世の中には色々な人がいます。会社という狭い社会の中を見ても色々な人がいます。
日本において平均的な人とは、あまり目立たず、言われたことに対してその範囲内のことだけを遂行して失敗を表に表さないよう腐心している人が多数派のように思います。
その理由は日本人の性格なのか、戦後教育なのか、儒教のせいなのかわかりません。学校生活を振り返ると合点がいきます。なるべくクラスの平均からはみ出さず、変な奴と思われていじめの対象にならないように、周りを気にしてばかりいたのではないでしょうか。だから、アメリカナイズされて意見をズバズバいう帰国子女はいじめられたりするわけです。ごく一部の喧嘩が馬鹿に強いやつとかは別ですが、大多数の生徒はそんな感じだったと思いますし、今も恐らく同様でしょう。
一方、社会に出るとその人の能力が評価されます。グローバル社会においてはなおさらです。黙っているだけでは何を考えているのかわかりません。アメリカでは会議の場で何の発言もしない社員は無能の烙印を押されます。評価が下がりいずれ馘です。いつまでも変わらずフジツボのように特定の場所にしがみついて殻の中から出てこないような人は、厳しい競争社会の中では無視される訳です。
しかし、日本では可もなく不可もなくというような、ある意味無難な生き方をしている社員が多いのではないでしょうか。海で例えると、海面から顔を出さないように身を沈めているようなものです。しかし、海面から少しでも姿を現すと、その姿が見えてしまうだけに人から、ああだこうだと批判される訳です。しかし、海面から出ないように隠れていれば、少なくとも批判はされません。出る杭は打たれるというやつです。しかし、頭角を現す、という言葉もあります。
今日の話は「出る杭」的社員についてのことであり、会社において平均的に過ごしている人を批判する意図はありません、その人にとって人生における優先順位が会社よりもプライベートであっても、それは人それぞれ、そういう人が会社とは別の場所でしっかり本領を発揮してくれているのならそれはそれで祝着なことです。
自分の力をセーブして海面から出ないように目立たず生きている人と、その能力を発揮せんとして海面から顔を出そうとしている人とでは、会社から見ても社会から見てもその価値が異なります。しかし、人間というのは目に見えるものに対して反射的に評価をしてしまいがちです。上司という立場にあるものは、この海面から顔を出そうとしている社員について注意深く扱わねばなりません。折角芽を出そうとしている社員に対してその芽を摘むような言動は慎むべきです。
僕には娘が二人います。生まれたばかりのころは無抵抗でかわいい赤ん坊ですが、そのうちに反抗期だったかイヤイヤ期が来ます。手が付けられないくらい暴れたり泣いたりするので親としてはうんざりしますが、これは成長の過程で、成長するための試行錯誤をしている段階です。親としては、手はかかるけれどもこうして成長していくんだな、と感慨を深めると同時に、ああ、自分もこうして成長していったんだな、と改めて親に感謝するわけです。
上司から見て、入社したばかりの時はしおらしくしていたのに、そのうち生意気になって反論してくるとたしかにうんざりするかもしれません。ここで、その主張が本当に的外れなのか、一聴に値する意見なのかをしっかり客観的に考えましょう。もしかすると、とても有能な社員として育つ萌芽が出てきているのかもしれません。上司としては、おとなしく指示に従う社員は扱いが楽ですが、突っかかってくるような部下に対しても無碍に扱ってはいけません。親が子を見守るような気持ちで接してあげて欲しいものです。
一方、部下の立場のひと、これも注意が必要です。先輩、上司、社長などは自分よりも立場も年齢も上なので、自分よりもパワーがあると思うわけです。どうしても、パワーのある相手には自分もパワーで対抗しようと力が入るかもしれませんが、相手も人間ですから力任せにぶつかると相手も傷つきます。
また親子の例え話です。子供が小学生くらいになると、力も強くなります。特に男の子の場合はふざけているのか、または甘えているのか、親に対して力任せに叩いて来たり蹴飛ばして来たりします。これは親としても我慢できないくらいの痛みを感じます。ここで一句「親だって、叩けば血も出る、人の子さ」ってことですね。
嫌な上司、気の合わない上司でも、なるべく相手の立場に立って考えてあげることが重要です。たまには自分から上司に「飲みに連れてってくださいよ」くらい冗談半分でもいいから行ってみてはいかがでしょうか?