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組織の一員になると、自分は悪くないのに人から怒られることがあります。
今回も前回と似た話です。

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千日回峰行をしていた師匠のもとには、当時8人の小僧がいました。そこは玉照院という名の寺で、比叡山の中でも南の端にある無動寺谷と呼ばれる寺の集落の中にあります。そこでは千日回峰行を行っている師匠を我々小僧がお手伝いするのです。具体的には、回峰のコースの整備(道直し・枝払い・掃除)、衣装の洗濯・アイロンがけ、食事、信者さんへの接待などですが、一番“行”に密接にかかわっているのは「お供」です。これは回峰行のコースを歩く師匠のお供をするというもので、ただ一緒に歩くだけではなく「腰押し棒」というT字型の木の棒で、登りの坂道や階段を歩く際にこの腰押し棒を師匠の腰に当てて後ろから押して連日歩く師匠の体力の消耗を少しでも抑えるというものです。もちろん、お伴をする小僧は毎日一緒に歩くわけではありません。それでは小僧が千日回峰を踏破することになってしまうし、そんなことは体力的にも無理なのでほとんどは日替わりの当番制でお伴をすることになります。

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師匠のお供の日は、夕食を済ませるとその日はいったん仮眠します。そして師匠が出峰(解放に出発すること)する時間に合わせて起床して、お勤めの準備や装束の準備をします。しんと静まり返った山寺の中で師匠と一対一で向かい合うので大変緊張します。

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回峰行では独特の装束を身につけて峰を巡ります。全身真っ白な衣装、前後に伸びた笠、足には草鞋をはき長い杖を手に持ちます。これらの装束の中でも足元の草鞋と足袋が一番消耗します。草鞋は毎日履き替えますし、足袋もすぐに穴だらけになるのでそれを繕うのは我々小僧の仕事です。

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そういった中でよくあった出来事です。私がお供の日、夕食が終わり「お伴当番」の特権としてその後の作務を免除され床に着くことができます。他の小僧は夕食の片付けやお堂の掃除などの一通りの仕事が終わった後、師匠の装束の整備をします。私と同期の小僧で中尊寺から来ていたKがいました。彼は華奢な私と違ってごつい体をしていたので、力仕事では彼にとてもかないませんでした。しかし、細かい仕事は苦手で特に師匠の足袋の繕いのような裁縫仕事は非常に荒っぽいものでした。彼は夜の11時か12時くらいまでかけて一生懸命に足袋を繕うのですが、出来はかなり不細工だったと思います。その仕事を終えて彼は就寝し、代わりに私が起きてKが繕った足袋を師匠の前に差し出すことになるわけです。常日頃から足袋の繕いにはうるさい師匠でしたから、Kが不器用なりにも一生懸命繕った不細工な足袋を見ると、すごく嫌な予感がしてきます。

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そして案の定、それを履こうとした師匠の手がぴたりと止まり、「なんやこれは!」といって足袋を突っ返されます。穴のあいた部分は継ぎを当てますが、丁寧に縫わないと継ぎの部分が足にあたり、長距離を歩くうちにとても痛くなるようです。「こんな修理の仕方があるかっ、Nのやったやつと比べてみいっ」と言われます。Nさんというのはとても裁縫や料理が上手でしたが、お伴当番のローテーションにより私のときにはNさんの修理した一発で師匠のチェックをくぐれる足袋ではなく、私が見てもこれはひどいと思うようなKの修理した足袋が回ってくるのでした。

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それからが大変です。師匠の怒声を背中に受けながら箪笥を開けて、少しでもましな足袋を探すのですが、Nさんが直したようなきれいなものが見つかればまだしも、そういった足袋が見つからないと、代わりの足袋を差し出すたびに師匠に投げ返され、情けないやら腹が立つやらでどうにもならなくなります。腹が立つのは師匠に対してではなく、何故、私が叱られなければならないのかといった理不尽さに腹が立つのです。また、いい加減な仕事をして(決してそうではないにしろ私にはそう感じられた)眠りこけているKに対しても腹が立ちます。逆に私が丁寧に修理した足袋はKの当番のときに使われ、一発OKをもらうのでこれは不公平です。本当なら寝ているKをたたき起して、「もっと真面目にやらんかいっ」と言ってもらいたいのです。しかし、これが世の中です。

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師匠にしてもその繕いをしたのは私ではないということは分かっていますから、別に私の仕事に対して叱っているのではなく、「小僧たち」というグループに対して叱っているのでしょう。そのときたまたま居合わせているのが私だったから私に向かって言っているだけなのです。つまり、レストランで注文した食事に異物が入っていたときに、客はそこに居合わせたウェートレスに対して文句を言うのが普通です。当然ウェートレスも店の一員なので誠意をもって謝るでしょうが、客に対して「別に私が作ったわけではありません」などと言ったら火に油を注ぐことになります。

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仕事でのクレーム対応と同じですね。この当時の私がそれを大いに不満に感じたのは、師匠に叱られたことを後で改善するために小僧同士で話し合いができればよかったのですが、いつも叱られっぱなしで終わってしまうことが多かったからだと思います。つまり「叱られ損」です。例えば、ある製造会社で、電話サポート係が客に厳しくクレームをつけられた時、後でそのことを製造部門に報告しても、「客の相手はお前たちの仕事だろ、製品には問題ないよ」などと突っ返されたら、その組織に対するロイヤリティは失われて行き、そのサポート係はいずれ辞めてしまうでしょう。

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組織としてPlan Do Check Actionのサイクルがきちんと機能し、それによりその組織の目標に向かっているのだという一体感がスタッフ同士で共有できているのであれば、自分はその組織を代表しているのだという態度で、顧客に対して誠意をもって対応することができるでしょう。

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