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気働き

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気働きとは、簡単に言うと気が利くという意味だが、働くという漢字が付いている通り相手や周りの状況を察して行動を起こすことをいう。

○ 飲み会で目上の人のグラスが空いていたら酒を注ぐ、あるいは注文を聞く。(特に、その人にごちそうになっている場合はなおさら)

○ エレベータに乗るとき、目上の人を操作盤の前に立たせないで自分が操作する

○ タクシーの乗る順番、宴席や会議室での座る位置(目上の人より先に奥の席に座らないこと)

○ 食事のときに目上の人より先に箸に手をつけない

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なんかこのように書くと儒教的で堅苦しく感じるかもしれない。しかし、こういった気配りができないよりはできたほうがよい。社会は人間関係で成り立っている。人には気に入られないより気に入られるほうが断然よいのである。自分のポリシーとして人に媚びることは嫌だという人は好きにすればいいが、相手を気遣うということと媚びるということは全く違う。

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落語家の立川談志があるとき、新米の弟子たちがあまりに気の利かないことでうんざりして、彼らにこう言ったそうだ。「お前達、礼儀作法から気働きを含め、何から何までダメだ。とても俺は面倒みきれん。お前たちの存在がおれにとってマイナスだ。文字助(古株の弟子)が一から仕込むと云っているから魚河岸へ行け。」(赤めだか/立川談春)といって、築地の魚河岸に1年にわたって下働きの修行に出した。礼儀作法や気働きというのはなかなか言葉では伝えにくい。昔は丁稚奉公で徹底的に仕込まれたのだろうが、現代では体育会系の人がそれに近い経験をしているかもしれない。

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かくいう私も気の利かないほうで、子供のころからお袋に「お前は融通が利かない」と事あるごとに言われていた。だからあまり人と関わることは好きではなく、技術系の仕事を選んだのもそういったことが理由の一つかもしれない。

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それでも、高校時代に比叡山で3年に亘り小僧の修行をさせられたので幾分かはましになっているはずではある。その当時、まだ小僧になって最初の頃の話。里坊の律院で法要(分かりやすく法要と書いたが、寺では年間を通していろいろなお祭りがあり、その類のひとつ)があった。私は山上の玉照院という寺で生活していたが、関連の寺でイベントがあると手伝いに駆り出され、その日は先輩小僧と一緒に律院へ出張っていた。

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その日は私たち一門外の年配の僧侶も来ていて、奥の居間でお勤めの時間まで待機していた。先輩がその僧侶にお茶を出すよう私に命じてこういった、「言われなくてもお茶を出せば、『おお気の利くぼん(小僧)や』と言うてくれはるで」と諭してくれた。私にとってはほとんど面識のない相手だったが、言われるとおりお茶を出した。相手は「ありがとう」ともいわず黙ってほぼ無視の状態だったが、この世界では当たり前のことである。あとで先輩が「どうや、ほめられたか?」と尋ねてきたが、「いえ、特に何も・・」と答えるしかなかった。

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いずれにしろ、こうした機会を利用して先輩は何かと私に気働きを仕込もうとしてくれていたのである。それでも私はどうにも気が利かずによく叱られたものである。自分の性格上のこと以外に、ひどい近眼で少し離れると人の顔が判別できず、相手からは顔を合わせても挨拶もしない無愛想なガキだ、と思われていたり、私は関東弁なので関西圏の人たちからすると妙によそよそしく感じられるというハンディもあった。

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当時、私のしたことが一門の中で妙に伝説になったことがある。私にはあまり記憶がないのだが、御前様(師匠の師匠)が少し遅く帰ってきて、食事はあるのかと聞かれ、それに対して「食べるんですか?」と聞いたということである。いくらなんでもそんな失礼な意味で言ったとは思えないが、私の舌足らずな口利きがそのように誤解を生んだようだ。ただ、そのあとのことはよく覚えている。御前様が近所の信者さんに電話をかけ、「ぼんが飯を食わしてくれへんのや、そっちで食わせてもらえへんやろか」と頼み込んでいたのである。普通、腹の立つことがあるとすぐに鉄拳が飛んでくるのだが、そのころすでに見切りをつけられていたのかもしれない。落語の世界で言うと、師匠をしくじったというやつである。

