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休み

阿部が夏期休暇のため、マンデースピーチはお休みです。

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兵士を思う

【8月24日の朝礼でのスピーチより】

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安物の銃弾

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いつも現地でお世話になる日本人でSさんという方がいます。サイパンに移住して長いので、慰霊法要のたびに現地の人たちとの間に立って何かと世話をしてくれます。子どもたちがホームステイに行っている晩、Sさんの自宅に夕食に招待していただきました。庭に簡単な屋根とテーブルをしつらえたダイニング、向こうでは一般的なスタイルです。そこでチャモロ料理をご馳走になりました。チャモロ料理と言っても、歴史的にスペイン、ドイツ、日本、米国と、支配国の影響を受けてきたので料理もそれらの国のものが入り交じっています。マグロの刺身にタバスコをかけたり、キムチでサフランライスを食べたりといった具合ですが、なかなかおいしいものです。

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そのSさんの自宅の庭先には旧日本軍や米軍の遺留品が置かれていて、興味深く拝見しました。飛行機のプロペラ、水筒、真っ赤にさびた鉄兜や機銃などが無造作に積まれています。そんな中で、沢山の銃弾が目を引きました。米軍の歩兵が持っていた機関銃の弾らしいのですが、使用後のものなので薬莢はついておらず、直径7mmほどの銃弾の本体だけとなっています。それらが、ものによっては先端が曲がっていたり、欠けていたりするので、これがもしかすると日本兵の体を貫いたものかも知れないなどと、嫌がおうにもそんな想像をしてしまいます。

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Sさんが教えてくれましたがこの銃弾、外側は金属で覆ってありますが、中身は土でできているそうです。全体を金属にすると費用がかかるのでコスト削減のために焼き物のような素材の上から金属をかぶせてあるとか。よく見ると、確かに中身は殆ど白い詰め物で、金属は薄くその表面を覆っているだけです。ちょうど、虫歯になった歯に銀をかぶせてあるような状態です。多くの日本人の命が、このようなコスト削減した安っぽい銃弾で失われたのかと思うと悲しくなります。

 

銃弾.jpg

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当時、兵隊は赤紙一枚で招集されて死地へ赴くので、兵士の命の値段はこの召集令状の郵便代と同じ1銭五厘などと揶揄されたそうですが、この銃弾はもしかするとそれよりも安いかも知れません。私が小学生の頃、一人の人の命は地球よりも重いなどと教わりましたが、現実はあまりにも残酷です。しかし、このように人の命が簡単に消耗されてしまうのは、過去の話ではありません。今でも世界中で起きている現実であり、世界の常識です。どうすれば自国の国民の命を、文字通り地球より重いとして価値あるものとすることができるのでしょうか。それには、悲惨な過去から目をそらすのではなく、将来どういうことが起こりえて、どう行動すればそのようなリスクを回避できるかを現実的に議論しなければならないと思います。お題目だけ唱えていても、家族や同胞の命は救えないのです。

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サイパンの朝焼け

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曇天の中、サイパンから帰国する飛行機が離陸した直後、前方の雲の切れ目から朝焼けを望むことができました。普段から夕焼けは見慣れていました。サイパンで見る夕焼け、それは見事なものです。沈みゆく太陽と天空を流れる雲海が織りなす色鮮やかで雄大な風景、それが時々刻々と変わりゆくので、眺めているとしばし時の経つのを忘れるほどです。

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それに対して、この日の朝焼けは少々控えめではありましたが、またそれはそれで美しいものでした。そして、飛行機の窓から見たということもあり、ふと戦時中の飛行機パイロットも同じ風景を見ていたのだろうなと思いをはせました。彼らはこの光景を見てどう思っていたのでしょうか。悲惨な戦争とは対照的な美しい空を見て、故国から遠い地で命を捨てる辛さや、このまま飛び続ければ日本に帰れるのだ、などと考えたのではないでしょうか。

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水平線の彼方に朝焼け、夕焼けを眺めながら、軍人に限らず当時の日本人はどう思っていたのでしょうか。遙か前方に望む空の下。そこはまだ日本ではないけれども、もしもそこへ行けて、さらに先を望むことができたら、それを繰り返すうちにいつかなつかしい日本に行き着ける。今は飛行機でひと飛びですが、当時の人にとっては遙か彼方の故国を、そんな思いで見つめていたのでは無かろうかと想像しました。

