私が大手電機メーカのソフト開発子会社に出向していたときの話。
そのころ、一つの開発案件が始まると大概は半年から長いと1年以上かかりました。新規開発案件だと20人以上のチームとなり、元請メーカーの社員と我々外注社員が一体となって開発に当たります。設計も進んで試験フェーズが近づいてくると、工場の敷地内にある専用棟に実機あるいはマシンと呼ばれるコンピュータシステムが設置され始めます。当時はまだ操作パネルには16進のキーが並び、IBMカード、半径30cm程の磁気テープなどを使用するミニコンの時代でしたから、ラックマウントの筐体が2,3本、多いと10本以上も林立することになります。プリンタ1台が事務机よりも大きなサイズとなりましたし、磁気テープ装置だけでラックマウント1本分のサイズを必要としました。ですから、当時はマシンの納入といっても空調設備やフリーアクセスを備えたマシン室が必要で、そのためにビルディングを同時に建設することもあるほどでしたから、ハードウェアの存在感というのは今とは隔世の感があります。
これらのハードウェアは、ある日突然全てが設置されるわけではなく、それぞれの部品がそれぞれの事情で異なる納期で徐々に揃ってくるのでした。しかし、それもなかなか計画通りには納品されず、試験が始まってもやれ通信ボードが来ていないとか、磁気ディスクが届いていないといったことが発生します。それらは、単純に納期が遅れたものや、初期不良があったり、発注ミスなどの要因によるものでしたが、我々ソフト開発メンバーはハードウェアが揃わないと手も足も出ないので、ハードの納品状況には大変神経質になっていました。
その電機メーカーでは同時に色々な案件が走っていたので、デバッグ作業のためにマシン棟へ出かけていくと、日本全国、時には海外へ出荷される様々なマシンが通路の左右に居並んでいるのでした。マシン設置スペースの前面には、それがどの案件で顧客が誰で出荷日がいつといった看板が立っており、最初はガランとしたスペースだった自分たちの作業スペースに徐々にマシンが構築されていくのを見ていると、次第に気分が盛り上がってくるのでした。装置の量が多いほど大規模なシステムとなりますから、自分たちのマシンが隣のより賑やかだと優越感を感じたものです。
これらのマシンを設置するのは、ハードを扱う部署の所属の人たちで、我々ソフト開発チームとは同じ電機メーカーの中でも別会社になります。いつも腰に工具類の七つ道具を下げて、作業服は上下ぴっちり着込んでいたので、上着だけ作業服を羽織っている我々ソフトチームとはひと目で見分けがつきました。そして、彼らが床に座り込んで部品を組み立てたり、細かな調整をしているのを見ると、システムが徐々に完成していくんだなと心強く思ったりしたものです。しかしながら、私は外注でもありましたので、その人たちと直接的な交流はありませんでした。だからこれらの人は皆、ハードを面倒見るという同じ目的を持った「ハード屋さん」の一群だと思い込んでいたのです。
あるとき、部品の納期が遅れていて、デバッグ作業がなかなか進まずにイライラしているときがありました。ハードの納期遅れで迷惑を蒙るというのは日常よくありまして、先輩がハードの担当者にいつ納品されるのか聞いている姿も良く見かけました。そのような中、私がいつものようにマシン棟に出かけていくと、よく見かけるハードウェア部隊の一人がなにやら作業をしていました。彼は傍から見ても部下にとても優しい感じの、頼れるリーダーといった風でしたので、私も何気なく、「○×のパーツはいつ届くんでしょうか」と聞きました。すると、彼は「なぜ私にそのようなことを聞くんですか」と昂然と怒りだしたのです。もしかすると、私の口調が「納期遅れでこちらは迷惑しているんだ」といった非難のニュアンスがあったのかもしれませんが、よく知らない人にあえてそのようなことを聞くというのは、やはりそれだけ切羽詰っていたからだと思います。しかし、普段の彼の態度からは想像できないような勢いで怒り出したので、私は驚きすっかり動転してしまいました。
「なぜそのようなことを聞くのか」と問いただされて、他に言いようもなく「いや、部品が届かないとデバッグ作業が進まないので」などとしどろもどろに答えると、「私はハードの調達を担当しているのではありません」と切り返されます。「いや、てっきりハードの担当の方だと思い込んでいたものですから、組織関係をよく知らなかったもので申し訳ありません」と謝っても、「知らないのならきちんと教育を受けてください」と手厳しい。納期遅れのイライラを多少なりともスッキリさせようとして話しかけ、あわよくば納期の見通しとお詫びの言葉でももらえると思ったつもりが、すっかり形勢逆転でやり込められてしまいました。
彼がどういう部署の所属だったのか未だにわかりませんが、恐らく「品質保証部」というようなポジションだったのではないかと思います。ここで私が反省しなければならないのは、誰もが同じような格好をしているからと言って勝手にハードの担当者だと思い込んだことと、納期遅れを聞く相手を間違えたことです。彼は、この件について恐らく一番聞いてはいけない人だったのでしょう。もしかすると、納期遅れに苛立っていたのは私よりもむしろ彼の方だったのかもしれません。もし彼が「品質保証部」の人間だとすると、そういうことも十分考えられます。
人は自分を中心にモノを考えます、だから天動説が最初に考案されました。しかし、世の中は自分を中心に回っているのではないと言うことを自戒しなければなりません。狭い道路を歩いていると、こちらは十分に端に寄っているのに、あえて自分に向かってコースを取って対向してくる歩行者がいます。一瞬、わざとぶつかって因縁をつける気かなと思ったりしますが、実は後ろから車が来ていて、それをよけるにはそのコースしかないということが後から分かったりします。向こうからすると、車が来ているのに道を空けてくれない不親切な歩行者として私が映っているかもしれません。
自分の目に見えない部分には、とかく物事を単純化して考えがちですが、実はそこには複雑な事情があることが間々あります。ですから、自分の目に見えない部分にたいしては、「なんだか分からん理解しがたいもの」という固定観念を持つのは危険です。そのような先入観があると、相手もこちらを同様に扱います。見えない部分を全て理解することはできませんが、まずは敬意をもってその部分に接する態度が必要だと思います。
これは、夫婦生活でも同様ですね。