最近かどうか知らないが、書いても消すことのできるボールペンがCMで紹介されている。これまでこの商品については何の興味も持っていなかった。ただ、流して視聴していたコマーシャル情報がなんとなく自分の潜在意識に落とし込まれてはいたらしい。

なぜこの商品に興味を持たなかったかというと、ボールペンは一度書いた字を消せないから意味があるのであり、消したいのであればシャーペンを使えばよいではないかと感じていたからであろう。勝手に潜在意識下に流れ落ちてくる情報に対して、同じく潜在意識下でその商品に対する存在意義を否定していたようだ。

ところが先日、部下が作成した資料に赤ペンで添削していて「ハッ」と気づいた。消すことのできるボールペンは、こういった場面で必要なのだと。

これまで20年以上にわたって、時々ではあるが添削という作業をやってきた。活字で印刷された文書に手書きで、なおかつ鮮明な赤色で取り消し線を引いて修正する文言を書き込んだり、このフレーズはこちらに移動しなさいという囲みや矢印を書くことは何となく気持ちがいい。

赤ペン先生という通信教育があった。生徒が書き込んだ上から遠慮なく赤が入れられた答案用紙が広告に載っていたのをおぼえている。学習塾の教師をしていた知り合いは、とにかく日ごろから赤ペンを離さず、修正を入れるのに快感を覚えていたように見受けられた。

私が通っていた大学院では、普段は提出したレポートは帰ってこなかったが、慶応の矢作教授だけは赤ペンで添削して返してくれた。ポイントごとに赤でチェックマーク、誤字の修正、コメントなどが書き込まれていると、このレポートをきちんと見てくれているという雰囲気が伝わり、評価としてSが赤々と書かれていたのはたいへん印象深く感激した。このようにもらう側にとってもうれしいものがある。もっとも、時間をかけて推敲を重ねた文章に絶望的なくらい赤で修正されているとかなりつらいだろうが。

しかしながら、赤ペンで書いた文字は、普通は消せない。これまでもプログラムのリストや仕様書などに赤ペンで添削していくと、結構間違えたりあとから変更が必要になったりする。仕方がないので赤で書き込んだ文字にバッテンで取り消したり、書き込むスペースがなくて余白のあるところまで矢印で線を引っ張ってそこに文章を追加したりする。これがひどくなると自分でもどこまでが修正なのか、修正の修正なのか分からなくなってくる。

このようなとき、消しゴムでさらっと消せる赤ペンはたいへん重宝するものである。これまで消せるボールペンのコマーシャルに反応しなかった自分が不思議である。さっそくデパートの文具売り場でパイロットのe-GELという商品を買った。120円、安い。若干インクの延びが良くないのか筆圧が弱いとかすれ気味になるが、別に問題にはならない。この商品はおそらく私の定番アイテムとなるであろう。

蛇足:

赤ペンで思い出したことがある。

私の比叡山の大師匠である、叡南覚照師の身の回りの世話をさせてもらっていた頃、師の書斎を清掃するのが日課だった。その書斎は様々な物品が所狭しと押し込められており、一瞬クラッとめまいを起こすほどであった。特に本はかなりの量が山積みとなっていた。何気なくそれらの本のうち、開いたまま伏せてあった1冊を手に取ると、赤で傍点だらけにされたページが目に飛び込んできた。ポイントとなるようなセンテンスの1文字1文字に赤点が付されている。それもところどころではなく全体の文章の3割くらいを赤点が占めていた。

師は寺の中にいながらも、政治、経済、世界情勢のことなどを知悉しており、政治家や経営者などがよく相談に訪れていた。CSKの故大川会長もその一人であった。師は明確かつ大胆な意見を言う方であるが、思いつきやその場の雰囲気で話しているわけではなく、その裏付けとして、書物に赤点を一つ一つ打ちながら要旨をつかんでいくという地道な作業があったのだと気づかされたのである。

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