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個人情報と思考停止

(8月17日の朝礼でのスピーチ)

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先週(8月6日)の昼過ぎ、ノースウェスト航空(以下NW)から会社に電話がかかってきた。先週のサイパン行で利用した航空会社だ。何か忘れものか、はたまた、なんかの懸賞に当たったのか、それとも犯罪に巻き込まれたか、などと思案しながら電話をとった。

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電話の相手はNWの女性スタッフで、用件はこうだった。今朝方、サイパンの知人(チャモロ人)が飛行機で日本に到着するなり心臓の具合が悪くなり、急遽名古屋の救急病院へ搬送され、現在診療中であるとのことだった。その知人が広島と長崎の原爆の記念式典に出席するために日本に来ることは、先週会った時に聞いていた。そのとき私の名刺を渡してあったので、NW社員に電話をかけてもらったらしい。

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本人は電話に出られないので、随行のスタッフに代わってもらい話を聞くと、今夜一晩入院するとのこと。意識があるかどうか心配だったが、それほどひどいわけではなく、自分で話もできる状態だと聞いて一安心した。前々から太り過ぎだなと心配はしていた。近ければ行ってあげたいのだが、こちらは東京なのでそうもいかない。入院となったからには、それ以上のことは医者に任せるしかない。

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彼のことが気がかりではありながらも仕事をして帰宅し、少し遅くなったが夜8時過ぎに容体を聞こうと思って、NW社員から聞いておいた病院の電話番号へ電話を入れた。夜なので留守電にでもなっているかと思ったが、電話はすぐにつながった。

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電話に出た女性に、サイパンの知人が救急で運ばれ入院しているはずだけれど容体はどうなっているかと聞いた。入院しているのは外国人で、日本語もできず日本人の付き添いもいないわけだから、病院としても私が電話すれば喜んで応対してくれるかと思った。

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しかし、この女性職員は、その方の名前は何ですかと聞く。名前を言うと、それは検索しても出こないので生年月日を教えろと言われたが、そこまではわからない。外国人の名前がデータベースにどのように登録されているのか見当がつかない。まして、彼の名前はスペイン系でJを「ホ」に近い音で発音するのでなんと伝えたものかと困ってしまった。

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こちらがしつこく尋ねると、少しお待ちくださいと言ってかなり長いこと待たされた、その間何度か内線をたらいまわしにされている様子が電話の雑音から感じ取れる。そして最初に応対に出た女性がまた電話口に出て、容体は個人情報に関することなので答えられない。だから平日の8時半から午後5時までの間に、どこそこの電話番号にかけなおしてくださいという。その時間にかけたら教えてくれるのかと問うと、「それは個人情報なので教えられないと思いますが、担当の者がその時間にはおります」との返事。なんだかよくわからない対応である。

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明らかに面倒を避けたいという感じで、さっさと電話を切りたがっているのが声の調子からわかる。この人もただの留守番らしいから、あまりごねてもしょうがない。最後に一言だけ、容体がどうかというのが個人情報ですか?と聞いたが、相手は「はい、お答えできません」の一点張り。後で調べたら、この病院は500床もあるので、たしかにデータベース化しないと患者の把握はできないだろう。

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しかし、本来個人情報というのは、その情報からある個人が特定できる情報をいうのであって、容体を聞いたからと言ってそれが個人を特定することにはならない。きっと言いたいのは、「患者さまの容体を他人にお教えすることは禁じられております」ということなのだろう。それなら、こちらの身分を確認するなり、患者本人に私の伝言を伝えて、折り返し連絡させるなどの対応をしてほしかった。何でもかんでも個人情報と言えばアウトで、そこで思考停止してしまう人たちの多いことが何とも心配である。

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サイパン慰霊法要2009

サイパン慰霊法要2009

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今年の現地での活動内容報告です。

□□□■ 7月27日(月)
【先発隊2名現地入り】

阿部が20:45成田発、翌01:20サイパン着、本体のスタッフ1名が21:10名古屋発翌01:40同じくサンパン着のNW機で現地入り。実際は両名とも01:20ほぼ同時に到着し合流。
入国するとサイパン市長の出迎えを受ける。市役所スタッフに連れられ空港前のレンタカー店でバンを1台借り、その車でサイパングランドホテルに投宿。

