【2012年4月9日の朝礼でのスピーチより】

今の閉塞した日本国では、一部の恵まれた(知力、体力、家庭環境など)若者を除いては、この国で夢を実現することはなかなか容易ではないと思えます。「昔はよかった」と懐かしがってばかりいても仕方ありませんが、今の若者にはとても気の毒な気がしてなりません。

そして、今の若者に同情することとして、現場(ゲンバ)というものに触れる機会が私の子供時代に比べて極端に少ないということが挙げられます。私の子供時代、つまり昭和40年代はいたるところに現場がありました。近所では町工場があり、そこでは鉄を切ったり穴をあけたり削ったりしている様子を簡単に見ることができました。

私の自宅の向かいにあった、服部君という1歳年下の友達の家は、従業員数名の町工場でした。私たちはその現場へ近づいては、機械の動くさま、金属が削られる様子に見入ったり、その削りくずや金属片をおもちゃ代わりにして遊んだものです。職人たちもよく私たち子どもの相手をしてくれたように思います。

子供のころはバキュームカーも大好きでした。今からは考えられませんが、当時はほとんどの家がまだ汲み取り式だったので、バキュームカーは年がら年中見ることができました。長いホースがくねくねと動き、汚物を一気に吸い上げる力強さ、ブルブルと震えるタンクと車両の魅惑的なこと。さらには、それを軽快に操る作業員の姿はヒーローでした。汲み取りが終わった後に、ホースの先にテニスボールのような球を吸いつかせて蓋をするのですが、これは子供のころ一度やってみたいと思っていて結局実現できずにいます。

し尿の汲み取りというと、不潔でにおいも強烈なので子供が興味を持つと大人は顔をしかめますが、子供にはまだそれらが臭いとか汚いという観念は育っていないので、純粋にメカニカルなものとして興味をそそられる対象でした。

町の至る所に建築中の家があり、そこでは大工さんが木をかんなで削ったり鋸で切ったり釘を打ったりしている様子を簡単にみることができました。あのかんなから出てくる髭のよなしゅるしゅるとした薄い削りくずを見て、自分もやってみたいと思った人は多いのではないでしょうか。

しかし、今では材木は工場でプレカットされて運ばれてくるので現場ではただ組み立てるだけですし、危険だからと言って周りをシートで囲って中が見えないようにしてしまっています。これでは、せっかくの大工の職人技を目にすることもなくなってしまいます。

家の近所にはいすゞ自動車の下請け工場があり、仕事中でも勝手に出入りできたものです。もちろん、危険な場所に立ち入ることはできませんが、手洗い場や通路で遊ぶことはできました。ここで初めて砂石鹸というものを見ました。油を扱う職人さんが、手についた油を洗い落とすのに使った砂の混じった石鹸です。子供のころは、色々なところに顔を出して、見たこともないものを見たり触ったりするという経験がとても大切な気がします。それによって、なぜこういうものがあるのだろうかと考えるきっかけとなるからです。

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