直木賞受賞作「塞王の楯」を読了しました。以前住んでいた大津市坂本の周辺がストーリーの舞台ということで興味深く読みました。45年前に自分が生活していた坂本の寺にも穴太衆積みの石垣がめぐらされていましたが、当時は何の知識もなかったので「その辺の石を適当に積んだだけの見栄えの悪い石垣」くらいにしか思っていませんでした。考えてみたら何百年もの間、水害や地震に耐えているわけですから、それはすごい技術なのだということがわかりました。
しかし、琵琶湖の湖面より高い位置にある大津城の前堀に水を引き上げるという理屈がさっぱりわからないのと、登場人物が皆、関東弁(それも伝法なべらんめえ調)で話しているのが気になって仕方ありませんでした。私は東京から坂本に移ってもずっと関東弁を話していたので、地元の人からはそのことでいじられたり嫌がられたりした経験を持っております。江戸の職人でもないのに、関ヶ原合戦当時の滋賀県人になぜ関東弁をしゃべらせたのか作者に聞いてみたいものです。