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最近の若い人はこの気働きが欠如した人が多いと感じるが、それはその人に欠陥があるといことではなく、ただそういった訓練を受ける機会がなかったというだけのことである。昔は近所にガキ大将がいて年の違う子供同士でグループを作って遊んでいた。その中では序列が生じるので、自然とそうした感覚を学ぶ。また、私の世代以前は親が戦中派で軍隊での生活を経験していたりするので、しつけが厳しかった。それに対して最近は少子化で兄弟も少なく、近所の子供たち同士が外で遊ぶ機会も少なくなっているらしい。

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親や先生とも友達のような付き合いだし、行儀が悪いと言ってぶん殴られることもないので、よくいえばのびのび育っているのである。能力はなにも劣っているわけではないのに、ただ、ちょっとした気働きができないという理由で、まだまだ多く残っている「最近の若い奴は」と感じているオジサンたちにこいつはダメだと思われるのは損である。おべっかや媚ではなく、こうされたら自分もうれしいと感じることをしてあげればよいのである。

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反骨精神(あるいはロック魂) 1/2

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20代から30代にかけて、かなりロックミュージックにはまった。そのころすでに1980年代に突入していたが、当時はまだ70年代の香りを残したバンドが多く、これらの欧米で活躍しているミュージシャンに対しては強い憧れをいだいたものである。そしてパターン通りに自分でバンド活動も始めて、もっぱらStonesのコピーを演った。同様の経験のある人はわかるだろうが、自分でやってみるとますますメジャーなバンドと自分の決定的な差を知ることになり、夢と現実の違いに打ちのめされたものである。

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7~80年代、若者に人気のあったロックスターには共通点がある。みな若いということはもちろんだが、大人の社会を批判し、社会のルールに反抗し、自分のスタイルを貫くというものである。これらは興行のために多分に演出されているものもあるが、十代の少年達はこうしたロックスターの生きざまに憧れ、それを模倣するのである。

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そして、彼らの教祖であるロックスター自身も大人(中年?)になる前にその人生を終わらせてしまうものが少なくなかった。ブライアンジョーンズ、ジミヘン、ジムモリスン、ジャニスジョップリン、わりと最近ではカート・コバーン、この人たちはみな27歳で死去した。ロックはドラッグとセックスと死に結びついて、強固なメッセージ性を持ち、若者にとって大変に妖しく魅力的なものになっていくのである。

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さて、人には生まれて成長していく過程の中で反抗期というものを迎える。よく知られているように、2~3歳くらいで第1次反抗期、思春期を迎えるころに第2次反抗期がやってくる。第1次反抗期では、それまでひたすら従順だった赤ん坊が、ある日突然何でも「イヤ」といって拒否の態度を示すようになる。私もいま現在、上の子が6歳、下の子が4歳なのでつい最近、第1次反抗期の子を持つ親となる経験をした。実際に自分の子供を見ていて思うのは、何でも「イヤ」と言ってみて、どこまで自分の主張が通るのかを試しているように感じられた。つまり、限界がどこなのかを知るための大切な冒険の時期なのではないだろうか。

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そして第2次反抗期、これは本来動物が子別れ、親別れする時期なのではないだろうか。本当に大人になるための準備運動のようなものだろう。まだ私の子供はそうした年齢に達していないので、実感は持てないでいるが、自分のことを振り返ると、とにかく親が疎ましくてしようがない、しかし一人で生きていくことはできないというジレンマで苦しんだような気がする。そこで無頼なロックミュージシャンがこうした世代のハートをばっちりとつかむのである。私の場合はちょっと違っていて、中学生の頃はひたすら西部開拓時代のアメリカにあこがれた。親や日本人に生まれたというしがらみを断ち切って、大西部でワイルドな生き方をしたいと切に望んだものだ。私がロックに目覚めたのは20歳くらいになってからである。ティーンエイジャーたちが憧れる対象がロックミュージシャンであれ、ウェスタン映画の世界であれ、要は現在の自分の所帯じみた狭い世間から、はるか遠くかけ離れた刺激の多い冒険に満ちた生活に憧れるのではないだろうか。これは人間の本能、いや、動物の本能かもしれない。

