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偽装社長

【2011年1月31日の朝礼でのスピーチより】

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以下は2008年6月に書いたスピーチのネタですが、そのまま話す機会を逃し未公開となっていたものです。このころは、食品を扱う有名会社の不祥事が社会問題になっていたころで、船場吉兆の産地偽装や食べ残しの使いまわし、赤福餅の製造年月日偽造、そしてミートホープ問題などが相次いで起きた時期でした。

スピーチのメモが途中で尻切れだったのですが、今回、関連した記事を新聞で見つけたので続きを付け足して発表します。

===「偽装社長(2008/6)」ここから===

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またまた牛肉の偽装問題が話題となっている。この手の事件は構図が単純で、登場する社長がユニークなのでマスコミの格好のネタになる。つまり、顧客をないがしろにして利益を追求する悪徳経営者とその被害者の客と従業員という、加害者と被害者がはっきりしていて誰にでもわかりやすいパターンである。これに対して政局ネタなどは、誰が正しくて誰が悪いとかいうような話ではないし、ニュースを見る側にもそれなりに勉強と理解力が必要なのでなかなか世間の耳目を集めることは難しい。

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それにしてもこのような事件が発生するたびにマスコミに報道される経営トップは実によく似ていると思うのは私だけだろうか。一見、いかにもやり手で仕事熱心だけれども、どこかうさんくさい、報道のされ方がそのようなストーリーなのでいたしかたないかもしれないが、今日は少し視点を変えて見てみたい。

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この手の事件の報道では、顔を隠した従業員がテレビの取材に答えて会社の内情を暴露するという、いつも見慣れた光景が映し出される。この構図は、悪徳ワンマン社長と、被害者に限りになく近い従業員、という二項対立のパターンである。しかし、この従業員たちは本当に被害者なのだろうか。

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現代は、今話題の「蟹工船」のように、会社に自由を奪われ無理やり働かされるといったアナクロな時代ではない。もちろん、社長に刃向えば職を失い、生活を脅かされるかもしれないが、労働者は基本的には様々な法的保護や社会的保護の下にあり、自分の倫理観に合わないような経営者の下で無理に働かなければならないという特殊な事情を抱えた人は極めて少数であろう。

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私が初めて就職した会社もワンマン社長が経営する中小企業であった。私はこの社長と何度も衝突し、最後は大喧嘩して辞めた口なのでこのような話をしている。
従業員がマスコミの取材に対して、「不正は社長の指示でやっていた、社長は常々自分の言うことを聞かなければクビだと脅していたので、我々は従うしかなかった。」といった証言であるが、これをそのまま「かわいそうだったね」と受け入れてよいのであろうか。

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マスコミから見るとこのような証言をしてくれる従業員は格好のネタ提供者なので同情的に扱うのは当たり前である。また、事件を視聴者に分かりやすい二項対立のパターンとするためにも従業員は被害者である方が都合がよい。

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もちろん、悪徳なワンマン経営者の肩を持つつもりはないし、そのような経営者のもとで働かざるを得なかった人たちには同情を感じるが、ここで言いたいのはそのような社長がなぜ平気でのさばるのかということである。さらに言うと、経営者の関係者や従業員はなぜ止めようとしないのか。従業員だったら社長の指示が社会正義に反していても従わなければならないとでもいうのだろうか。そんなことはないはずである。

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私は、テレビで得意げに社長や会社の悪行を述べ立てる従業員たちと、それを取り上げるマスコミに違和感を持つのである。そのようなことを今頃言うのであれば、それを上司や社長に訴えたのであろうか。もし諌めることもせず、普段は悪の片棒を担ぎながら、自分の大将が失脚したと見るや寝返って自分は被害者でしたという顔をするのであれば卑怯というしかない。これに対して、勇気を持って上層部に進言したが聞き入れられずに内部告発をする勇気ある従業員がいるのも事実であるが、それはあくまで少数であろう。

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この国は、いわゆる「善良なる被害者」に対して無批判で同情する風潮があるように思える。しかし、そうした風潮が、内には権利だけを主張して義務を果たさない国民を増やし、外には、自国の受けた被害を何百倍にも誇張して大騒ぎする国に対して腰砕けとなる国の姿勢を助長しているように感じる。

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多くの国民が、マスコミに踊らされることなく、批判を恐れずに自分の意見を言えるような国になれば、米国との開戦の時に軍部を暴走させることもなかったのではないか。自分の意見を自由に言える社会。多数派のヒステリック集団が少数意見を叩き潰すのではなく、まっとうな議論を展開できる風潮を作れないものだろうか。

===「偽装社長(2008/6)」ここまで===

とここまでが2008年のスピーチメモでした。そして、たまたま今日の新聞にその後の興味深い話が載っていました。主題としたミートホープの元常務A氏が最近になって話した内容です。(2011年1月8日の産経新聞より)

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A氏は1995年に入社して間もなく社長の偽装に感づいたそうですが、「不思議と罪悪感はわき上がらなかった」と話しています。そうした行為は業界全体で習慣的に行われていると思い、「うちだけじゃない」と感じ、販売した肉の品質にクレームをつけてきた取引先には自ら嘘をついてごまかしたそうです。A氏は自分が偽装に気づいていながらそれを追求しなかったのは、「自分が加担していることを認めたくなかったから。自分への評価を失うことへの恐れもあった」と正直に語っています。

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A氏はその後2006年に退社し、偽装を告発したことにより翌2007年にはミートホープの事業継続が不可能となりました。A氏に何があったのでしょうか。急に正義感が芽生えたのか、偽装がエスカレートしてついに堪忍袋の緒が切れたのか、はたまた社長といさかいを起こして復讐したかったのでしょうか。どれも違うようです。「正義感もひったくれもない」とはA氏の弁です。実は、他の従業員の内部告発の動きを察知したので、「このままでは自分も捕まってしまう。積極的に告発する姿を示す必要があった」というのが真相でした。

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もし偽装が発覚しなければ、この社長はこの後も活躍し続けて地元の名士として尊敬を集めていたかもしれません。そんなときにテレビが「地元で頑張るカリスマ経営者」などというタイトルで番組を作り、従業員に「社長をどう思うか」とインタビューしたら、「うちの社長は食肉のことなら何でも知っていて、お客様のため、従業員のため、地元のために私心を捨てて頑張っています。そんな社長は私たちの誇りです」などと答えていたのではないでしょうか。どこかの国とイメージがかぶりますね。

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A氏はことさら道徳観の欠如した人ということはなく、ごく普通の人だったと想像できます。前半(2008年のメモ)で、テレビのインタビューに答える従業員を別の角度からとらえて批判的に述べましたが、人間の行動というのはよほどのこだわりがない限りは多数派やブームに流されるものでしょう。スーパーのレジで今まで並んでいた列から抜け出して、空いている列に並び変えるようなもので、その人は何も責められるようなことはしていません。

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家からコンビニへ行くのに、通る道を右でも左でもいいやと思っている人に、「じゃあ車の通りの少ない左から行こうよ」と耳打ちすれば、無意識に左に行くでしょう。選挙などは同じ理屈で、何となく「自民党は長く続いて腐敗しているからフレッシュな民主党にしよう」、「2大政党制ってかっこいいじゃん」などというノリで政権交代が起ったような側面もあります。

多くの人はあなたを裏切るのではなく、流れに流されているだけなのです。

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