昨日このブログで山手線の話をしました。
今日、品川駅で京浜東北線を待っていると、反対側のホームに入ってきた山手線が、「ギャー、ギャー、ギャー」と異様な音を立てて緊急停車しました。まもなく、「ただいま人身事故が発生しました」とアナウンスが流れました。私の待っていた京浜東北線もその影響で止まってしまっている様子です。
京急で振り替えした方がよいかどうか迷っていると、そのうちに駅員がこちら側のホームでブルーシートを広げて現場が見えないように目隠しを始めました。これは長引くなと思って京急で帰ってきましたが、人の命というものについて考えさせられました。
目の前で人が亡くなっても、乗客も駅員もさほど気にするでもなく、駅員はルーチンワーク的に淡々とブルーシートを広げ、私の目の前の年配の乗客は、「なぜ山手線で事故があったのに京浜東北まで止まるんでしょうかね?」と、しつこく何度も見知らぬ女性に話しかけていました。
こうしたことに皆(私も含めて)なれてしまっていて、恐ろしいことを恐ろしいと思わなくなっているようです。毎年3万人も自殺者が出て、1万人弱が交通事故で亡くなるという現代日本は、ちょっとした戦争をしている状態に近い犠牲者を毎年出しているわけです。
戦場をあつかった映画やドキュメンタリーで、仲間が殺されても平然としている兵士に違和感を覚える私ですが、目の前で人が電車に轢かれて犠牲になっているのに、ほぼ平気でいられるというのはおかしなものです。