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親の庇護を受けて育ってきた子ギツネが親と別れる時期が来て、危険の多い森の中へ一匹で巣立っていくには、その危険を危険としてではなく、冒険に満ちたあこがれの世界と映るように自然は仕組んでいるのではないだろうか。そうでなければわざわざ危険の中に身を置くことをせずに親と一緒に生活をするであろう。しかしそうなると親は次の子を産んで育てるという活動ができなくなる。キツネという種が生き残っていくためには、できるだけ短い期間で子離れして次の世代を産み育てなければならない。そう考えると、うまくできているものである。

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さて、人間に話をもどす。人の場合は動物と違って長く親と一緒に生活することができる。つまり、大いなる庇護のもとでぬくぬくといい年になっても生きていけるのである。しかし、動物の本能として仕組まれた親離れの時限爆弾はしっかりと抱えているから、時が来ればそれが反抗という形で爆発する。親に対する批判だったり学校など世の中に対する怒りとして発露されるのである。

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こうした一時期の生活態度は、人間が成長する過程で必ず必要なもので自然の与えたものだろうから、それを否定するつもりは全くない。私も子供達に、その時が来たらせいぜい反抗してみろと待ち構えていたりする。そのとき余裕をかましていられるかどうかは自信がないけれど。しかし、問題なのはそれがいつまで続くかである。人間の生活環境が良くなったせいで、30過ぎても40過ぎても親の世話になっている人が多くなっている。もちろん、年老いた親を面倒みるために同居している人を指しているのではない。いい歳をして親の世話になっているばかりではなく、反抗期もそのまま終わらせられずに持ち続けている人がいるのが困ったものだと思っているのである。そうした人の中には、何かにキレて火をつけたり車を暴走させたりして関係のない人の人生を台無しにしてしまうものもいる。

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言葉の持つ力

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9月に入ってもいまだに暑い日々が続いているが今年の夏も間もなく終わると思うが、まだ夏に入ったばかりの7月のある日、夕立の後に激しく日が照りつけ、目黒の路上はうだるような暑さだった。
向こうから自転車の前部に2歳くらいの子供を乗せた母親が走りすぎた。その子供を見ると、強烈な暑さにも関わらず平然と涼やかに座っていた。それをみて、自分はいつから暑いということを不快に感じるようになったのか思いをめぐらした。

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私が子供のころは、いくら暑くても平気で外で遊びまわっていた。
父が「今日は蒸し暑いなー」と言ったのを聞いて、虫が熱くなるとはどういうことだろうかと不思議に思った。10歳くらいの頃だろうか。少なくともこのころは「蒸し暑い」という概念を持っていなかったし、その言葉を知らなかっただけではなく「蒸し暑い」という状態を不快とも思わなかった。

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人は言葉を覚えると、それを感じてしまう様になるのではないか。嘘かどうか知らないが、こんな話を聞いたことがある。アメリカ人は肩が凝るということがなく、当然ながら英語に「肩凝り」という言葉もないそうだ。しかし、アメリカ人が日本で暮らし始め、「肩凝り」という概念を知ったがゆえにその人も「肩凝り」を体験するというものだ。

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私はどうも高いところが苦手である。飛行機や山の上から下界を眺めても別に怖くはないが、微妙に揺れる歩道橋や観覧車などは大変恐ろしく感じる。しかし、子供のころは平気で木登りもしたし、揺れるつり橋も喜んで渡った。いつの頃からかそうした場所がとてつもなく怖くなってしまった。これも「高所恐怖症」という言葉を知らなければきっと今でも高い所を恐れるということはなかったであろう。

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言葉の持つ力というのは感情や心理的作用のとどまらず、時として体に物理的作用まで及ぼすようだ。だから、自分は「根性がない」とか「消極的だ」などと思わないことである。人に対してもそのような消極的な言葉を言うべきではない。

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