イメージ画像

サイパンでのボランティア-1/2

お盆の時期になると毎年サイパンへボランティアに行くのが恒例ですが、このボランティアに最初に参加したのはかれこれ20年前のことです。
(とはいっても、この2年ほどはお休みさせて頂いていますが)

このボランティアは、三宝筵(サンポウエン)青少年慰霊法要使節団ともうしまして、天台宗の栢木寛照師が主催しているもので、大東亜戦争で戦死した戦没者のために慰霊法要をするのが目的で、もう30年ほど続いています。新聞で公募した中高生40人から、多いときで50人ほどの子供たちを、夏休みを利用してサイパンへ引き連れていくのです。

現地では慰霊法要はもちろん、サイパン市長、知事への表敬訪問などにより現地の人たちとの交流計りますが、特にホームステイでは現地の子供たちや家族と密接な時を過ごすことになります。これらの活動はみな栢木師の私財を使って運営されており、参加する子供たちから費用を徴収することはありません。

また、冬になると逆にサイパンの子供たちを日本に招待し、長野の善光寺と京都を拠点として交流を行うというイベントも行っています。

私はどのようなお手伝いをしているか言うと、2日ほど前から別のリーダーと二人で現地に入り、サイパン市役所やマリアナ連邦知事たちとイベントのスケジュールの調整等を行い、宿泊先となる現地の中学校(ススペ市にあるHopwood Jr. High Schoolという中学校)の教室をご好意により何部屋か借りて布団を敷き、自炊のための整備をしたりします。また、現地で行われる大きなイベントである燈篭流しの準備や、慰霊法要のコースの確認をするのが例年の準備作業です。そして実際にこのツアーが始まると、子供たちの引率、通訳、食事の用意、市役所から誘われて一緒にゴルフコンペをしたり、ボランティアと市長や知事との会食など、ほとんど休む暇がありませんし、灼熱の暑さの中でこれらの活動をした後は、夜は中学校の教室でマットレスを敷いただけの布団で寝るという毎日で、なかなか大変なものです。

サイパンでは先の大戦で多くの日本兵、現地に移住していた民間の日本人、もちろん米軍人、現地の人たちなどの多くの命が失われました。これらの霊に対して法要を営むわけです。多くの日本の民間人が投身自殺を遂げたバンザイクリフ、スーイサイドクリフといった断崖や、日本軍最後の司令部跡などでお勤めを行います。

ほんの60年前に戦争という悲劇の中で多くの人命が失われたわけですが、サイパンといえば今では観光地としてしか認識していない日本人の方が多いのではないでしょうか。すっかりリゾートと化したサイパンでは、今でも当時の戦車や高射砲などが残っていますが、これらの前で楽しそうに記念写真をとっている日本人観光客には、かつての出来事など気にもとめていないようです。人づてに聞いた話ですが、このような日本人の振る舞いに対して、「逆の立場だったらとてもこのような場所に遊びで来ることなどできない」と戦勝国側である米国人ですらそう言っていたそうです。

地理的にはサイパンの他に、原爆を落とした爆撃機が飛び立ったことで有名なテニアン島、ロタ島などを含めて北マリアナ諸島呼びます。グアム島も近いですが、北マリアナの中には入りません。これらの島の住人はチャモロ人とカナカ人という人種に大別できます。いわゆるポリネシアン系なので、日本人にも多少その血筋をひいた人がいるのではないでしょうか。

多くの日本人はサイパンの事をあまり良く知りませんが、サイパンでは日本がとても関係の深いものとなっています。現地人のお年寄りの多くは日本語を話せるので、ホームステイに行った子供たちが驚いて帰ってきます。それもそのはず、戦前は日本がサイパンを信託統治していたので、それらのお年寄りは若い時に日本人が教える学校で学んでいたからです。また、チャモロの人たちの中に妙に日本人ぽい顔をした人がいるかと思うと、その人のおじいさんが日本人だったりします。当時は多くの日本の民間人もサイパンに日本人街を作って居住していたので、現地の人と結婚した日本人も結構いたようです。こちらはそれほど思っていないのに、向こうはいつも思ってくれている、日本とサイパンはそんな関係のように思います。

チャモロ(カナカ人も含めて)の人たちは一般にとても親切でフレンドリーです。以前は道路に信号が無かったものですから、横断しようとして道端に立っていると、車は必ずハザードをつけて止まってくれたものです。最近は信号も整備され交通量も増えたので、このような光景は余り見られなくなりましたが、ついこの間私が横断しようとした時も、はるか向こうのほうから来る車が早々とハザードをつけて徐行して来てくれたので、大変うれしくなりました。

例年あちらへ行くと市長をはじめ市役所の人たちと接する機会を多く持ちます。そのようななかでも、前市長のサブランさん一家とは今でも家族づきあいをしています。実は昨日も前市長の奥さんとお会いしてきたところです。彼女の娘が日本人と結婚して埼玉に住んでいますが、このほど孫が生まれたので面倒を見にやってきたのです。うちの2人の娘のことも自分の子供か孫のようにかわいがってくれますが、チャモロの人は男性も女性も大概子供好きです。小さな子供を連れて現地のレストランに行くと、当然ながら子供が大騒ぎして走り回ったりします。それでも店員が楽しそうに子供の相手をしてくれたりしますので、日本で肩身の狭い思いをしている親にとってはとてもありがたいところです。

サブランさん夫妻も勧めてくださるので、我が家では子供が小学生くらいになったら夏休みの間向こうへホームステイさせようかと思っています。私も子供の頃よく母親の実家に何週間も預けられましたが、自然やいろいろな人たちと触れ合うとても貴重な体験だったと思います。私たち夫婦は両方とも東京生まれなので、サイパンが子供たちにとっての田舎のようになればいいんじゃないかなと思っています。

タグ

このページの先頭へ