今日は2つ目の「個人の尊重と利益」について解説です。
これは、私が最初に入社したK社の社員時代に強く感じたことですが、社長がワンマンで社員を信用しない会社に長く身を置くというのは、人生の無駄遣いであります。理想的には自分が尊敬でき、目標と定めることのできる人物が同じ会社にいることが望ましいと考えています。目標とするに足る人物のいない組織では、お互いに人間性を低めあうような方向に流れてしまいがちで、技術もモラルも向上しません。
誰にとっても「夢」というのは大切なものですが、私にとっては特別な意味があります。高校時代に寺で小僧をして暮らした後、すっかりすさんだ気分に覆われ、厭世観すら感じていた頃に、当時の延暦寺の山田座主が「夢」と書いた色紙を年上の知人からもらいました。彼は私に、「人生には夢がなくてはならないよ」といいましたが、私にはその言葉と「夢」と書いた色紙のイメージが深く心に残っています。当時の荒れて渇いた心に深く浸透する何かがあったように思います。自分の「夢」を実現すると決めたとき、その人の人生は大きく変わります。
私はK社にいたときには長髪で、ネクタイもせずに私服で出勤する不良社員でしたが、仕事は自他共に認めるところがあったと自負しています。しかしながら社長からの評価は低く、「髪を短くしなければボーナスはやらんぞ」と言われ、実際に半分に削られたこともありますし、元々の給料も安くて生活はぎりぎりの状態でした。
仕事では、何千万円、何億もの浄水場の案件で、制御システムを一手に任されていましたし、本当に社会の役に立っているという実感を持っていましたが、GDPが2位の先進国で、いわゆるハイテク技術者として先頭に立って働いている自分がなぜ、このような貧しい暮らしをしなければならないのかと憤りを感じましたし、客観的に考えてこんなことはおかしいと思っていました。
しかしそれから数年後、元の会社と袂を分かちフリー契約となったとたん、月の収入が百万円を超えました。そのとき、「ああ、これが社会の正当な評価なんだな」と感じました。収入の額の多寡はさておき、人は苦しくても辛くても、自分を正当に評価してくれる環境にいれば幸せでいられるものだと実感しました。別に高い収入をもらって舞い上がったということではありませんが、数字で評価が示されるということは、それはそれで大切なことだとも思っています。
当時は夢のまた夢でしたが、自分がもし会社を作ったら自分のような境遇の人間を一人でも幸せにしたいと思ったものでした。したがって今の自分の会社は、一人ひとりの働きを評価し、見た目や学歴、年齢に関わらず正当な報酬を払える会社であるべきだと思っています。