最後の「企業風土」についての解説です。

これも寺での小僧時代の経験ですが、毎日こき使われ、叱られ、殴られているような生活の中でも、食事だけは一応不足なくありつくことができました。といっても、肉魚はもちろん、乳製品、葱、にんにくの類も一切禁止で、毎日オカラ、ひじき、高野豆腐などが主たるおかずでした。ご飯にしても、たいがい前日の残りで、多少腐っていても米で当たることはないといわれて腐臭の漂うご飯を食べることもしばしばありました。

そのような生活でしたから、たまに炊き立ての白いご飯にありついたときはとても幸せな気分になりました。このときの経験から、人生とは特にすばらしい出来事が起こらなくても、三度三度まともに食事ができるだけで幸せであるという価値観が自分の中に自然と育っていきました。

この理屈で、食事も仕事も同じであると考えています。目の前に何気なく用意された食事(仕事)でも、それを用意する人の苦労や食材の来意を考えると、まずいの少ないの、熱いのぬるいのと文句を言うことなどは罰当たりというものです。少々古臭い人間の言うことのようになりましたが、基本的には仕事をして飯が食えるのですから、その仕事にありついたということにまず感謝すべきでありましょう。

人間とは万物の霊長であります。食物連鎖の頂点に位置しているわけで、毎日様々な動植物を殺して食べて生きているわけです。そのことについて罪悪感を持つ必要は無いと思いますが、自分に食われて死んでいった多くの生命のためにも、人間として、万物の霊長として、意義のある人生を送るように努力することが我々人間として生まれたものの役割ではないでしょうか。意義のある人生を送るためには、目標設定が不可欠です。人間は、目標を持ちながら仕事や家庭などでの社会生活を通して、自己実現していく生き物だと思っています。

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