今日は「役割」ということについて話します。
この世の中は人と人との関係で成り立っています。人間社会の最小単位である家庭を見ると、子どもは親によって育てられ、税金で義務教育を受けますが、大人になれば税金を納めて世の中を支える側に回ります。年を取って働けない年齢になると老後を過ごす助けとしてまた税金が使われます。
子ども、納税者、年金生活者、これらは固定したものではなく一人の人間の生きていく過程で「役割」が変わったと言えます。
例えば大谷翔平でもいいですが、彼のようなトップアスリートや芸能界のスターなどは人口全体から見るとごく少数の限られた人々です。こうしたタレント(芸能人の意味ではなく才能のある人という意味)をサポートするために様々なスタッフが必要です。スタッフはそのタレントが最大限のパフォーマンスを発揮できるように環境を整えるのが仕事です。長距離移動で飛行機を使うときにはタレントはファーストクラス、自分はエコノミーでも文句は言いません。それは役割が違うからであり、タレントの方が生まれながらの身分が上であるとか、スタッフは奴隷に生まれついたとかいう話ではありません。人間は皆平等であると教えられていますが現実は異なります。才能や運というものは誰にでも平等に与えられるものではなく様々な違いがあります。それは運命というもので変えようがありません。
しかし、人間の幸せとは才能や運に比例するものではなく、自分の役割をいかに有意義に果たしていくかということではないでしょうか。記憶は定かではありませんがジャマイカだったかで、見るからに貧しそうな暮らしをしている男性に海外のインタビュアーが、「もっと政府の補助やお金が必要しょう?」と聞くと、「家族と友人、そして音楽があれば何もいらない、今とてもハッピーだ」というような答えをしたのが印象的でした。この男性は良き父親、良き隣人、良き音楽愛好家という役割を十分に満喫できているわけで、役割というのはつらくて押し付けられるものではないということに思いを至らせましょう。もしも自分に何の役割も与えられていなかったらどうでしょうか。誰も自分に何の期待もせず、頼られもせず、社会に必要ともされずに生きていくことに耐えられるでしょうか。役割がある、引いては仕事がある、ということは人生に与えられた恩恵であるといえるのではないでしょうか。
会社では新人、若手エンジニア、リーダー、マネージャー、管理部メンバーなどが協力し合って会社を運営しています。リーダーやマネージャーは最初からリーダーだったわけではなく、新人からスタートして経験を積んだ上で自らリーダーやマネージャーの役割を引き受けているのです。
管理部のメンバーは一般社員に対して時に指示を出しますがそれは会社としての方針を伝達するなど管理部としての役割を果たしているからであって、別に一般社員よりも偉いからではありません。
社長は偉いから社長になったのではなく、自分でリスクを侵してでもチャレンジしたいという思いからその役割を自分に課しているのです。
諺に「箱根山、駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というのがあります。これは人々の役割ということを端的に表しています。誰しも籠に乗る人になりたいという思いはあるでしょうが、なりたいと思ってなれるわけではありません。籠に乗れるのは対価を払うだけの余裕のある武士や商人でしょうが、そうした人がいないと駕籠かきは商売ができません。駕籠かきが商売あがったりになると今度は草鞋を作る人の仕事がなくなります。
役割とは人を支え、人に支えられるための人間社会での必要な割り振り、芝居で言う配役のことです。そしてその役割は固定的なものではなく、その時その時の状況および本人の意思などの複合的な要素により変化していくということも忘れてはなりません。長い人生ですから、出来るだけ様々な役割を演じることで味わい深い人生を送れると信じています。