□□■□ 7月28日(火)
【事前準備、生徒を受け入れ】

8時起床、10時から市長と打ち合わせなので市役所へ。10時前に到着したが、そのまま市長と打ち合わせ。コーヒーとお菓子を出してくれたので、朝食は取らずにきた我々の朝食代わりとなった。
子供たち30人とスタッフ7人が宿泊するHopwood Jr. High Schoolの準備は万端とのこと。毎年恒例であるが、後で様子を見に行くことにする。明日の知事への表敬訪問は、まだ知事の方から回答が得られていないということなので明日の朝、知事の状況により予定を組みなおす。知事がOKなら午前中は知事への表敬訪問、午後から慰霊法要と島内観光、夕方から市長への表敬訪問。知事がダメならば午前から慰霊法要、午後は島内観光と市長への表敬訪問とする。

12時過ぎに打ち合わせが終わり、J’s Restaurantで昼食。でっぷり肥った警察官のグループ、アジア系の女性グループなどがいて賑わっていた。昼食後、バンザイクリフの慰霊塔を確認に行く。いつものことながら石碑に虫がついて巣を作っていたので掃除する。
慰霊塔の掃除

Hopwood Jr. High Schoolへは14時過ぎに到着。市長はスタッフがいるといっていたが、パッと見誰もいないので市役所へ戻ろうとしたが、その前に少し別の教室を見て回るとそちらに市役所スタッフがマットレスを敷いてくれているところだった。ブルーシートを敷いていなかったり、スタッフの部屋がまだ準備できていなかったので市役所のスタッフとともに整備をする。その後、少し時間があったので、以前いろいろとお世話になった前市長のお宅へあいさつに行く。

九州からのグループが17:50に到着する予定だが、市長の話だとかなり早く着くだろうというので16時に空港へ行く。すでに市長が来ていたので空港のセキュリティで空港への入場パスをもらって出迎える。ミスサイパンの女性が3名出迎えに来てくれている。九州からは男子3名、女子2名、スタッフ1名の総勢5名。大型バンで学校へ行き、用意しておいた部屋へ案内する。
九州グループ到着

予定では19時だったが18時にはカフェテリア内で食事の準備をしてくれたので早めの食事とする。今年はカフェテリア内で食事ができるらしいので楽だ。

本隊が到着する時間は1:40なので、12時まで少し寝てから学校を出て1時に空港到着。
今度も市長が出迎え、我々2名はまたセキュリティでパスをもらうが、今度はパスポートまで提示を求められ、夕方よりも時間がかかっている。きっと入国審査の内側に入るからだろう。
本隊到着し、パスポートを全員分回収して一気に入国審査を通り抜ける。通常は一人一人チェックが必要だがこのへんは市役所の便宜による。全員の荷物をまとめてツアーバスに詰め込み学校へ移動。学校到着は夜中の2時頃。そのまま就寝。
本隊到着

□□■■ 7月29日(水)
【慰霊法要・島内観光】

8時起床、9時出発。
結局知事への表敬訪問はキャンセルとなったので、慰霊法要を始める。
慰霊法要
バンザイクリフ、スーイサイドクリフ、ラストコマンドポストと回り終わったところでスコールが降り始める。ラストコマンドポストで昼食。
最後の司令部跡

昼食の間にほぼ雨は上がる。2時前までラストコマンドポストで自由時間としたあと島内観光へ出発。
最初はバードアイランド、運のいい人はウミガメを見ることができた。その後グロットへ周り、空港そばにある戦争中の爆弾格納庫を見学。

予定よりやや遅れて市長への表敬訪問。随行しているテレビ局の市長へのインタビューなどのこなして学校へ帰着。

夕食の後、栢木先生の講話。
夜スタッフはホテルにシャワーを借りに行く。学校に戻ると市役所のスタッフが男子の部屋を移動させていた。エアコンが故障してしまったので、スタッフの隣の教室に引っ越した。

□■□□ 7月30日(木)
【灯籠作り・学校施設清掃・慰霊法要・灯籠流し】

7時半起床
9:30より灯篭300個を作り始める。
昼までに出来上がり昼食をとる。
学校への宿泊は今夜までなので、宿泊所回りを清掃する。

16:00より灯篭を並べ始めるが、大雨の中なので苦労する。今年はテントの中に灯篭を置いているので濡れずに済んだ。

18:00から市長も参列してくれてお勤めを始める。約1時間のお勤めのあと、雨の様子を見ていたが、ほぼ上がってきたので、すかさず灯篭流しを始める。
雨が心配されたが、灯篭は見事に沖へ流れていき灯篭流しは大成功となった。
その後夕食。

