、多少の乱高下はあるにしても不動産価格、つまり戸建て住宅やマンション、それに伴って賃貸住宅の家賃などでしょう。ユニクロや100円ショップなどの登場により、生活に必要な衣食住のうち、衣食にはそれほどお金がかからなくなってきています。ガソリン価格が25年前とそれほど変わらないのは、円高が大きく影響しています。1985年のプラザ合意までこのころは1ドル240円程度、それから現在の90円まで上がってきたので、ガソリンを含む輸入品はその分安くなるわけです。当時バーボンのジャックダニエルズが1本8,500円もしました。そんな高い酒をステージでがぶ飲みするStonesのキースリチャーズを見て、「やっぱり大スターは金持ちだ」と勘違いしたものです。衣食住のうち、衣食は輸入品により低価格化しているのに対し、土地は輸入するわけにいかないので住の部分が安くならないのでしょう。
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生活コストが下がった分、若い人が車を買ったりファッションにお金を使ったりするかというと、どうもそうではないようです。それは、少子化により親と同居する人が増えたということ、携帯電話、メールといったコミュニケーション手段が登場したことにより、部屋にこもっていても、そこそこ人とコミュニケーションがとれるということが大きな要因でしょうか。
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かつては、若い人が異性との新たな出会いを見つけるには、車でスキー場やサーフィンに出掛けて行ったり、バンドをやったりテニスサークルに入るなどして初めて成り立つものでしたが、今やネットを使って知らない同士が簡単に知り合いになれてしまいます。わざわざ時間と金をかけなくても結構楽しく過ごせてしまうのです。
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昔はコミュニケーション手段が限られていたので、もっぱら人は移動することが求められました。だからかっこいい車を無理して買ったのです。移動するということは、外に出て人前に出るということですから、ファッションにも気を使います。そうしたことから、若い人は、車(バイク)、洋服、レジャー道具(スキー、サーフィン、テニス)などに多くのお金を使いました。今のようにネットがありませんから、情報収集手段として本もたくさん買われたことでしょう。
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しかし、移動する必要がなくなり、「移動しない」若者たちは、ネット上でコミュニケーションをとり近場の仲間と家食で済ませてしまうので、年収200万円以下でもそこそこ生活が楽しめるようになってしまいました。これは成熟した国家の良い現象として肯定的に受け取ってよいのかどうか難しいところですが、無理に上を狙わず、まったり無難に過ごす人が増えているのは事実のようです。
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戦後60年が過ぎ、経済的に閉塞感に包まれた日本。大企業がみっちりと隙間なく市場を押さえてしまっている現代では、高度経済成長期のように市場に空席がたくさんあり、頑張れば早い者勝ちでその席を獲得できた時代とはすっかり違ってきてしまっています。そのような中で自らリスクをとりアグレッシブに上を目指そうという人が出てこなくなるのも致し方ありません。
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「移動しない」ということは、単に地理的に動かないという意味の他に、自分の今いるポジションから上を目指して移動する(這い上がる)こともあきらめてしまっているという意味も含んでいます。こうして格差が固定化し、デフレは進んでいくのでしょうか。