東京から東松島の鹿妻までの道のりを、これから同地方へ行く人の参考になればと思いUPします。
・目的地:宮城県東松島市矢本字鹿石前
・移動日:2011年5月3日

一番困ったのは現地までの足です。車がないので公共の交通機関で鹿妻までどう行くかです。幸い東北新幹線は再開しているので仙台までは簡単に行けます。しかし、鹿妻駅を通る仙石線が不通なので代わりは宮城交通さんが出している臨時バスしかありません。この臨時バスですが、石巻まで行く路線は1日24本出ていますが、私の行きたい鹿妻へ行くには鹿妻駅から1つ先の「矢本」駅へ寄ってくれるバスに乗らなければなりません。これが日に6本しかないのです。9時7分のバスを逃すと次は13時37分です。そこで9時7分のバスに間に合うように東京を6時40分発、仙台に8時47分着の「こまち115号」を予約しました。

8時47分に仙台に着けば、バスの発車までは20分あるので十分時間はありますが、宮城交通さんのHPを見るとチケットの予約は受けておらず、並んだ順に乗れるということでした。同じバスに乗ろうとしている乗客が多いとどうなるのか、新幹線も停電でよく止まるということなので定刻につくかどうかという不安を抱えながら、まずは行ってからということで新幹線に乗り込みました。

たった2時間で仙台に着きました。快適な新幹線の旅はあっという間に感じられます。急いでバス停へ向かいますが、臨時バスのせいか乗り場がわかりにくく、事前に調べたバス停の配置とはどうも違っているようで歩道橋を2回も上がったり降りたりしたあげく人に聞いてようやく33番乗り場にたどり着きます。すると嫌な予感的中。乗り場にはそこだけ長蛇の列。最後尾に行き、そこに並んでいる人に「これは石巻行きのバスの列ですか?」と聞くと、「私はそう思って並んでいます」との心もとない返事。ほどなく私の後ろに並ぼうとしている人から同じように質問されたので、「私も前の人に聞いて石巻行きということで並んでいます」と答えました。列の長さはとても1台のバスで乗れる人数ではありません。

※バス停へ行くには新幹線出口の2階から1階に下りてはいけません。そのまま西口2階の歩道橋を渡って目的のバス停へ降りてください。

時間どおりに矢本経由石巻行きのバスが来ました。大きな荷物はバスの下のトランクに、乗客はバスの中に吸い込まれていきますが、行列の半分も消化できません。
そうしてバスは私の並んでいる行列を残してあっさり出発、その後に増発が来るかと思っていてもその気配はありません。行列の先頭へ行き、そこで待っている人に聞いてみると、「私も1時間以上待っていて、2本バスをやり過ごしています」との返事、こりゃだめだ。

自分の場所に戻り、まわりの人にその話をすると、私の1つ置いて後ろに並んでいた男性が、「参ったなー、こりゃタクシーしかないかな?」とつぶやいたので、「どちら方面までですか」と聞きました。その男性と話してみると、私の目的地の鹿妻にある真壁病院とその男性の目的地(ご自身の実家)はごく近くであるとわかり、タクシーに相乗りしました。この男性、地元の出身ということで途中あちこちを親切に説明してくれました。途中で破壊された家屋やがれきの山が散見されましたが、観光地の松島は意外に被害が少なく、観光客の姿も多くみられ別世界のようでした。同乗の男性によると、松島の群島が津波を防いでくれたのだろうということでした。

ガイド付きのタクシーで日本三景の一つである松島を見ながら、津波の襲った海岸沿いを走るという経験は得難いものですが、目的地は思いのほか遠く所要時間1時間余り、タクシー代が1万2千円もかかりました。後にして思えば、仙石線が東塩釜まで通っているので、東塩釜からタクシーにすればよかったかも知れません。(東塩釜でタクシーがつかまるかどうかわわかりませんが)

真壁病院の横で二人ともタクシーを降りました。同乗の男性が「私の家はあそこです」と指差す向こうに2軒の家が見え、その右側が男性の実家だそうです。ほんの200メートルほどの距離で、偶然に驚きました。帰りは先発しているメンバーの車に同乗させてもらうので、帰りの足の心配はありません。

ボランティアの拠点らしき場所では、ドラム缶のたき火やキャンプ用のテーブルや椅子がおいてありましたが、あたりに人っ子ひとり見当たりません。時間は11時前、皆は作業に出ているのでしょう。プレハブ小屋のドアが開いていたので荷物だけ置かせてもらい、あたりを歩いて回ってみました。テレビで見るのと同じで、田んぼには車が漂着して道路わきにはがれきの山、塩水とわらが腐った異様なにおいが立ち込めています。

途中、自衛隊の多くの車両と隊員たちが集まっている場所を通り過ぎました。それらの車両には那覇とか白山とか書いてあり、全国から集まって混成チームで活動していることがわかります。おそらく行方不明者の捜索をしているのでしょう。それほど遠くまで歩くつもりはなかったのですが、畔道は崩れていたりがれきが積んであったりして通れないので、思いのほか大回りしてしまい、4~50分歩いてしまいました。通る列車もいない仙石線のレールは赤く錆びて、ところどころ土砂で埋まっています。ここをかつてのように復旧するのはいつになるのでしょうか。

12時近くになり真壁病院横へ戻ると、すでにメンバーが戻っており、ようやく合流することができました。午後からは酒屋さんの敷地を片づけに行くことになりました。

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