□■□■ 7月31日(金)
【マニャガハ島海水浴・ホームステイへ出発】

7時起床
8:40発の船だということなので7:50にバスをよこすよう頼んでいたが、8時過ぎになっても来ないので焦る。結局8時15分ころにようやくバスが来る。
船着き場に着き、大雨の中皆を船へと移動させるが、どうやら8:40の船ではなく9:40の船が予約してあったということで全員バスへ引き返す。しばらくバスの中で待つが、雨でぬれたのでバスのエアコンを切ってもらう。
雨の中、10時過ぎにマニャガハ島に到着。途中バーベキューの昼食をはさんで海水浴。
1時半に全員集合し、2時の船で戻る。
マニャガハ島

5時にホームステイのホストファミリーが迎えに来ることになっているので、記念写真を撮る場所の設営とホストファミリ
ーへのプレゼントを用意する。
4時過ぎくらいからぼつぼつホストファミリーが現れるので、順次送り出し。6時前には全員がホームステイ先へ出かけて行った。
残ったスタッフは荷物整理、阿部は前市長夫妻に夕食によばれる。
夜はグランドホテルでシャワーをもらい、その後スタッフだけで学校に宿泊。
しかし、ホームステイ先で2組ほどがホームシックとなり、ホストファミリーから連絡がきた。ひと組はすでに就寝したとのことで、もう1組の家族と会いに行く。結局その1組は引き取ってホテルで宿泊させた。

夜、水道水のポンプが動作していないのでトイレも流せない。真っ暗な中ポンプ室であれやこれや調べていると、セキュリティが見回りに来てスイッチを入れてくれた。これで水が使えるのでほっとする。

□■■□ 8月1日(土)
【終日ホームステイ】

朝、ホテルに宿泊した子供を再度ホストファミリーに預け、その後もう1組の方のホストファミリー宅へお伺いする。テレビカメラも同行。子供の話を聞くと、帰りたいということだったのでホストファミリーにお詫びを言って引き取って帰る。
昼はスタッフ一同とテレビ局スタッフが市長に昼食をごちそうになる。その後、島内のお店でお土産を見たりして、夜はこちらに移住しているSさん宅でのホームパーティーにお呼ばれする。

□■■■ 8月2日(日)
【ホームステイより帰着・ショッピング・さよならパーティー】

9時に子どもたちはホストファミリーにグランドホテルに送り返してもらう予定なので、8時にはホテルで準備を整える。子どもたちは順次戻ってくるが、朝食が遅くなっていたりで若干遅くなる家族もあり、9時半には無事全員そろう。記念撮影をして、10時過ぎにバスが来てJohtenショッピングセンターへショッピングに行く。
その後、ランチをはさんで今度はDFSとABCストアーで買い物。4時にホテルに帰着。
子どもたちはホテルの部屋に入り、この旅の感想文を書き始める。

5時30に再度集合し、バスでさよならパーティー会場へ移動。しかし、市役所側の準備が少し遅れたため、6時開始の予定が6時半となる。

6時半にさよならパーティー開始、風は強かったが、建物の中だったので問題なく進行した。ホストファミリーも来てくれて一緒に食事を楽しんだ。また、地元のチャモロ伝統ダンスなどを披露してくれて、最後は子供たちも一緒にダンスをして盛り上がった。
さよならパーティー

予定通り20時にパーティーを終了し、バスでホテルへ戻る。
この後、九州と本隊は出発時間が異なるのでホテルロビーでお別れのあいさつを相互に交わす。
九州が夜の1:40にホテル出発、本隊は6:00にホテル出発。私は4時にホテルを出て成田へ向かった。

※ この活動の様子は下記テレビで放映予定だそうです。
・8/14 よみうりテレビ 18時過ぎから
・BSフジ 1時間特別番組 放映は秋を予定

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スモウレスラー像

先日、サイパンから帰ってくるときの飛行機の機内誌で変なものが売られているのを見つけました。

スモウレスラー像

この会社、庭に飾るような像をバリエーション豊かに紹介してますが、こんなもの買う人がいるんだろうか。とくに、部屋に置くガラステーブルはあまりにも気色悪い。
こうしたものを製品化してしまうセンスが理解できない。(でも、もしかして売れてるの?)

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2009年8月6日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:雑記

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サイパン島へ慰霊法要のため休み

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