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皆さんは就職するときにどのような感慨を持っていましたか?
ワクワクとして初めての社会人生活に期待を感じていましたか?
それとも小学校から中学、中学から高校、高校から大学へと進学するときと同じような感覚でしたでしょうか。

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私の場合はまったく希望というものがなく、お先真っ暗な状態でした。その理由はいくつかあったと思います。まずは、まだまだ学生として遊び足りなかったということ、そして別に入りたいと思っていた会社に就職できたわけではなかったというのがもう一つ、さらには、地元を離れて知らない場所で一人暮らしをしなければならなかったということも気分を憂鬱にさせていた要因だったと思います。

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私の場合、寺に住み込みの小僧として、一日の休みもなく3年間働かされ通して高校生活が終わってしまいました。「一日の休みもなく」といいましたが厳密にいうと、通っていた母校の比叡山高校が甲子園に出たときに1日応援に行かせてもらったこと、九州への修学旅行で5日間、盲腸で入院した一週間が休みらしい休みで、それ以外は盆も正月もなく働きましたし、一度たりとも帰郷を許されることもありませんでした。(親の顔を忘れかけました)

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そのような生活の後で専門学校に行きましたが、ここも意に反して遊べるような余裕はありませんでした。土曜日も授業があり、アルバイトとレポートで私の時間はほとんど埋め尽くされていました。本当は大学に行っていわゆるキャンパスライフを送りたいと思っていましたが、高校生活がそのようなことだったので受験もクソもなく、仕方なく専門学校に入ったのでした。しかし、そこは私のイメージしていた学生生活とは程遠いものでした。そうこうしているうちにしたくもないのに就職という現実がやってきたのです。

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高校時代は監獄に入っていたようなものだし、つかの間の学生生活の後に今度はやりたくもない仕事のために毎日働かなければならない。定年までだと40年余りという気の遠くなる時間を、何か自分以外のもののために費やさなければならない。まるで懲役40年の刑を食らったみたいだと正直思いました。

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そんな鬱屈した思いもあり、就職してまもなく中学時代の仲間とロックバンドのメンバーに加えてもらい、ド下手であるにも拘らず、平日はサラリーマン、土日は練習かライブという生活をそれから10年ほど続けることになりました。

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リーダーのギタリストが日大出身だったので、我々のメンバー達も日大のOB顔して音楽サークルの合宿に参加したり、合同ライブなどをやりました。そのような時の飲み会では、皆ベロベロになるまで酔っ払いましたが、大学生の友達を見て、「こいつらは朝まで飲んでも明日会社に行かなくていいし、学校休んで一日寝ていてもいいんだな」と大変うらやましく思いました。

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しかし、そのような後ろ向きな日々はしばらくの間で、だんだんと仕事が面白くなるにつれて学生時代よりもうんと充実した生活になってきました。また、次のようなことにも気づいてきたのです。

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なんといっても、学生時代は金がなかったが、社会人になると給料がもらえるし、学生バイトより割りのいい残業手当も出る。宿題やレポートはないし、学生時代よりも自由になる時間が取れる。朝はきちんと会社に行かなければならないが、学生はだらだらとルーズに時間を過ごしてしまいがちで、結局社会人のほうが有効に時間を使える。
ということで、サラリーマンとバンドマンの二束のわらじを10年にわたって履き続けることができたのです。

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今にして思うのは、学生時代というのはとても特殊なもので、親や社会がくれた特別な時間ということができるのではないでしょうか。人間の本来の生き方は、きちんと稼いで自分や家族を食わせていくことで、働かずに半分遊んでいても食べていける学生時代というのは、将来自立するために周りが援助してくれて成り立つ卵の殻に守られた状態(インキュベーション)のようなものでしょう。ただ、みな生まれたときからこのインキュベーション状態なのでそれが当たり前だと勘違いしているだけだったのでしょう。

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これは会社の新人でも同じことです。研修があったり、何も知らなくても先輩が懇切丁寧に指導してくれたり、売り上げに1円も貢献していなくても許されているのは、学生時代とおなじ理屈だからです。これがいつまでも続くと思ったら大間違いですし、仕事の面白さはこの状態を脱してからはじめて分かることだと思いますので、皆さんがんばってください。

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