世の中には色々な賞があります。ノーベル賞、芥川賞、文化の日に発表される文化勲章等々。そして野球好きの人にはおなじみかもしれませんが正力松太郎賞というものがあります。一般にはプロ野球界で活躍した選手に送られるものとして有名ですね。しかし私も知らなかったのですが、野球選手に送られる賞とは別に仏教精神に基づき青少年の育成に貢献した人や団体に贈られるカテゴリーのものもあるそうです。

先日、私の僧籍上での叔父にあたる、信州善光寺住職の栢木寛照師(弊社社外取締役のお兄様)から連絡があり、9月に正力松太郎賞を受けることになったので授賞式に一緒に出てくれと依頼を受けました。名誉ある話なので一も二もなくお受けしました。受賞の理由は、師が長年にわたり主催してきた日本の青少年育成の活動が評価されたからです。

それはどのような活動かというと、毎年夏に日本の中高生を30人から40人程度募集して青少年使節団を構成してサイパン島で太平洋戦争戦没者の慰霊法要を行うというものです。さらにサイパン市長やマリアナ連邦知事への表敬訪問、現地の家庭でのホームステイなど約1週間に渡り交流を深めるというものです。

また、冬には逆にサイパンの青少年を日本に招待して、常夏の国サイパンでは見ることのできない雪を見せてあげることや、長野の善光寺や京都に滞在して古い歴史を見るとともに、日本の家庭へのホームステイにより現代日本の文化も体験してもらうものです。

この活動は1978年から続いており、招待する青少年には渡航費から宿泊費まで全て師が負担するという、大変お金と時間のかかる活動ですが、日本の将来を託す青少年を育成するという大きな理念を持って続けてきているものです。

この活動をスタートした1978年は私が16歳で、師と同じ寺で小僧をしておりました。なので、実際に活動を始める前の年から実際に現地を視察したり様々な準備や計画を立てている様子を見ておりました。

その後、私が成人した後には私も随行スタッフとして参加させていただき、計20回くらいはサイパンに行ったと思います。私の役割としては、現地での引率や通訳、2日ほど先行して現地の市役所をはじめとしたスタッフとの事前調整、運営マニュアル作成、団体のホームページ立ち上げなど様々なことをお手伝いさせていただきました。そういった経緯から、今回の受賞においても師から同行を依頼されたということになります。

おかげさまでサイパンの歴代の市長をはじめ、現地の様々な方とお知り合いになれました。特に元市長のサブラン氏がご夫婦で来日した際には2回ほど私の自宅にもお泊りいただいた程で、奥様やお子さんともいまだにお付き合いが続いております。

その市長が我が家にいらしたある日、私は仕事で会社にいたのですが自宅から数軒隣の行きつけの焼鳥屋のマスターから私の携帯に電話がかかってきました。「外国人のお客さんが一人で来てビールを飲んでいるけれども言葉が分からない。阿部さんのところのお客さんですよね」ということだったので、慌てて帰宅して焼き鳥屋で合流しました。このように酒好きでフレンドリーでオープンマインドなとても魅力的な方です。

ちなみに、サイパンの当時60歳以上の方々は大体ある程度の日本語ができました。その市長もなにかというと「タイチョー(隊長)」、「キンローシ(勤労士)」などと日本語の単語を連発していました。当時の知事(テノリオ氏)のホームパーティーに招かれたときも、普段英語で話していたのに急に我々に向かって「子供たちは元気か?みんな週末までいるんだろ?」としっかりとした日本語で話しかけてこられました。

かつてサイパンが日本の信託統治下にあったので、このように日本の教育を受けた世代が当時はまだ現役で活躍しておられましたが、今はどうなのでしょう。もう10年ほど行っていないのでだいぶん様変わりしたのではないでしょうか。

コロナも収束し海外にも支障なく行けるようになったので、皆さんも機会を作って色々な国に出かけて行ってもらえればなと思っています。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

上部へスクロール