【2012年4月16日の朝礼でのスピーチより】
今の若い人は現場(ゲンバ)から隔離されて育つので、その動き、におい、雰囲気というものを知る機会を奪われています。店に食事に行けば、食べやすく加工されたハンバーグやナゲットが簡単に手に入ります。その規格化された形からは、それらが元々どういう生き物で、どのように加工されたかなどと想像するのも難しくなっています。子供のころはよく茨城の母親の実家に遊びに行きましたが、そこではヤギを飼っていてそのお乳を飲んだり、「今日はうちの鶏を絞めるぞ」などといった会話が普通にありました。
寿司屋でも今どきは職人が握っている様子を見ることは難しくなっています。ネタは最初から皿に載ってぐるぐる回ってくるものと思っている子供は少なくないでしょう。母親が家でぬか漬けをつけていたり、炭をおこしたり、自分で鰹節を削ったり、というかつての日本でよく見られた光景は、その当時を知る私には何となく貧しいような思い出ですが、それと同時にとても貴重なものだったのだなと思います。
最近、新卒学生の面接をしていて気になるのは、ほとんどの学生がゲーム好きということです。子供のころに原っぱで遊んだり、工場や倉庫に忍び込んだり、防空壕跡に秘密基地を作って遊んだりするのは、今では難しくなってしまい、勢いゲームが子供たちの自由時間の大半を占めているようです。
そうなると、リアルなゲンバを見ることはなくなり仮想の世界で満足してしまうので、結果的にはゲームを作る人になりたいとか、声優になりたいなどという極めて狭い職業観しか持ち合わせなくなってしまうのでしょう。
子供のころにこういう現場を見ることにより、自分は大工になりたいとか、電車の運転士になりたいとか、パイロットになりたいという夢を抱くのです。このように夢として描いた職業に就く子供はほとんどいないでしょうが、自分で現場を見て、それに憧れるという体験はとても重要です。
そうした体験をしないから、今の大学生は入学するときにクラブ活動の延長のつもりで何となく専攻を決めますし、自分の専攻とは何の関係もない職種に平気で応募してきます。「就職できさえすればITでも営業でも家電量販店でも何でもよい」というのは、ある職業訓練生たちから会社訪問を受けた時の彼らの意見ですが、何だかとても悲しい気がします。