【2011年7月4日の朝礼でのスピーチより】
【スマートフォン】
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私が2週間前からようやく使い始めたスマートフォン、たしかに素晴らしい機能と性能を持っていますが、これもかなり以前から似たようなものはありました。一番近いのはいわゆる電子手帳、PDA(Personal Data Assistance)というものがありました。SonyのClie(クリエ)、カシオのカシオペア、東芝のGenioなどといった製品がありました。あのAppleもNewtonという製品を出しましたが、商業的にはうまくいきませんでした。
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PDAのユーザは結構多くいたように思いますが、潮が引くように各社が撤退してしまい市場としてのポジションは携帯電話にとってかわられました。当時うちの会社でもPDA関連の仕事を多少やっていましたが、「このような情報端末に電話機能が付いたらいいのにな」と思っていたのは私だけではないはずです。
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他にもまだあります。
リニアモーターカーはようやく建設計画が現実のものとなりましたが、最初にリニアモーターカーが登場したのはいつだか知っていますか? 私が小学校3年の時、つまり1970年です、心ときめかせて見に行った大阪万博でその姿は一般に公開されていたのです。科学が万能と信じていた当時の私は、今すぐにでもリニアモーターカーが実用化されると信じていましたが、実用化のめどがつくまでその後40年もかかるとは想像できませんでした。
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クラウド技術は花盛りですが、10年ほど前まではこれからはASPの時代で、アプリは買うものではなく借りるものだなどとパラダイムシフトを謳っていました。今どきはASPをただ単にクラウドというトレンディーな言葉で言い換えているだけのサービスも多いように思います。しかし、ASPでもクラウドでも本当の実用まではまだ道半ばです。
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今回の原発問題で太陽光発電が脚光を浴びています。しかしその太陽電池は40年前から存在していました。私が小学生の時に親に買ってもらった電子回路キットのマイキット80には、3本足のトランジスタやコイルと一緒に太陽電池がくっついていました。
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私が中学1年生のころ、同級生の家に遊びに行ったある日のこと。エンジニアである彼の父親が、これからはテレビのブラウン管の代わりにLEDや液晶が使われるようになると話してくれました。当時はまだ白黒の液晶が電卓に使われ始めたばかりのころでしたから、私たちは半信半疑でそれを聞いたものです。当時は手のひらに載るテレビとか、壁掛けテレビというのはドラえもんに出てくる未来社会にしか存在しませんでした。
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EL(エレクトロルミネッセンス)というのはLEDよりも先進的な技術と思っている人が多いと思いますが、私が初めてELという言葉を知ったのは小学6年のころに読んだ科学雑誌で、そこでは未来の光として紹介されていました。
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このように、世の中でヒットした商品はある日突然現れたわけではなく、ずっと以前からその片鱗をうかがわせているものです。したがって、次の時代にどのようなものが現れてくるのか、それは今ある技術を検証していくとあるていど予測することも可能であり、それは「技術予測」という学問となっています。(私は大学院で学長の相磯秀雄先生から「技術予測」という講義を受講していました)
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このように、技術というものを長期的な視点でとらえると、小さな発見や技術革新が数十年後に大きく花開くことがあるのだとわかりますし、そのためには日々の研究開発がいかに大切かということがわかると思います。研究開発から実用化への道のりは林業のようなもので、種を植えてもそれが大木に育つのはその中のごくわずかであり、しかもそれを収穫することができるのは、種を植えた人たちの次の世代(あるいはさらにその次の世代)の人たちなのです。
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日本はたくさんの基礎研究を重ねて多くの種を育ててきましたが、ようやくそれが収穫の時をむかえた、つまりビジネスになるときに、あまりにもあっさりとよその人間(外国企業に)に美味しいところをさらっていかれているのではないかと歯がゆい思いをいたします。ベニスの商人並みにもっとえげつなく商売してもよいのではと思います。特にその種(たね)を自分自身が育てたものであればなおさらです。